- 神永曉『辞書編集、三十七年』(草思社)
- 本原令子『登呂で、わたしは考えた。』(静岡新聞社)
- ゴーリキー『二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選』(中村唯史訳、光文社古典新訳文庫)
小学1年生のとき、国語辞典をぜんぶ読んだ。入学祝いにもらったものだから大して分厚くなかったと思うが、それでも「さ」行がつらかった。なかなか「た」行にならず、気分が変わらなかったのだ。
その子供はいまや作家となり、日本一の規模をほこる『日本国語大辞典 第二版』全13巻、総ページ数約2万、略称『日国(にっこく)』を引かぬ日はないが、その『日国』の編集に社会人人生のほとんどをささげた編集者の回想記が神永曉(さとる)『辞書編集、三十七年』だ。
おもしろいのは語数の話。いったいに国語辞典というのは「さ」行の終わりで全体の半分に達する上、「し」がいちばん語数が多いのだそうで、
〈ゲラを読んでいて「し」にぶち当たると、来る日も来る日も「し」で始まることばと格闘しなければならない。これは経験した者にしかわからない苦行である〉
私は成仏できる気になった。こうした机上の苦労話はもちろん、編集委員の学者とのつきあい、読者からのクレームへの対応、方言の魅力など話題はつきない。日本語とはそこに自然にあるものではなく、つねに誰かのメンテナンスが必要な精密機械なのである。
ところで日本人は、あたりまえの話だが、字を知る前から日本にいた。本原令子『登呂で、わたしは考えた。』は静岡市の登呂遺跡という、かつて弥生時代の人々が農耕生活をいとなんでいた「現場」を舞台に、陶芸家である著者がみずから土器づくりや稲づくりを実践した記録。
遺跡から出土した土器の破片にわざわざ砂をねりこんだものがあるのはなぜか、というような重要な疑問をあっさり「手で」解くあたりが真骨頂だ。
3冊目はゴーリキー。1900年前後にロシアで活躍した作家だから、私たちには登呂の弥生人よりも時間的に近く、空間的に遠い。『二十六人の男と一人の女』は四つの自伝的短篇(たんぺん)をおさめるが、出色なのは「チェルカッシ」だ。都会的泥棒のチェルカッシが百姓出身の若者をいじめるのは、大地への侮蔑のためであり、同時に羨望(せんぼう)のためだろう。「社会主義リアリズム」などという金看板はひとまず置いて、私は、一種のユーモア小説として読んだ。=朝日新聞2019年3月10日掲載