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「芥川賞ぜんぶ読む」菊池良さん×「直木賞のすべて」川口則弘さん対談〈後編〉 全部読んだ人が最新受賞作を大胆予想!

構成:松澤明美 写真:黒澤義教

>芥川賞・直木賞、全部読んだ人対談〈前編〉はこちら

そもそも、芥川賞と直木賞の違いって?

――全部読む前に、芥川賞や直木賞のイメージはあったのですか。

菊池 物心ついたときからマスコミで報道される賞っていうのが最初です。そんな乖離していないですね。いわゆる純文学のイメージの作品が取るんだろうなぐらいしかなかった。太宰治みたいな。芥川賞なのに、芥川龍之介的な作品が全然、取らない(笑)。むしろ、それが一番の驚きなのかもしれない。古典を再解釈した作品とかは取らない。

川口 読む前の自分を思い出すのは難しいですね。知る前の自分がどうだったか。昔はネットもなくて、日常生活で小中学生が直木賞や芥川賞に接しないですからね。イメージもない。今はさすがになんとなく知れ渡っていますが、私の記憶の中ではほぼない。

菊池 直木賞に関しては志茂田景樹さん(「黄色い牙」、80年上期)が取った賞だって印象。直木賞をプロフィールにしていた人なんで。あ、この人が取るんだっていう(笑)。

川口 インパクトのある人に引きずられたイメージ(笑)。

菊池 文学をやる人は変な人なんだ、みたいな(笑)。

――2つの賞の区別はついていましたか。

菊池 綿矢りささん(「蹴りたい背中」、2003年下期)が取ったときのニュースで説明していて知ったって感じですよね。

川口 受賞作を自分で読んで、なんとなくわかるという感じが先かな。両賞ともリストとしてバーっと並んでいるわけで、違うものなんだろうって認識はできますけど、どう違うかはよく分からなかった。読んでもよく分からないですけど、確かに二つの違いはなんとなく、わかる。後付けで芥川賞が純文学で直木賞は大衆文芸と言われると、「なるほど」と思う。この感覚が純文学なんだなって。こういう経験は、いまだとどうなんだろう。情報を遮断しない限り、今は2つの賞の違いはニュースとかで入ってくるから。

菊池 芥川賞はかなりレギュレーションがはっきりしていて純文学の新人賞。枚数も制限があって、雑誌に載った短編、中編で。明文化はされていないが全部読んでみると、舞台は近現代で、語り手の主人公と作者のアイデンティティーが一緒だとわかる。もちろん、例外もありますけど。

――候補になるのは、ある限られた文芸誌の掲載作品というのもありますね。こちらもときどき、例外はありますが。

菊池 実体験を基にした作品が多いのも、読んでみて驚きました。私小説と言っていいような作品もあります。純文学への固定観念として、私小説は一段低いものとして扱われているという印象が事前にはありましたが、受賞するのは作者の実体験モノが多いというのは、新鮮な驚きでした。

川口 芥川賞はずっと、分量が中短編という点を守り抜いているのが得も言われぬ素晴らしさです。いまどきよくそれをよく守ってやっているなと。

菊池 全部読んで思ったのは選考基準にブレがない。選考委員たちのなかで純文学という概念ができあがっていて。それを全員が共有している感じ。直木賞はすごいブレがあると、川口さんは書かれていますね。

川口 定義づけられない。芥川賞こぼれですよね。「芥川賞じゃないものが直木賞」って感じですよ。芥川賞がないと成り立たたない賞であることは確か。大衆文芸ってこういうものだよねっていうのは選考委員のそれぞれにはあると思う。それが共有化されているかというと芥川賞ほどは全員のなかではない。特に戦前から戦後しばらくはなかったと思う。そういった中で長編、短編、ジャンルも違う、時代も違うものを取り扱った小説を候補に挙げていくなかで、一個か二個選ぶとなると、どういう賞かは言い難い(笑)。

 直木賞を読んでいるなかで、なんとなく思ってきたのは芥川賞の領域みたいなのがあって、直木賞はそれを含んだもうちょっと大きい領域ってイメージ。だから芥川賞的な作品が直木賞を取ったりする。それをいいことにして、自分の立ち位置としてやっている文学賞みたいなところが、直木賞にはある。他の文学賞との比較で盛り上がりを見つけていくところもあれば、明らかな大衆性も持っている小説もある。大衆性を持った小説って言っても幅広いですけど。

菊池 東野圭吾さん(「容疑者Xの献身」、05年下期)とか。

川口 本当に芥川賞的なものを含む、芥川賞でないものすべてが直木賞。

菊池 最近、直木賞の本屋大賞化、あるいは逆も言われてますけど、それはどう思っているのですか。

川口 本屋大賞も始まった当初から直木賞的な性質を持っていたという感覚です。対立概念だったり、全く違うものを選ぼうとしているよりは、本屋大賞の中に直木賞が評価するような作品も評価したいというか、読んで面白いとか。最終ノミネート10作に最初の年から石田衣良さん(の直木賞受賞作「4TEEN」、03年上期)が入っていたり。本屋大賞化、もしくは直木賞化というよりはお互い仲良く補完し合っているといっていい(笑)。一つの文学賞で評価できるものは、本当にごく一部。これだけたくさんある小説の中で。それをたった2つの文学賞ですが、お互いにそれぞれ役目を果たしていると。直木賞ファンとしては悔しいですけど(笑)、芥川賞がないと存在し得ない。直木賞も本屋大賞も。

――芥川賞は雑誌の縛りがあるが、直木賞は単行本ならなんでもいいという点で何が候補になるかわからない印象があります。

川口 そこが面白いと思わなければ直木賞ファンをやっていない(笑)。一応選考基準は、創設のころは大衆文芸、いまは「新進・中堅作家によるエンターテインメント作品」になっています。ただ、菊池さんが解説してくださったように、芥川賞的な自分を投影した形の小説も結構あって。これはどっちかというと芥川賞だよねって選考委員も言うし、世間もそう思うようなものも受賞している。私が読んでも、これはどうなんだろう、面白いと言えるんだろうかみたいな難しいものも取っている。今官一の「壁の花」(56年上期)とかですね。時代を遡れば遡るほど、いま読んで面白味をどこに見つければいいか分からない作品は多くはなっていきますけど。ただ、直木賞も新人賞の枠ではあるので、昭和時代までは候補作の完成度を問うよりも、作家に与える賞だった気がします。それまでどういう作品を書いてきて、今後どう伸びていくのかも含めての受賞。もっともらしいことを言っていますけど、受賞作の面白さよりも文学賞としての面白さが勝ってますね。

菊池 なんとなく分かります。芥川賞も単品で読むのはつらいものがある。連続で読んでいるから、長い大河ドラマの一シーンみたいになる。あの時代はこの人が取ったのかっていう。芥川賞はその時代を反映したものが多くて、タイムマシーンに乗るみたいな、当時を見聞するみたいな感じで読めるものは多い。

川口 芥川賞は全部読まないと損は損なんですね。一編だけ読んでも楽しみが分からない。ある程度の量を、ほかの時代の受賞作を合わせて読むと、比較の中での面白さとか芽生えてくる。

菊池 この時代はそうだったのか、と。「ベティさんの庭」(山本道子、72年下期)とか、この時代はまだ海外に移住している人は少なくて、そこでの孤独とかあるよな、みたいな。数年後にはまた、同じようなテーマで違ったものが受賞したりして、時代はこう変わったのかみたいな楽しさはありますね。賞として読んだ方が面白い。

川口 そういう意味で芥川賞はうまくできている賞だなって思います。これが全部長編だったら、さすがにちょっとね。山が高すぎるじゃないですか。一編を読んだって200枚とか。短ければ100枚程度。なんとか歩んでいこうと気を起こさせる、この文学賞としてのうまさがいいな。直木賞ももちろん時代性は現れていると思いますよ。受賞作は時代小説だとか、ミステリー、恋愛小説、いろんなジャンルがあって、書いている時代もバラバラとはいえ、やっぱりこの時代だからこの小説が取ったんだって言うのはあるとは思う。ただ、最初の4回だけ見たって、もうバラバラですからね。なかなか流れの中で読むのは厳しいですね。

第161回受賞作を大胆予想!

――まもなく、最新の芥川賞と直木賞が発表されます。むちゃぶりで恐縮ですが、あえて予想をしてもらえますか。

菊池 個人的に予想するなら、芥川賞は今村夏子さんと高山羽根子さんのダブル受賞じゃないかと思います。今村さんは3回目で、すごい実力がある人。今回の作品も読みやすい文章で、語り手の静かな狂気がおかしみを生んでいて、とても面白いです。今村さんが本命じゃないでしょうか。けれど、テーマ性の鋭さで高山さんもぜんぜんあり得ると思います。なので、女性2人のダブル受賞ではないか。前回は男性のダブル受賞だったので、バランスもいいですよね。古市憲寿さんは個人的に一番楽しめましたが、あまり芥川賞っぽくない作品です。しかし、それが逆に個性として際立っているので、ダークホース的な受賞はあるでしょう。古川真人さん、李琴峰さんはどちらもそれぞれのテーマを突き詰めている感じはありますが、これからの人という感じがします。今村さん、高山さんが本命ですね。

川口 今村さんも高山さんも、過去の候補作の評価は高かったですよね。

菊池 直木賞は予想ってできるんですか。候補作を見てこれ取りそうって。目星がつくのですか。

川口 いくら読んでも的中率が上がるものではないです。私の能力の問題かもしれないですが。なんとなく取りそうだなって思っていても全然取らないケースも多々ある。思っていた通りに取ったのは何回かある。悩む必要ないんですけどね。責任もないし(笑)。今回は誰が取っても、いいような段階の人たち。サプライズ受賞はない。初候補は朝倉かすみさんだけど、中堅もいいところの人。難しい。窪美澄さんかな。あと時代物どっちか(大島真寿美さん、澤田瞳子さん)って感じですけどね。窪さんは今回の中でも過去の直木賞受賞作の系統に近いかな。直木賞的な構成と人物かな。

菊池 窪さんか、原田マハさんの単独受賞だと思います。納得度ですね。直木賞は分からないですけど、芥川賞は納得度は気にしてそうな受賞になっている。又吉さんと羽田圭介さんが同時受賞とか。当時、又吉さんの単独はなかったと思う。そういう納得度みたいなのはあると思う。

川口 それぞれの選考委員の考えはあるでしょうね。作家の作品主義と言いながら、作家の業績なり、今までに書いてきたすべて。あとは、文壇の中で総合的に判断した賞。でも、どんな文学賞もそうかじゃないかと。人間が決めている訳ですから。窪さんは前回が2位というか最後まで残って。選考委員の人にとって心地よい作品観とか世界観がある訳じゃないですか。そこに窪さんの作品は合ってはいるはず。

菊池 誰が取ったかに興味がある。誰がどういう理由で、どういう人生を歩んできて取ったのか。芥川賞を全部読んで全体がすごい群像劇に思えたんですよ。この人とこの人がいて、しのぎを削ってこの人が取って、そのあとこうなってみたいな。トキワ荘じゃないですが、いろんな人が切磋琢磨して一個の目標、賞に向かって人生を懸けてやっているっていう。そこにすごいグッときたので、取る人がどんな人かっていうのがすごく興味ある。似たような人は取らない。別々のアイデンディテイーを背負った人が受賞していくんです。

――本のなかにも書かれている作家のエピソードなどはどうやって知るのですか。

菊池 選評がありますし、「新潮文学アルバム」といったオーソドックスな年表などで調べます。同じ時代に、いろんな人がいろんなことをやっているっていうのが単純に好きですね。映画「アメリカン・グラフティ」みたいな群像劇。アメグラ最高ですよ。芥川賞もアメグラにしようと思っていて(笑)。今、そういう本を準備しているんです。

川口 直木賞も群像感あります。でも直木賞は、直木賞って言葉では本にならない。残念ながら、なぜか直木賞の通史って、ほんと見かけない。私の前に直木賞史なし、私の後に直木賞史なし、って感じで。

菊池 かっこいいですね。前人未到。

川口 かっこよくないです。寂しいです(笑)。芥川賞の菊池さんの本を読んで、そうだなと思ったのは、受賞作が時代、時代を刻んでいる。かつ、そこに受賞した人、候補になった人たちは生きた人間たち。バックグラウンドなりを考え出すと夜も眠れないというか、非常に興奮するなと。この楽しさに引きつけられて、いまだに私は直木賞のサイトをやっているんだなあと再認識しました。受賞作を読むこともさることながら、そこにいる人たち、受賞者だけなくて、選考委員や候補作家、編集者や我々も含めての総合体が直木賞だと思っています。そういう人たちに関する昔のエピソードを知ったり、調べていく。面白いなと思いますよ。

菊池 僕は次に全部読むのを決めていて、ノーベル文学賞しかないかなと思って。『ノーベル文学賞全集』っていうのが主婦の友社から26巻でています。調べたらそろいで2万円だったので買うしかないかって(笑)。1976年まで全集であるので、これはいけるな、いくしかないか、と。まずは、ノーベル賞を全部読む(笑)。

(司会・野波健祐「好書好日」編集長)