新宿にあった軽演劇とレビューの大衆シアター「ムーラン・ルージュ」などで活躍し、「まっちゃん」の愛称で知られた明日待子(本名・須貝とし子)さんが今年7月、お亡くなりなった。99歳だった。
押田信子の『兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争』(旬報社)という本がある。この本には明日待子さんのインタビューが載っていて、こんな言葉が書かれている。
「私の青春と戦争とはちょうど、同じ時期でした。同じ頃、出征した皆さんも一緒です。青春をみんな、戦争に奪われてしまったんです。でもね、若かったから、全然、へこたれませんでしたよ」(28ページ)
「舞台と客席が非常に近いこともあり、直に学生さんたちの悲壮な気持ちが伝わってくるのですから、踊る方も辛かったです。これが最後の見納めと思って、お出になる方に対して、こちらも最後の舞台になるかもしれない。B29が飛んできて爆弾を落とし、東京中が火の海になるような時代ですから真剣です。」(27ページ)
あの時代にも今と同じように、アイドルが存在し、彼らの心の支柱になっていたこと。暗い、閉塞した時代だったからこそ、今よりももっと強い気持ちで、憧れのアイドルを思ったこと。ムーラン・ルージュのセンターとして君臨した明日待子はそれを柔和な笑いに包んで、戦争を知らない世代の私たちに、はっきりと知らせてくれたのである。(33ページ)
明日さんは、結婚を機に札幌市に居を移し、「五條珠淑」の名で日本舞踊の活動を続けていた。9月8日には、札幌市教育文化会館で百寿を記念した「宗家(明日待子)芸歴八十六周年 百寿の会」が予定されていた。親族によると、亡くなる前日まで練習に励んでいたという。
その公演は、偲ぶ会として、明日さんの意思を継いで予定通り開催された。夫が、生前の明日さんを取材したことがあり、そのご縁もあって、夫と一緒に観に行った。
公演は第一部と第二部に分かれていた。私は、日本舞踊にはあまり詳しくないが、門下生たちは真摯に華麗に踊りを披露していた。一つ一つの所作が計算されていて、しなやかさで、鮮やかだった。とても美しかった。
幕間には、明日さんが出演した映画『春爛漫狸祭』(1948)も放映された。明るいラブロマンスコメディーのミュージカルで、明日さんは当時28歳。劇中ではヒロインの「夕月妃」を演じ、ぱっちりとした目と、上品な笑顔が印象的だった。
いまや私は本や映画でしか、明日さんのご活躍や思いを知ることができない。けれど、この公演を観て、明日さんが遺したもの、伝えたかったことを肌で感じることができた気がする。明日さん、どうか安らかに。ご冥福を心よりお祈りいたします。