日本人作家が書いた日本人の登場しない、ドイツ舞台のミステリだが、作家の国籍など全く気にならない。なんとも凄(すご)い構築力である。
舞台は一九四五年のベルリン。米ソ英仏連合軍が占領し、七月のポツダム会談に入る直前、奇妙な殺人事件が起きる。
主人公アウグステは、米軍食堂に勤務する地味で実直なドイツ人少女。ただしソ連軍の凄惨(せいさん)な略奪と暴行行為に巻き込まれ、傷つけられた過去がある。
親類縁者もなく孤立無援の状況で、ソ連軍当局から恩人が殺されたことを告げられ、命じられるまま、犯人と思(おぼ)しき被害者の甥(おい)を探すため、ベルリン近郊のバーベルスベルクへ赴く。
二日ばかりの行程だが、戦後の混乱期だけに女の旅はとてつもない苦労を強いられる。連れは詐欺師まがいの男だけ。最後まで気が抜けない旅なのだ。
物語全体を貫く緊迫感の正体は、語り手が女性というところにあるが、著者のリサーチ能力の高さにも目を見張った。複雑な政治情勢は無論のこと、街の様子やその場の空気、道を行き交う人々の視線や生活態度など、その場にいるかのような錯覚に陥るほどの圧倒的なリアリティなのだ。
本書では、殺人という非日常的な出来事が、大量殺戮(さつりく)を背景にした戦争という非常事態の中で吟味される。勿論(もちろん)それは、ナチの人種政策や連合軍人の得体(えたい)の知れなさ、生き延びるため裏切りや騙(だま)しなどが日常茶飯事になった同国人らの鬱屈(うっくつ)を背景に、ファシズムの台頭と人間性の崩壊を抉(えぐ)り出すことに他ならない。
同時に、それは密告と同調圧力の世界で、隣人を告発しない善良な人々や、ファシズムを止められなかった大衆が、転換する世界でどう行動するかも描き切った。
読み終えて、敗戦ほど急激ではないが、ゆるやかに価値の転換期を迎えている現代日本の姿を連想せざるを得なかった。リーダビリティ溢(あふ)れる傑作だ。
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筑摩書房・2052円=7刷5万3千部。18年9月刊行。直木賞候補や本屋大賞3位になり話題に。ツイッター利用者の投票で選ばれる第9回Twitter文学賞(国内)第1位に。=朝日新聞2019年6月15日掲載