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「掃除婦のための手引き書」「バタフライ」 わたしたちの人生はコインの裏表 朝日新聞書評から

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月14日
掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集 著者:ルシア・ベルリン 出版社:講談社 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784065119297
発売⽇: 2019/07/10
サイズ: 20cm/317p

バタフライ 17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで 著者:ユスラ・マルディニ 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:伝記

ISBN: 9784022516213
発売⽇: 2019/07/19
サイズ: 19cm/445p

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集 [著]ルシア・ベルリン/バタフライ 17歳のシリア難民少女がリオ五輪で泳ぐまで [著]ユスラ・マルディニ

 故人であるルシア・ベルリンの短編が再評価されている理由を知りたければ、手にとって味わってみればよい。日常を切りとった生々しい描写とことばの熱量に圧倒されるのはまちがいない。でも、そのことは脇へおいておく。
 自らの体験をもとにしたフィクションと純然たるノンフィクションを同列に並べる無謀さについてもお許しいただきたい。その上でルシアを「Aのわたし」、ユスラを「Bのわたし」と仮にしておく。
 Aのわたしはアラスカで生まれ鉱山町を転々としてテキサスで幼少期をすごし、チリ、NY、メキシコなどへ移り住む。大酒呑みの祖父や「辛辣で、毒舌で」アル中の母と「ゴミためみたいな」エルパソの貧民街で暮らした日々は、短編の素材にもなっている。
 Bのわたしはシリアのダマスカス出身。裕福で家族仲もよく、水泳選手をめざす日々。だが戦渦に巻き込まれる。「死は無差別に、いつ降ってくるともしれないものだった。真っ昼間の車で混雑する道路に、何の前ぶれもなく空から爆弾が落ちてくる」。それが現実。
 Aのわたしは結婚・離婚をくりかえし、三度目は夫の薬物中毒で離婚、四人の息子を育てるシングルマザーである。そして自らもアルコール依存症に苦しむ。
 Bのわたしはドイツを目指し、密航する。「こんなおもちゃみたいなボートで荒れ狂う海に出るなんて。(中略)いつの間に、わたしたちの命はこんなに安くなってしまったの?」。九死に一生を得たが、待っていたのは騙され捕らわれ差別視される過酷な日々だった。
 Aのわたしは掃除婦や看護師、高校教師、電話交換手など様々な職で生計を立て、その経験を小説に書く。たとえば表題作の一節。「掃除婦と猫に話しかけるとき、女たちの声は二オクターブ高くなる。(掃除婦たちへ:猫のこと。飼い猫とはけっして馴れあわないこと……)」というように。
 Bのわたしはベルリンへ。水泳を再開して難民五輪選手団の一員となりオリンピックに出場、一躍有名人になる。もちろんそこにはうしろめたさや逡巡も。お金も家も祖国も文化も歴史も人格も夢も行く先も感情もなくした難民は「人間性をほとんど剥ぎ取られた、抜け殻のような存在」であると、わたしは実感している。
 A→中南米、貧困、アル中、孤独B→難民、差別。キーワードからみてもAのわたしとBのわたしはコインの表と裏のようだ。
 人は生まれる国を選べない。家族も選べない。お笑い番組で笑っていられるのはほんのひと握り。
 巧緻な短編を熟読するもよし、難民の不屈の勇気に拍手するもよし……私なら、両書を並べて読むことをおススメする。
    ◇
 Lucia Berlin 1936~2004。アラスカ生まれ。本書所収の「わたしの騎手」がジャック・ロンドン短編賞。生涯に76の短編を執筆▽Yusra Mardini 1998年生まれ。難民五輪選手団の一員で2016年のリオ五輪出場。