1. HOME
  2. 書評
  3. 「森瑤子の帽子」書評 名声と裏腹 疾走を続けた実像

「森瑤子の帽子」書評 名声と裏腹 疾走を続けた実像

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2019年04月27日
森瑤子の帽子 著者:島﨑今日子 出版社:幻冬舎 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784344034341
発売⽇: 2019/02/27
サイズ: 20cm/383p

森瑤子の帽子 [著]島﨑今日子

 若い頃の私は11センチのハイヒールに毛皮のコートで街を闊歩した。クリスマスはホテルでシャンパン。六本木のディスコをはしごして、デュラスやサガンを読みふけり、森瑤子さんに憧れた。そういう時代だったのだ、あの頃は。女である制約に苛立ちながらも甘い夢ばかり追いかけていた私の目に映る彼女は、キャリア、家族、富、名声……すべてを手にしたスーパーウーマンに見えた。
 けれど、「『森瑤子』でいることが果たして本当に幸せだったのか」と娘は疑問を呈する。母の顔が時々ひきつっていると感じて「人前に出す顔は作っていたんじゃないか」「苦しかったんじゃないのか」と。では何に苦しんでいたのか?
 著者は、夫や娘たち、友人、秘書、編集者、男友達など交流のあった人々を捜しだし、イタリアの田舎や与論島へも足を運んで話を聞く。彼女自身が遺した言葉の数々を丹念に拾い集め、多角的かつ重層的に森瑤子の実像に迫ってゆく。時系列に人生を追う評伝ではなく各章ごとに違う人物の目を借りることで、彼女の人生を何度もたどり返しながら縒り合わさった糸のように多彩な顔を浮かび上がらせる。それが〈あの時代〉を検証するバイブルにもなっている秀逸な一冊。
 平凡な主婦だった彼女は「このままで老いていっていいのだろうか」と憂慮し、切実に愛されたいと渇望する。でも、小説を書くことで満たされるはずの心は、バブル期の華やぎと喧噪に踊らされて、ブレーキがかからないままひたすら疾走をつづける。
 ある人は森瑤子を「刹那を生きていた人」といい、ある人は「『時分の花』だった」といい、またある人は「本音を話さず、本音で話すようにふるまう」人だったという。本を閉じたとき私は――多くの読者もそうだと思うが――階段を上るにつれてつばが広くなっていった森瑤子の帽子に言い知れぬ哀愁と孤独を感じて、思わず涙ぐんでいた。
    ◇
 しまざき・きょうこ 1954年生まれ。ジャーナリスト。著書に『この国で女であるということ』など。