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神尾茉利さん『刺繍小説』インタビュー 物語の楽しみ方を広げる魅力的で不思議な本

文:太田明日香 写真:斉藤順子

――この本を作ることになったきっかけを教えてください。

 最初は刺繍のハウツー本を依頼されたんですけど、それって刺繍するために読むものだから、本屋さんでも手芸コーナーの棚にしか置かれないんです。だから刺繍しない人や刺繍しないときにも読んでもらえる本を作りたいなと思ったのが始まりですね。

 わたしも今まで思い立って料理や編み物の本を買ってみたけど、やらないときにその本の価値を活かしてあげられなくて自分が持っていてはかわいそうな気持ちになってしまうことがあったんです。そうじゃなくて、本棚にささっているだけでも、なんだかうれしくなる本にしたいなって思いました。

――刺繍が出てくる小説がこんなにたくさんあるのに驚きました。太宰治『女生徒』、西加奈子『円卓』、三浦しをん『あの家に暮らす四人の女』……。

 あるとき、お料理のシーンや編み物のシーンは割とあるけど、刺繍のシーンって読んだことがないなと思って探し始めたら、20冊以上見つかって。それを刺繍にしてみたいなと作り始めました。この本を一緒に作った編集者の方も元々文芸の担当をしていたのですごく小説に詳しくて、教えてもらったりもしました。

――この本には「刺繍小説」の紹介だけでなく、神尾さんが小説の小物にあったかもしれない刺繍を想像して刺した刺繍や、もし登場人物が動物だったらと動物の刺繍をするコーナーがありますが、このアイデアはどこからわいてきたんですか。

 刺繍が登場する小説をそろえて、掲載する刺繍作品のほとんどを作ってから、どういう構成にしたらいいか悩んだので、アートディレクターとデザイナーと一緒に作ることにしました。この本を読んだあとにまるで小説を一冊読んだような情緒を感じるようにしたくて、そのコンセプトに合うものはどんなページだろうとみんなで手探りしながら一緒に取り組んでいきました。
 「刺繍小説」を紹介するだけじゃなくて、「刺繍を切り口に小説を読むことでこういう楽しみ方ができるんだよ」とか、「自分の解釈を刺繍にして物語に食い込ませて行くことがこんなにも豊かなんだよ」ということも伝えたくて、自分の好きな小説に登場する小物に「あったかもしれない刺繍」を妄想してみたり、登場人物を「あの子が動物だったなら」と想像してみたり、「刺繍小説」から好きなシーンを抜き出して名言集みたいなコーナーを作ったり、写真の撮り方を工夫したりしました。 

――ふだんもよく本を読まれるんですか。

 「あったかもしれない刺繍」で紹介しているのは好きな小説ばかりですが、「刺繍小説」の方はほとんど初めて読む本ばかりでした。知らない小説家もいっぱいいたので、探して読むのが楽しかったし、刺繍の表現がさまざまでうれしかったです。
 こうやっていろんな刺繍の表現を読むと、刺繍をやる人って結構ドラマチックなんだなって思いました。こんなにいろんなお話になるぐらいに、趣味なり仕事なりで刺繍することってドラマチックですてきなんだっていうことが伝わるといいなって思いました。
 以前ワークショップをやっていたのですが、刺繍する人にもいろんなタイプの方がいるんです。スペースを全部刺繍で埋めたい人とか、すごく細かく丁寧にやるのが好きな人とか、さっぱりした感じで終わる人とか。その人たちに「あなたにはこれ」、「あなたにはこれ」って渡したいくらいいろんな小説がありました。

P58-59に登場する神尾さんの手描きのノート。ふだん本を読む時は印象に残った言葉が出てくるページの端を折ったりするだけだけど、この本の制作のために読書ノートをつけた。さらにそこから登場人物のイメージをふくらませてイラストノートを作った。
P58-59に登場する神尾さんの手描きのノート。ふだん本を読む時は印象に残った言葉が出てくるページの端を折ったりするだけだけど、この本の制作のために読書ノートをつけた。さらにそこから登場人物のイメージをふくらませてイラストノートを作った。

――導入の文章から小説のようで印象的でした。この本では初めて長めの文章を書くことにもチャレンジされたそうですが、文章と刺繍では何かちがいはありましたか。

パチン。私は玉留めをした針を左手に持ち替え、ハサミで糸を切った。糸切りバサミではなく裁ちバサミで横着(おうちゃく)をするから、刺繍(ししゅう)したての大事な糸まで切りそうになる。あぶない。布を表面(おもてめん)に返すと、水色の刺繍糸で刺された波模様が現れた。先ほどまではそこに無かった波だ。

 言葉って刺繍よりもちゃんと意味が届くから、ライターさんとかコピーライターの方とか見ていると言葉を使うってすごいなって思います。言葉には意味があるからそれを読んだ人に批判的に取られることもあるじゃないですか。だから結構ドキドキしながら書きました。

――「刺繍小説」で取り上げた『トリツカレ男』の作者のいしいしんじさんとも対談されていましたね。

 すてきな小説に勝手なわたしの解釈の刺繍を作って本にしたら、元の小説を書いた小説家は気になるかもしれないと思って、ご本人の言葉を載せたいなと対談をさせてもらったんです。
 対談でいしいさんが「小説を書くときは草を刈るように振り向かないでずんずん書くけど先がどうなるか不安にならない。小説も刺繍も人を幸せにするためのものだから大丈夫」というようなことをおっしゃっていて、なんだか励ましてもらったような気持ちになりました。

『トリツカレ男』いしいしんじ(P8-9)
 いろんなものに取り憑かれたように夢中になる主人公は、あるとき刺繍にはまる。刺繍されたハツカネズミは主人公を励ましてくれる友達。きっと力を入れて刺繍するだろうと、念入りに刺した。布はのちに主人公の恋人になる女の子のトレードマークの白いオーバーコート。
『トリツカレ男』いしいしんじ(P8-9)  いろんなものに取り憑かれたように夢中になる主人公は、あるとき刺繍にはまる。刺繍されたハツカネズミは主人公を励ましてくれる友達。きっと力を入れて刺繍するだろうと、念入りに刺した。布はのちに主人公の恋人になる女の子のトレードマークの白いオーバーコート。

『あの家に暮らす四人の女』三浦しをん(P20-21)
 主人公の佐知は刺繍を仕事にしている。主人公にとって刺繍は自分のモヤモヤした気持ちを表現する手段にもなっている。彼女の性格だったら、きっと細かい刺繍をするだろうと想像しながら、細かいステッチをほどこした。
『あの家に暮らす四人の女』三浦しをん(P20-21)  主人公の佐知は刺繍を仕事にしている。主人公にとって刺繍は自分のモヤモヤした気持ちを表現する手段にもなっている。彼女の性格だったら、きっと細かい刺繍をするだろうと想像しながら、細かいステッチをほどこした。

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(P54-55)
 神尾さんの大好きな一冊。図書館で働いている胃拡張でよく食べる女の子が、明日世界が終わるという主人公と一緒に、食事に行ったシーンで持っていたであろうバッグを想像して作った。聡明な彼女なら、物語や歴史のあるものを大事にしているのではないか。そんな想像から、どこかの蚤の市で買った古代の柄のアンティークのバッグという設定で刺繍した。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(P54-55)  神尾さんの大好きな一冊。図書館で働いている胃拡張でよく食べる女の子が、明日世界が終わるという主人公と一緒に、食事に行ったシーンで持っていたであろうバッグを想像して作った。聡明な彼女なら、物語や歴史のあるものを大事にしているのではないか。そんな想像から、どこかの蚤の市で買った古代の柄のアンティークのバッグという設定で刺繍した。

――この本は本当にいろんな読み方ができますが、一言で言うとどんな本だと思いますか。

 作っているときに、出版社の人からこの本は本屋さんのどの棚で売るのってよく聞かれたんです。確かにハウツー本でもないし、文学案内でもないし、一言でぱっと言える本ではないけど、わたしは「刺繍小説」っていうコーナーができたらいいなって思います。
 料理のシーンが好きな人、それを再現して作って食べてみたい人というふうに、それぞれの個人的な楽しみを深堀りしながら、「◎◎小説」と名づけて読んでいる人はいると思うんです。だから、もっと「◎◎小説」という楽しみ方を広げられるといいな、いろんな人の楽しみが詰まったそういう名前の棚ができたらいいなって思います。
 一過性のものではなくて、誰かがすごく大事にしてくれるだろうなと思いながら作ったので、より多くの人に見ていただいて、その中にすごく好きになってくれる人がいたらいいですね。