編集者の実力とベストセラーはときに無関係だ。
僕が作ったカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』もよく売れたが、本の力がすべてだった。運のめぐりで担当になっただけで自分の企画ですらなかった。
それでも『わたしを離さないで』が傑作なのは、原稿を読んですぐに分かった。イシグロは試行錯誤の時代を抜けて、別次元の作家になったのだ、と脳がしびれるような感動を覚えた。
イシグロは語りの作家だ。その小説の語り手たちは、ときに真実を語らず、ときに自意識過剰であり、その記憶は我々と同じく不確かだ。これこそがリアルではないか。近代文学的な語り手たちを、一気に噓(うそ)にしてしまった感さえあった。
『わたしを離さないで』では、その語りの技(わざ)とストーリーテリングの巧みさが見事に融合していた。と書くともっともらしいが、つまり文学的かつ、すごく面白いということだ。
世に出るとあっさりと評判になった。映画化、舞台化、ドラマ化され、挙句(あげく)の果てには、著者がノーベル文学賞を取ってしまった。
編集者はただぼんやりしていただけだ。
面白いのは、いま僕が仕事をしている書き手や翻訳者の多くはイシグロを通じて出会ったということだ。そこから様々な本や企画が生まれ、僕もようやく編集者らしい仕事ができるようになっていった。
本は編集者が作っている。がしかし、作られているのはこちらなのだ。=朝日新聞2019年6月12日掲載
編集部一押し!
-
文芸時評 深い後悔、大きな許し もがいて歩いて、自分と再会 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評25年11月〉 都甲幸治
-
-
インタビュー とあるアラ子さん「ブスなんて言わないで」完結記念インタビュー ルッキズムと向き合い深まった思考 横井周子
-
-
えほん新定番 内田有美さんの絵本「おせち」 アーサー・ビナードさんの英訳版も刊行 新年を寿ぐ料理に込められた祈りを感じて 澤田聡子
-
谷原書店 【谷原店長のオススメ】馬場正尊「あしたの風景を探しに」 建物と街の未来を考えるヒントに満ちている 谷原章介
-
オーサー・ビジット 教室編 自分で考えて選ぶ力、日々の勉強と読書から 小説家・藤岡陽子さん@百枝小学校(大分) 中津海麻子
-
鴻巣友季子の文学潮流 鴻巣友季子の文学潮流(第32回) 堀江敏幸「二月のつぎに七月が」の語りの技法が持つ可能性 鴻巣友季子
-
トピック 【プレゼント】第68回群像新人文学賞受賞! 綾木朱美さんのデビュー作「アザミ」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】大迫力のアクション×国際謀略エンターテインメント! 砂川文次さん「ブレイクダウン」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
トピック 【プレゼント】柴崎友香さん話題作「帰れない探偵」好書好日メルマガ読者10名様に PR by 講談社
-
インタビュー 今村翔吾さん×山崎怜奈さんのラジオ番組「言って聞かせて」 「DX格差」の松田雄馬さんと、AIと小説の未来を深掘り PR by 三省堂
-
イベント 戦後80年『スガモプリズン――占領下の「異空間」』 刊行記念トークイベント「誰が、どうやって、戦争の責任をとったのか?――スガモの跡地で考える」8/25開催 PR by 岩波書店
-
インタビュー 「無気力探偵」楠谷佑さん×若林踏さんミステリ小説対談 こだわりは「犯人を絞り込むロジック」 PR by マイナビ出版