四月一五日のパリのノートルダム大聖堂火災のあと、フランス・メディアがこぞって話題にしたのは、ユゴーの歴史小説『ノートル=ダム・ド・パリ』だった。確かにそこには、この火事を予見していたような場面が出てくる。
「人びとはみな目をあげて、教会の頂上を見あげた。目にはいったのは不思議な光景だった。中央の円花窓(えんかそう)よりも高く、いちばん高いところにある回廊の頂上には、大きな炎があかあかとして、二つの鐘楼のあいだを、渦巻く火花をとび散らせながら立ちのぼっていた」
これはしかし、実際の火事の描写ではない。小説の登場人物で、異形の鐘番カジモドが、寺院に逃げ込んできた流浪の美少女エスメラルダを追っ手の暴徒から守ろうと、その場にあった木材を塔の上から眼下の広場に投げ落とし、溶かした鉛で火をつけている光景が火災のように見えたというのだ。
この小説が一八三一年の発表当時の人びとを何よりも驚かせたのは、フランス・カトリックの総本山であるノートルダム大聖堂を、堂々と反カトリック的な舞台にしてみせたことだった。エスメラルダに邪恋し、思いをとげるために手段を選ばない司教補佐クロード・フロロの、破廉恥なふるまいが物語の軸だったものだから、ローマ教皇庁からたちまち禁書にされた。
空白埋める文学
今度の火災後、フランスのテレビ局の特番を動画で見ていたら、旧知の歴史家ピエール・ノラが大聖堂の建物自体がこの小説の影の主人公だと指摘していた。確かにユゴーは敬意をこめ、無数の石工が数世紀にわたって営々として築き上げたこの建物の歴史、外観、内部、塔からの眺望、全体の魔力を見事に語っている。ノラはまた、後陣の尖塔(せんとう)が火だるまになって崩壊したとき、マンハッタンのツインタワー・ビル炎上のときに似た衝撃を受けたと語っていた。
テロと失火、災厄の原因の違いにもかかわらず、同じことを感じたのは彼だけではない。あのとき、誰しも無意識のうちにもっている永続性への漠然とした信頼が瞬時に揺らぎ、言葉を失った。その空白を埋める手がかりを求める人びとが、宗教や国籍とは無関係に、過去の文学に目を向けたのだった。
こうした心の動きのことを、森有正はすでに半世紀前の『遙(はる)かなノートル・ダム』で、「体験」から「経験」への促しとして捉えていた。彼は十数年間ノートルダムのそばに暮らしながら、大体は浅薄なものにとどまりかねない「体験」を「定義」できるような言葉をみつけ、確固とした「経験」に変えることに腐心していた。そんな彼の目に、この大聖堂は個々人の生を本当にかけがえのないものとする「経験」という概念の美しい化身と映っていた。
19世紀にも修繕
森有正よりさらに半世紀前、高村光太郎が「雨にうたるるカテドラル」で崇敬の対象としたのもノートルダム大聖堂だった。「ノオトルダム ド パリのカテドラル、/あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、/あなたにさはりたいばかりに、」。そして詩人はこの寺院に「真理と誠実との永遠への大足場」を見るとともに、当然のようにカジモドとエスメラルダのことを思い浮かべている。
実は反教権的だった大革命のあと、ノートルダムは荒れはて、十九世紀の四〇年代になってこの度崩壊した尖塔をふくむ修繕が始まったのだが、これには文学作品の力に加え、国の歴史記念物保存委員としてのユゴーの貢献があった。新たな修繕は、今言われている一過性の次期パリ五輪のためではなく、是非「永遠への大足場」を固めるものになってほしい。=朝日新聞2019年6月1日掲載