大学で教え始めた、30代の前半。
「学生たちの前で話をするのは、恐怖に近かったですね。うまくゆく時と、ゆかない時がある。なぜか、というのが出発点でした」
手がかりを求めてさまよううち、準備は必要だが、状況に合わせてそのシナリオから離れるのが大切だ、と考えるようになった。そして、たどりついたのが「稽古の思想」だ。
この本は、自分が稽古した経験を書いたのではない。能や歌舞伎、茶道や禅など、日本語で蓄積されてきた知恵を、考え直したものだ。
「稽古の核心は、習って身につけた『わざ』をいったん手放す、という反転する動きだと思います」
大学院では西洋哲学と教育学を学び、発達心理学者エリクソンを研究した。「東洋のものをやりたい」と考える40代の東京大助教授だったころ、ふと立ち寄った古本屋に世阿弥や能の本が棚の数段分並んでいた。研究の奥の深さに圧倒され、店を出たが、「研究費で手に入る」と気づいて引き返し、すべて買った。
「世阿弥は、子どもの稽古をどうするかとともに、どうしたら無心の舞に至れるかを語っています。いずれ下りることも含みながら、上り道を考えた人として、教育の問題とつながるのでは、と思いました」
京都大に移り、『世阿弥の稽古哲学』(東京大学出版会)にまとめた。今は、西田幾多郎などに取り組む。
「深く見る目を持ちたいですね。そして、見たことをシンプルで、的確な言葉にして、ここまでは言葉で語ってもいい、と示したい。自分の内側から出た言葉で、おやっと思わせる機会をつくりたいです」
『稽古の思想』と同時期に『ライフサイクルの哲学』(同)も出した。
「稽古は人間形成の一場面です。それが成り立つ人生全体を、ライフサイクルと呼んでいるのです」(文・石田祐樹 写真・滝沢美穂子)=朝日新聞2019年6月1日掲載
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