まだ子供が生まれるずっと前。姫路の親友8ちゃん(本名「衣畑秀樹(きぬはたひでき)」=画家)とその彼女、家内との4人で中国地方をぐるりとドライブしたことがある。最後に岩国から姫路へと戻る途中、岡山に立ち寄った。夕飯のため。
当時は寂れていた岡山駅の西口側で、ウロウロする内『ハルビン』なる餃子(ギョーザ)専門店を見つけた。家内が「岡山の友達から、ここ美味(おい)しいって聞いたことがある」と言うので、入った。
中はカウンターとテーブル席が2つ3つ。席に着いていた常連らしい客が「あぁ、新規さんや。こっちどうぞ」とカウンターに移ってくれた。
ところがカウンターの中にいたバーサンが、「あんたらも客なんやから譲らんでえぇ」と怒鳴る。せっかく親切にしてもらったのに、とこっちも気分が悪い。おまけに「あの、ビール」と注文すると「そこのケースに入っとるから自分で出せ」。「あの、餃子を」「これから包むから遅いで」。何か言うたび一々、怒鳴られる。
「何で餃子屋で餃子を頼んで怒られなあかんねん!?」「こんなとこ、サッサと食ってサッサと出よ出よ」8ちゃんとヒソヒソ話を交わした。最初に入ろうと提案した家内は、今にも泣き出しそうになっていた。
ところが出てきた餃子を食べて驚いた。「美味(うま)っ」ニンニクが効いてとにかく美味い。ビールに合う、合う!
サッサと出よ、どころではない。迷うことなく追加注文した。そうしている内にバーサンも、機嫌がよくなり怒鳴らずに接してくれるようになった。
かくして『ハルビン』は、岡山に行ったら必ず足を運ぶ店になった。最初の2、3回くらいまでは顔を覚えてくれなかったバーサンも、事前に電話すれば暖かく迎え入れてくれるようになった。ちなみに家内が友達から聞いたのは、全く別の『ハルピン』だった。
自分が行くだけではない。岡山に行くという友人があったら必ず「美味しい店があるよ~」と教えた。
彼らも最初はたいてい、バーサンから怒鳴られたそうである。ところが「西村から聞いて来た」と告げると一転、「西村センセのお友達の方!」と親切にしてもらったという。中には「お手製の『ままかり』をご馳走(ちそう)になった」なんて後輩も。「俺だってそんなの頂いてないよ~」笑い合った。
つまみが色々あって餃子屋と言うより単なる地元の居酒屋。いつも常連さんが集っていて、バーサンも一仕事終えるとカウンターから出て来、自分も一杯やる。と、言うより自分が一番、呑(の)む。あの雰囲気が大好きだった。
その『ハルビン』が店を閉めて、既に何年にもなる。あの味とはもう会えない……。店との別れの寂しさは、人とのそれと何も変わりはしない。=朝日新聞2019年3月9日掲載
編集部一押し!
- 新書速報 金融史の視点から社会構造も炙り出す「三井大坂両替店」 田中大喜の新書速報 田中大喜
-
- 朝宮運河のホラーワールド渉猟 彩坂美月さん「double~彼岸荘の殺人~」インタビュー 幽霊屋敷ホラーの新機軸に挑む 朝宮運河
-
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社
- インタビュー 「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯 篠原諄也
- BLことはじめ BL担当書店員の気になる一冊【2024年1月〜3月の近刊&新刊より】 井上將利
- 杉江松恋「日出る処のニューヒット」 加速する冤罪ミステリー「兎は薄氷に駆ける」 親子二代にわたる悲劇、貴志祐介の読ませる技巧に驚く(第12回) 杉江松恋
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社