編集者の実力とベストセラーはときに無関係だ。
僕が作ったカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』もよく売れたが、本の力がすべてだった。運のめぐりで担当になっただけで自分の企画ですらなかった。
それでも『わたしを離さないで』が傑作なのは、原稿を読んですぐに分かった。イシグロは試行錯誤の時代を抜けて、別次元の作家になったのだ、と脳がしびれるような感動を覚えた。
イシグロは語りの作家だ。その小説の語り手たちは、ときに真実を語らず、ときに自意識過剰であり、その記憶は我々と同じく不確かだ。これこそがリアルではないか。近代文学的な語り手たちを、一気に噓(うそ)にしてしまった感さえあった。
『わたしを離さないで』では、その語りの技(わざ)とストーリーテリングの巧みさが見事に融合していた。と書くともっともらしいが、つまり文学的かつ、すごく面白いということだ。
世に出るとあっさりと評判になった。映画化、舞台化、ドラマ化され、挙句(あげく)の果てには、著者がノーベル文学賞を取ってしまった。
編集者はただぼんやりしていただけだ。
面白いのは、いま僕が仕事をしている書き手や翻訳者の多くはイシグロを通じて出会ったということだ。そこから様々な本や企画が生まれ、僕もようやく編集者らしい仕事ができるようになっていった。
本は編集者が作っている。がしかし、作られているのはこちらなのだ。=朝日新聞2019年6月12日掲載
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