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「皇位継承の中世史」書評 現代に連なる皇室の祖型たどる

評者: 出口治明 / 朝⽇新聞掲載:2019年06月29日
皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱 (歴史文化ライブラリー) 著者:佐伯 智広 出版社:吉川弘文館 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784642058834
発売⽇: 2019/04/18
サイズ: 19cm/201p

皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱 [著]佐伯智広

 平成から令和への代替わりが滞りなく終了した。本書は、皇位継承の問題を軸に古代から中世末までの政治史像を体系的に描き出したものだが、この時点で現代に連なる皇位継承や天皇の親族のあり方の祖型はすでにできていたのである。
 古代の日本は、父系と母系が同じ重みをもつ双系制社会であった。この文脈で古代の女性天皇を理解すべきである。摂関政治は、天皇と藤原氏の「持ちつ持たれつ」の関係の上に皇位の父子継承が実現した時代である。白河院は決して最初から院政を志したわけではなかったが、院政が当時の社会状況に適合的であったために定着した。ただし院の権力の源泉が幼年の天皇に対する後見にある以上、天皇が成人すれば主導権争いが生じる。そこで武士を巻き込んで保元の乱が起こった。そして承久の乱をきっかけに武士(鎌倉幕府)が天皇の廃立を定めるようになる。ちなみに皇位の父子継承が「確立」したのは院政期であって、「皇統」という言葉が院政期以降に用いられるようになった。
 ところで鎌倉時代の後半になると皇統が分裂し(持明院統と大覚寺統)、両統迭立の時代が南北朝まで続く。しかし足利義満が南北朝を合一した後は、天皇は権力と切り離され、皇統の分裂や移動は起こりえなくなった。後光厳(ごこうごん)院の皇統が断絶したとき、足利義教は7親等離れた伏見宮家の彦仁(ひこひと)王を後小松院の猶子として即位させた。つまり現実に皇統が移動しても、養子関係を設定することによって、政治上は現代へとつながる直系継承の体裁が取られるようになったのだ。
 現代において、女性天皇、女系天皇、女性宮家の問題が論じられているのは、日本社会における家と女性との関係が前代までとは大きく変化しているからである。そこと伝統との間でいかに折り合いをつけるか。日本国憲法との関係を含め、円滑な皇位継承に興味を持つ市民にぜひとも一読してほしい好著である。
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 さえき・ともひろ 1977年生まれ。帝京大文学部講師。著書に『中世前期の政治構造と王家』など。