イマニュエル・ウォーラーステインが逝去した。世界システム論を提唱し、人文学・社会科学に広範な影響を与えた彼の仕事を三つの著作で振り返る。
まず主著中の主著は『近代世界システム』、特にその第1巻である。アフリカを専門とする政治社会学者としてすでに米国のアフリカ学会を代表する研究者であった彼が、44歳で「世界システム論」という新しい学を切り開いた記念碑的著作である。同書は当時の社会科学が閉じ込められていた三つの前提を覆すものであった。
地球規模の理論
一つは一国的アプローチ。彼は「社会」といえば暗黙に国民国家が前提となる発想を批判し、社会科学は「史的システム」を単位として再構築されなければならないと主張した。
二つめは冷戦的思考。当時は国内問題でも国際関係でも、あらゆることが資本主義と共産主義の対立として捉えられがちであった。ウォーラーステインはそれを偽の二分法だと批判し、私たちが生きている資本主義の史的システム――すなわち近代世界システム――の外側に別の「世界」などないと主張した。
そして三つめは歴史学と社会科学の断絶である。今日でもそうだが、経済学や政治学といった社会科学が対象となる社会の過去を遡(さかのぼ)るのはせいぜい数年から数十年で、「現在」と連続する範囲でしか関心が払われない。その先の過去は歴史学の領域とされて相互に切り離されている。しかしウォーラーステインは現在を、16世紀に遡る近代世界システム全体の歴史的文脈から切り離しては理解できないと主張した。
三つの批判をあわせると、地球規模での長期的な世界の一体化を前景化する理論、つまり歴史的なグローバル化の理論を先駆的に打ち立てたことになる。
近代概念を解体
『近代世界システム』は当初全4巻のプロジェクトとして構想されていた。しかし2巻以降を書き継ぐうちに、「現在」が変化し始めた。国際化が進み、冷戦は終わり、グローバル化は常識となった。ウォーラーステインの関心もそれにあわせてシフトした。転換点を画する作品が『脱=社会科学』である。
同書で彼は、近代世界システムのなかで、近代がどのように概念化されたか、そしてその概念化がどのように私たちの思考を縛っているかを論じた。産業革命や市民革命など近代を定義する概念を、一つずつ史的システムの枠組みのなかに埋め戻して解体し、さらに私たちの時間や空間の捉え方に変更を迫る論考の集成である。
本書を境に、彼の関心はいわば私たちの体を縛っている資本主義の史的システムに対する批判から、そのような資本主義の史的システムを正当化して私たちの頭を縛っている知の構造へとその重心を移した。
3点目の著作として『知の不確実性』を挙げよう。晩年にかけてのウォーラーステインは、現在が近代世界システムの解体期であることを強調するようになり、一方で資本主義そのものの持続可能性を批判しつつ、そこから出るための知的枠組みの変革の必要を繰り返し説いた。
同書は、社会科学があたかも社会の外部に立って客観的な知識を生産できるかのように考える知の前提を批判し、あらゆる知的生産が同時に政治的な行動の性格を帯びること、そして史的システムの解体期にはその性格が否応(いやおう)なく高まることを多角的に論じている。
1990年代後半、ニューヨーク州立大学で、私は彼に教えを受けた。世界システム論は自分の持ち物ではなく、知的な公共財だと彼はよく語った。包摂の輪を広げ、あらゆる存在が参加することが世界をよりよくするという信念の人であった。=朝日新聞2019年10月5日掲載