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やまゆり園事件から3年 「生きる価値」の大切さ問う 立岩真也・立命館大学大学院教授

入所者ら46人が殺傷された「津久井やまゆり園」前には報道陣が集まった=2016年7月26日、相模原市緑区

 2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で46人が殺傷される事件が起きてもうすぐ3年。多くの本が出ている。17冊の関連情報を立命館大学生存学研究所のサイトにおいたのでご覧頂ける。

 あれはいったいどんな出来事だったのか。『妄信』は事件から1年近く、記者たちが取材したその記録から作られた。『開けられたパンドラの箱』は18年に出版された。被告の話、文章やマンガも収録されている。出版には反対する声もあったという。これからのこと等、補足すべき情報もある。精神障害と治安・医療の関係も重要だ。だが略す。

 他の本も含め、皆とても怒り悲しんでいる。しかし私はなにか「引けている」感じがした。不可解な基準で生きてよい人/死ぬべき人を分けるのはなぜか言ってみろと詰問し強く「圧」をかければよいと思った。

 本を読んで理解可能な理由は一つだ。つまりある人たちを生かしていくと社会はやっていけないと被告は思っている。それは自明の出発点になっていて今も取り下げていない。

 もしその認識が当たっているなら、辛(つら)くとも皆が死ぬまで互いに生きていくしかないのだという少し高級な「倫理」を語る必要もあるかもしれない。だがもし当たっていないなら、被告が人を殺してよいとする理由は、なにもなくなる。

いいところ探し

 しかし、被告も記者たちも今は既に大変でこれからの社会はもっと大変になるという話を聞いて育った。それで被告は信じ込み、周りは言いよどんでしまっているという感じだ。

 すると人がしてしまうのは「いいところ」を探してくることだ。障害者「でも」こんな楽しい暮らしをしていると書く。実際、おもしろい人もいるし楽しい暮らしもあるから、知らせたらよい。しかし、それをもって生の否定を否定するのは間違っている。被告は、「そんないいことばかりでない」と言うだろう。私たちもそう思う。

 だが今は暗く未来はなお暗いという認識が間違いなら、悲愴(ひそう)になることもない。私は間違っていると考える。お金の集め方と使い方をかなり前からまた今も間違っていただけだと考える。それを直し、暮らしに必要なものを堂々と受け取ればよい。

 しかし、『妄信』は暗い予想を、もっと上の世代、私が多くを学んだ最首悟(さとる)和光大名誉教授も共有しているように書いてある。私と意見が違って構わないが、昔のナチスの話だけでなく今の政治・経済を分析することが、この出来事に対して報道・言論がすべき大きな一つだと思う。

強い否定の思い

 そして、こうした暗い不安のもとで、病・障害を得て、生きる困難を思い、生きる価値がないと信じて、自ら死ぬ人がいる。むろん、殺人と自殺とはまったく異なる。しかし、生きる価値がないというもとにある理由は同じではないか。だが前者は責められるが、後者は美しいこととして描かれる。この間もそうしたテレビ番組があった。

 それは不思議なことではないか。他人の命より自分の命をたいがいの人は大切にする。その大切な命を捨てて、障害者でなくなろうというのだから、その否定の思いはむしろより強いとさえ言える。人をそんな思いにさせてよいのか。それを肯定するような描き方をするのがよいのか。それに気づき考えるのも報道・言論の課題・仕事だ。

 『生きている!殺すな』は、強く悲しみながらも弱気になったり、自死を肯定してしまったりする心性から遠く離れて、生きている人たち、その生活を手伝う人たちの文章が集められた本だ。むだに暗くなったりせず怒っている本だ。そんな人たちを知らなかったら読むとよい。=朝日新聞2019年7月20日掲載

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