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「殺す親 殺させられる親」書評 命の価値定めようとする社会で

評者: 武田砂鉄 / 朝⽇新聞掲載:2019年09月21日
殺す親 殺させられる親 重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行 著者:児玉 真美 出版社:生活書院 ジャンル:健康・家庭医学

ISBN: 9784865000993
発売⽇: 2019/08/23
サイズ: 19cm/375p

殺す親 殺させられる親 重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行 [著]児玉真美

 「殺させられる親」という聞き慣れない響きを、あえてタイトルに刻んだ思いが、読み進めるうちに立ち上がってくる。私たちはいとも簡単に「同じ親として」などと「親」を持ち出し、決定打のように使う。一方で、「親」はあれこれを一気に背負わされる。著者は、重い障害のある子どもを持つ親として、自分の子の命を「生きるに値しない」と定めようとする社会の静かな圧、露骨な圧が生まれてしまう理由を、実体験をぶつけながらほどこうとする。
 生きるものを「パーソン」「ノンパーソン」と序列化する「パーソン論」が浸透し、「親が子どもをデザインする」時代にあって、殺してやることが親の「慈悲」だとする「mercy killing(慈悲殺)」なる考え方が生まれ、精査されることなく「安楽死」の議論にすり替わっていく。
 人の「意思」とは、「何色」と名付けられるような単色ではなく、いくつもの色の「あわい」で揺れ動いている。人間の尊厳とは、「『ある』とか『ない』と言えるようなもの」ではない。医者は重症心身障害者を「この人の医療をどうするか」と「点」で見つめるが、親子にとってはどの瞬間も、人生の「線」であるはず。いかに「主体として尊重されているか」を常に考えなければいけない。
 親が「本人のため」を容易に用いるのは、時に権力の行使になると気づく必要もある。子どもに対して「強い者」であることをどう捉えるか、悩み続ける。
 二〇一六年に発生した相模原障害者施設殺傷事件の後、命の価値をめぐって乱暴な意見が飛び交った。社会ではなく、家族に負担を背負わせ、個々の事例として親子の問題に収斂させ、「殺させる社会」を作る。親が子の命を管理することに寛容になり、やがて「殺させられる者」に追い詰められていく。「親の願いは、突き詰めれば一つだ。苦しめたくない」。個々の意思が軽視される社会に、希望を探し当てる。
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 こだま・まみ 1956年生まれ。日本ケアラー連盟代表理事。著書に『私は私らしい障害児の親でいい』など。