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ヨルシカ(バンド)×三秋縋さん(作家)鼎談 思想の種子をめちゃくちゃまき散らしたい【前編】

構成:福アニー

みんなに同じ思想の病気にかかってほしい(三秋)

n-buna(以下、ナブナ):三秋さんの『君の話』は発売してすぐ書店に行って買ったんですけど、本当にすごいよかったです。僕は夏が舞台の作品がめちゃくちゃ好きで、自分もそういうものばっかり書いてるんですが、三秋さんもよく夏を題材に書いているので、勝手にシンパシーを感じています。やっぱり自分に近い価値観のものって好きになるから、理想的な形でアウトプットしてる人がいるなあと思ってずっと追っております。大好きですね。

三秋縋(以下、三秋):ありがとうございます。僕もヨルシカの「夏草が邪魔をする」を聴いたとき、こんなに近いところで物を書いている、作っている人がいるんだと驚いた記憶があります。自分の小説はよく捻くれているとか歪んでいると言われるんですが、こっちからすると自然なこと、当たり前のことを書いているんですよね。だからヨルシカと出会って、「ようやく普通の人がいた」と安堵しました。

ヨルシカ - 夏草が邪魔をする (Album Trailer)

ナブナ:すごくわかります、同類が見つかったみたいな(笑)。三秋さんの小説の登場人物って、紆余曲折があったり疑心暗鬼になったり、「恋愛って詐欺じゃね?」ってこじらせていく感じがいいですよね。僕自身そういうタイプの人間なので、どうして世の中の恋愛小説ってそのまま人を信じてまっすぐ付き合っていけるんだろうって不思議に思うんですよね。

三秋:そもそも僕は、物語における「ヒロイン」って概念がひどく疑わしいものだなと思っていたんです。そんな都合のいい相手が存在するわけがない、しかし何かの間違いでそういう運命的な関係性が成立することがあるとしたら、そこにはどういった経緯が見出されるべきか、ということで逆算して作ったのが『君の話』になります。僕からすると拗れている方が自然な状態に感じられるというか、むしろまっすぐいくほうが歪んでいるように感じられる。たとえばつる性の植物って放っておくと好き勝手な方向に伸びていきますけど、支柱を用いて直線的に生長させた状態を自然と呼ぶかっていうと、そうでもないと思うんですね。そういった意味で、僕は自然な歪みを書きたいなと思っていて。ナブナさんの楽曲群からも同じようなものを感じています。

ナブナ:僕が作ったものもストレートに歪んでいるからなあ(笑)。

三秋縋『君の話』(早川書房)

suis(以下、スイ):私は『恋する寄生虫』と『君の話』と『いたいのいたいの、とんでゆけ』を読んだんですが、共通して思ったのは、赤裸々に語られてしまった女の子が出てくるなって。普通の女の子って恥ずかしいことしてるのがばれたくないとか、それを隠して自分をきれいに見せたいとかあると思うんですけど、それがないから読んでて胸が痛くなりました。そういう当たり前にある汚さって不自然なものとされるけど、むしろ逆にすごく自然に感じるっていう。ヒロインそれぞれに独特の魅力があって、三秋さんってこういう女の子が好きなのかなって思い描いてしまいました(笑)。

三秋:女性視点で書くにあたって、結局僕は男性だから、女性のことを完全にはシミュレートできないじゃないですか。しかし、だからと言って異物と割り切って書くのも不誠実に感じられる。となると、性別を超えて普遍的に抱くであろう心理をある程度強調して書く形になると思うんです。それによって、男性視点のときには男性的自意識に抑圧されていたような、自分の奥底にある普遍的な感情を正直に書けてしまったりするんですね。これってヨルシカの「エルマ」にも繋がる話で、前作までとはちょっと違った魅力が出てるなって。

ナブナ:1作目の「だから僕は音楽を辞めた」は、音楽を辞めることにした青年がエルマという女性に向けて作った楽曲を贈るというコンセプトアルバムだったんですけど、そこではエルマの中身をまったく描かなかったんですよ。なので2作目の「エルマ」で、彼女を主人公にして内面まで描こうと思ったんです。ただエルマは、僕の思う女性の普遍性というよりは、完全に僕自身が出てしまったなと思っていて。ずっと隠しつつも抑圧していた自意識を、女性的に描いてしまったなって。

三秋:これまで明確に女性視点で作ったものってありましたっけ?

ヨルシカ - 言って。(Music Video)

ナブナ:幽霊になった男の子に向けて書いた「言って。」とかですかね。「雲と幽霊」は逆視点で。ある程度は理想の女性像を投影しつつ、そこにどうしても自分の女性性が出てしまうタイプですね。

ヨルシカ - 雲と幽霊 (MUSIC VIDEO)

三秋:ああ、そうでした。僕がヨルシカを聴き始めたのって「言って。」の存在が大きいんです。それまでの楽曲と比べて、すっと入ってくるなって感じたんですよね。それって、やっぱり僕らが女性のことを完全に理解するのは不可能だという割り切りがあって、そのうえでなお理解しようと努めるから、より普遍的な心性にアクセスできるんじゃないかなと。

スイ:おふたりの作品を見て、同じものが好きなのかなって思ってたんですけど、どちらかというと同じものが自分の常識であったっていうことですよね。そういえば『君の話』が出た時に、三秋さんの大ファンの友人から感動の電話がかかってきて。人の出会いの運命性や必然性について感じてほしいから、すぐ読んでくれって。それから、いまこうしてナブナくんとヨルシカをやってることだったり、今日三秋さんにもお会いできたことだったり、そういうものすべてにすごく大事なものを感じるようになってます。

ナブナ:必然性を作る話だからね。

三秋:そう思っていただけて幸いです。作中で描いたような運命の出会いって、実際にあるかどうかは非常に疑わしいものだと思うんですね。でもみんながあると思い込んでいたら、そういうことも起き得るんじゃないかなと。それこそナブナさんが定期的に引用しているオスカー・ワイルドの「人生が芸術を模倣する」ではないですが、先に「こうだ」という認識があって、それに僕たちが人生を寄せていくんじゃないか。なので自分の本を通じて、みんなに同じ思想の病気あるいはウィルスにかかってほしいという思いがありますね。『恋する寄生虫』にも書きましたけど、僕は自分のジーン(遺伝子)がこの世界に残るとは思えないんです。だから代わりにミーム(文化の遺伝子)をまいてやろう、そして仲間にしてやろう、と(笑)。

ナブナ:いやーわかるなあ。自分と同じ仲間を見つけたいんですよね。人類が子孫を残すのと同じ感覚で、我々って思想の子供を残しているというか。僕の芸術至上主義に染まることによって受け手も新たなものを作ってほしい、そういう種子をめちゃくちゃまき散らしたいって思いながら、アルバムを作っていましたね。

スイ:いわゆる種の存続と別で、自分の思想でって、なんだかとても本能的な感じがしていいですね。すごく似てるおふたりなんだなって思いました。

三秋縋『恋する寄生虫』(メディアワークス文庫)

バンプの影響下にあるひねくれ層が表舞台に出てきてる(三秋)

三秋:ナブナさんって僕よりいくつか年下ですけど、なぜか同世代感を覚えるんですよね。90年前後生まれじゃないかと思ってました。

ナブナ:僕は性格がねじくれていたので、みんなが素直にいいと思ってる現代の流行りを子供の頃からなかなか追えなくて。それで人とは違ういいものを見つけてやろうって気持ちで探していったらハマるものを見つけたっていうのが、好きなものへの出会い方でしたね。ロックもギターヒーローが目立つオールドロックが好きだし、種田山頭火や正岡子規といった近代の俳人も好きで。それこそ「エルマ」の日記の中にも出てくる与謝蕪村も。蕪村は松尾芭蕉のフォロワーで、彼をまねて旅をしながら俳句を作るんですけど、エルマにおける模倣の思想もそこからインスピレーションを受けていたり。なので同世代というよりは、ちょっと上の人たちと趣味嗜好が合うことが多かったですね。

三秋:90年前後の人たちに共通する気分っていうのがあると思うんです。その気分を形成してるものはなにかって掘り下げていくと、わかりやすい指標としてBUMP OF CHICKENの存在があるのかなって。ここ数年、バンプの影響下にあるひねくれ層が続々と表舞台に出てきてるじゃないですか。てっきりナブナさんもその流れの一環じゃないかと思ったんですけど、世代で見るともう少し下のほうで、だから意外だったんですよ。

ナブナ:いやでも僕、バンプめっちゃ聴いてましたね(笑)。

三秋:ナブナさんはどのアルバムが一番好きですか?

ナブナ:リアルタイムだと「orbital period」ですかね。それ以前のものは姉に全部貸してもらって聴いていました。

三秋:やっぱり微妙な世代差を感じますね(笑)。僕の世代は「jupiter」あたりから聴いたと思うんですけど、僕たちにとっての「ユグドラシル」が、ナブナさんにとっての「orbital」なんだろうなって。

BUMP OF CHICKEN『車輪の唄』

ナブナ:とはいえ一番最初に聴いたのは「ユグドラシル」ですね、最強のアルバムですよね。「車輪の唄」がめちゃくちゃ好きで、歌詞カードと音源を何度も聴いていろいろ妄想を膨らまして……あれでだいぶ歪みましたね。さよならの瞬間ってすごく美しいと思うんですけど、バンプの影響は絶対ありますね。

三秋:僕も「車輪」は相当ハマりましたね。藤原基央さんの詩のおかげで、避けられない別れだとか叶わない願いだとか、そういった物事に対するやるせない感情を美しく詩的に描けることを知った、というのが原体験としてありますよね。

ナブナ:間違いなく歪まされてますよね。もっとストレートにいけたのに、別れの味を知ってしまったっていうね。過去は美しいですからね(笑)。

スイ:ヨルシカのエルマにまつわる物語も、三秋さんの小説のラストも、素敵なふたりが運命的な大恋愛をするのに、だいたいおしまいになっちゃいますもんね。そこはやっぱり別れさせるのが美しいみたいなところがある?

三秋:僕が書いているのは「勝ち逃げ」なんです。人生の一番おいしいところを標本のように保存したい。となれば、ピークを過ぎる前に終わらせるしかないっていう。

スイ:一番きれいなシーンでってことですか。たとえば恋に狂ってる瞬間って麻薬が出てるみたいな状態になりますけど、あの瞬間に死ねたら苦しむこともなくていいだろうなってよく考えます。

三秋縋『三日間の幸福』(メディアワークス文庫)

三秋:そこまではいかずとも、人間関係の中で、このまま別れたほうが綺麗な思い出になるなというところで終わらせたい気持ちは常にありますね。もう一度会いたいけれど、思い出を綺麗なままにしておきたいから二度と会わない。そんな感じでどんどん人間関係を切り捨てていく(笑)。

ナブナ:小説の在り方として、だらだら続く物語って美しくないと思うんですよね。人生の価値は終わり方で決まると思うので、本当に一番いい終わりの瞬間を一番最後に持ってきて終わるものって、気持ちいいですよね。

三秋:そういう刹那的な世代ですね。

表現欲が満たせればなんでもよかった(ナブナ)

スイ:ちなみにナブナくんだったら音楽ですけど、三秋さんが小説を選んだ理由ってなんだったんですか?

三秋:僕が一番不満を持っていたメディアが小説だったからですね。音楽や映画に関しては、僕が作らなくても別の誰かがいいものを作ってくれるって人任せにできるんです。でも小説に関しては、どうも自分が求めるようなものを書いてくれる人がいないなと感じていた。じゃあ自分で作るしかないなって。

ナブナ:同じ感覚を小説に持ってましたね。本当は小説家か映画監督になりたかったんですよ。僕は中学生くらいの頃から表現欲をずっと持て余していて、なにかしらの表現方法を取りたいって思った時に、一番身近で現実的な道が音楽だったんですよね。パソコンもあって、ギターも弾けて、お小遣いの範囲でちょっとした機材も買えたから、そっちのほうだなって入り方をしましたね。

三秋:中学の時点で既に今に繋がる何かを始めているってすごいですよね。僕は高校生の頃、小説書かないでギター弾いてたんですよ。でも音楽、というかバンドって、自分一人じゃできないのがネックで。今振り返るとボカロっていう選択肢もあったんですけど、当時はそういう発想もなくて、だから小説に流れた気もしますね。

三秋縋『スターティング・オーヴァー』(メディアワークス文庫)

ナブナ:僕は表現欲が満たせればなんでもよかったと思うんですよ。小説として書きたいものがあったり、近くに映画の機材があったり、ものすごく絵の才能があったりしたら、また別の方向にいってたと思う。ボタンの掛け違いなんでしょうね。

スイ:三秋さんの小説って、潔癖症やパニックの症状など病気の描写がすごくリアルだなと思ったんですが、資料を読み込んでなのか実体験なのか気になって。

三秋:たとえば『恋する寄生虫』の寄生虫の話は、実際に資料を調べて頭でそれを組み合わせてって形になるんですけど、それ以外の現実的な病状の描写について言えば、入念に下調べをしたうえでそれを参照しすぎず、あくまで自身の経験や傾向と地続きで書くようにしています。嘘をつくコツは構成要素に一片の真実を織り交ぜることで、だから作中で取り扱う苦悩は、程度は違えど自分でも一度は抱いたことのある苦悩に絞ってるんです。たとえば潔癖症の場合、僕自身は部屋の片づけができない横着な人間なんですけど、ここだけはきれいに保ちたいみたいな妙なこだわりもあるんですね。そういった微小な病を拡大させて、人生全体に適用したらどうなるかという仮説を立ててシミュレーションを進めていくと、ある程度それらしい人格を立ち上げることができる。そういうアプローチで人物を描いています。

ナブナ:シミュレーションでそこまでできるのがすごい。僕は逆で、完全に自分と同じ病気を主人公たちにかけさせるっていう(笑)。

三秋:小説家の場合それだけだと、どこかでネタが尽きてしまうので(笑)。

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