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三浦瑠麗さんが赤裸々につづった人生の“痛み” 自伝的エッセイ「孤独の意味も、女であることの味わいも」

文:篠原諄也 写真:黒澤義教

自殺願望がもうなくなった

――今回のエッセーは、三浦さんの幼少期の記憶から、家族のこと、進学のこと、そしてお子さんの死産や許しがたい暴行事件のことなど、赤裸々に綴っています。なぜここまでオープンに書いたのですか?

 もともとは読売新聞で書いた書評がきっかけでした。アメリカのベストセラー『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』(著者ジャンシー・ダン、太田出版)の書評を書きました。著者は『セックス・アンド・ザ・シティ』の主人公・キャリーのような、軽やかなコラムを書く方なんですが、この本では自分が当事者として子育てを経験したときに感じた困難を分析的に書いています。その体験と分析の両方が面白かったと評したのですが、書評を読んだその本の担当編集者から「女の本を書いてみないか」とオーダーをいただいたんです。女性としての生きづらさを感じているであろう三浦瑠麗が、それをどんな風に克服したのか。ロールモデルを提示してほしいと依頼を受けました。

 最初はその依頼に魅力を感じるとともに、自分にはできないなと感じました。ロールモデルはみんなが目指すようなものだし、処方箋のようなハウツーを一通りそろえることも自分には向かない。当事者の声をあまりにカテゴライズすることになると感じました。そうお伝えして、オファーを寝かせていたのですが、しばらくしてふと「自伝としてならば書けるかもしれない」と思ったんです。ひとつのストーリーとしてお示しをすることで、何らかを汲み取っていただけるのではないかと。去年の10月に10日間ほどで集中して書き上げました。

――2010年に長女の珠さんを死産した経験を綴ったエッセーでは、出産の様子を細部まで描写し、その後の思いの変化を細やかに記しています。この経験について書くには、一定の時間が必要だったのでしょうか?

 やはりあまりに出来事との距離が近いと、感情ばかりが蘇ってきてしまいます。当時から自分を客観視するほうではありましたけれども、適切な距離をとって、その物事を自分に対する意味も含めて総括するためには、何周も何周も(振り返ることを)繰り返さなければいけませんでした。

 時を経て、物事は違った色合いや角度で見えてくるようになります。自分の中での珠ちゃんの位置付けや、その場面を振り返った時の印象、手触りみたいなものが書ける段階に達するには、このくらいの月日が必要だったということです。

――それは三浦さんの人生の中で、どのような経験だったのですか?

 一言で言うのは難しいんですけどね。今までの 私の人生の中でどういう瞬間だったかといえば、まずは母性が生じたことがひとつでした。当時は珠ちゃんに対して溢れ出すような愛を感じたのですが、その母性がもっとも表出する時に、抱っこする珠ちゃんがいなくなってしまいました。対象を失った母性は、私に内省を迫りました。ひたすらひたすら自分との応答を繰り返さざるを得なかった。お産の直後は風の音や匂いを感じるだけで、その日を生きている実感が与えられる気がしました。後から振り返ってみれば、あれから「死にたい」と思うことがなくなりました。

――それまでは「死にたい」と感じることがあったのでしょうか?

 私たちは小さい時から、様々な死に対する想像を巡らせていますよね。夢の中のシーンで死にそうな状況を体験したりする。夢に出てくる「飛びたい」「泳ぎたい」といった欲望もそうですが、生と死のあいだで、死に限りなく肉薄してみたいという欲望は、無意識にあるわけです。

 私の場合は親子喧嘩や兄弟喧嘩が大嫌いでした。また学校という閉ざされた空間から脱出したいと思うことがよくありました。そんな時は大抵「外界から自分を遮断したい」「消えたい」と思っていました。私はどちらかと言えばおとなしい、内省的なタイプだったので、外界と距離を置くことは容易かったんですよ。

 前は怖がって自分を守って、殻をつくっていた。しかし、今の私は真逆で、オープンに色々なものに心を開いたり、人との交流をあえて求めたりしている。これはどういう変化なんでしょう。お産を通じて、自分を守る必要がなくなったのでしょうか。自分とは異なる他者に関心を向けることで、克服したのでしょうね。

性的暴行事件について綴った理由

――本の中では、中学生時代に下校中に起こった集団性的暴行事件について語られています。その体験を記した後に「人生は、こんな経験よりもはるかに豊かだった」「人生における愛や死の方が、より深い痛みと力、そして喜びを与えてくれた」と書いています。珠さんを亡くされた経験も含めて、人生は「豊かだった」と表現する書き方に、三浦さんの強い決意のようなものを感じました。

 珠ちゃんを産道を通して産むことは、暴行事件とは全く違うタイプの身体的侵食でした。自分の意に反した何らかの外界からの侵害ではなく、自分が産み育てたいと思う存在をお腹の中で血を送ってつくりだして外に出す、という営みでした。むしろ私によって生み出された側こそが無力な存在なのです。お産の痛み自体は人生最大の痛みでした。けれどもその痛みは、暴行とは全然違うものだったわけです。

 暴行事件は最大限の身体的・心的侵害が降りかかった出来事でした。それ自体が大きなショックであっただけでなく、死がまざまざと近寄った感覚がありました。その時の私が何を思ったか。世の中には想像を絶する悪が存在するんだということ。自分はそれとは一線を画しておきたい、そういうものに決して交わりたくない、と感じました。いますぐそこから逃れるために死ぬべきだ、と感じました。自分の中でぷつっと音が聞こえて、自然に死ねるのではないかと思ったのです。しかし、そうはならなかった。そして、自分自身もやはり殺されたくはなかった。その矛盾に悩み、その後、高校時代にはよく急に倒れたり、意識がなくなったりすることがありました。今振り返れば、原因は精神的なものだったと思います。より直接的な自殺願望もありました。

――本の後半部の1つのエッセイで、唐突とも言えるように性的暴行事件について語られます。こうした書き方にしたのはなぜでしょうか?

 暴行事件がひっそりと置かれているのは、意図してのことです。そもそも、この本は性的暴行についてのみ書かれた本ではありません。しかし、性的暴行について書かざるを得なかったからこそ、被害を受けた人でなくても、性的暴行について何か運動をしている人でなくても、共感できる可能性を模索して書いたんです。私たちは生きてきた中で、どこかに同じ風景を共有しているはずです。たとえば、事件後に「あんずの木」の下で「外水栓」の水で顔と手を洗ったと書いたシーンがあります。そういう一つ一つのものを通じて、日本という場を共有している私たちが、何か共感できる可能性があるのではないかと思いました。

 出版して二カ月ですが、本の感想を様々に頂いています。拝見して、当初の目的は遂げたと思わされることがありがたいことに多いですね。いろんな意味で「癒し」をもらったという嬉しい感想をいただきました。ほとんどの読者は私と人生がまるでかぶっていない方々。けれども、どこかに共感してくださったんです。

 性的被害を社会問題化することのよい側面は、社会を変えられること。負の側面は社会問題化する過程にも暴力性が潜んでいることです。今まで、性的被害を克明に聞いたことがないから社会に変化が起きなかったのではありません。性的被害の物語はそれなりに世間で消費されています。えげつないまでの暴力の描写もあれば、立ち直れなくなった人生の例示も、たくさんあります。人々はそれをエログロ的な興味で消費したりもします。そのように消費している限りは、被害者が見た加害者の怖ろしい顔を誰も追体験しないんですよ。

 被害者に寄り添っているようでいて、実は被害者の見た光景や感じたものが完全に切り落とされてしまい、何か別のものにグロテスクに変化してしまうことがあります。そうしたものとは違ったものを提供したかったんです。

――「#MeToo運動」など性被害を告発する運動が広がっています。三浦さんは被害を受けた人々への思いや社会のあり方についての考えを積極的に発信していますね。

 「#MeToo運動」が出てきてからは、そうした事件が起きるたびに、番組やツイッターなどで発信してきました。自分がこういう事件の当事者だと言わなかったのは、被害者とされる人、個人のストーリーを尊重したかったからです。その都度「彼女のおかれた状況はこうだったんじゃないかな」と思いをいたして、寄り添ってきました。被害者バッシングがあれば、それに反論しました。同時に社会科学をやっている人間として、「公平性の観点から法律はどうあるべきか」など、距離感を保ちながら発信してきた側面もあります。

――今後はそうした運動はどのように発展して、どんな社会になっていくといいと思いますか?

 女性運動としての#MeToo運動がどのように発展していくべきかに関していうと、現段階ではやはり、怒りや女性が不遇であることの表明は必要でしょうね。けれども、本来は嫌な性的言動をされた時に「嫌だ」と言える社会や人間をつくることが大事だと考えています。「嫌だ」と言える人間をより多く育てるためのフェミニズムであるべきだと思っています。

 「嫌だ」とその場で即座に言ったとしても、罰を受けず、誰かが助けてくれるのが第一です。世の中には、犯罪者もなくならないし、権力欲がある人もなくならない。そういう事件が起きてしまった時には、被害者は「嫌だ」と言えて、犯罪の場合は負担が少ない形で警察に通報できて、すぐに加害者は応分の処分を受ける。

 それが社会の常識になることで、なるべく性被害やセクハラを起こしにくい世の中になっていくと思います。女性が安心して働けて、活躍できるようになる。少しずつ意識が変わっていくと、そこでまた相乗効果が起きて、必ずしもひとつだけの社会的価値観で塗り固められた組織や社会でなくなると思います。

――「嫌だ」と言うと、周りがそれに対応する。その積み重ねで少しずつ変わっていくのですね。

 人間は誰であろうと、痛みや他人との意思疎通不可能性を抱えて生きています。暴力性や支配欲があって、構造的に弱者の立場に置かれた人間を、性的に搾取する場合があります。搾取する性、される性が逆になることもあります。

 多くの人が傷つき、困難を抱えている。しかし、同時に他者と繋がりたいという欲望も抱えて生きている。だからこそ、現実的には、一人ひとりの生き様というか、自我の保ち方がとても重要になってくるんです。暴力性の消えない社会のなかで、人間が生きていくとはどういうことなのか。どういう風に障害や侵害をはねのけながら、自分を発見していくのか。この本ではそんな普遍的なテーマを書いているんです。

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