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「数のファンタジー」を楽しむ 美しく無時間的な世界の魅惑(野矢茂樹・立正大学教授)

13年か17年ごとに大量発生する「素数ゼミ」=2016年、米バージニア州、小林哲撮影

 「数学は美しい」、と中学生の私は口走った。現実と向き合うのが嫌いな私には、純粋に思考の世界が広がっているような数学がこの上なく魅力的だったのだろう。大学でも数学を少しはかじって、いまでは哲学をやっているが、どうも哲学では寝食を忘れるほど集中するには至らないのに、数学だと没頭して考えこめたものだ。

 そんな私には、川添愛の『数の女王』はめちゃめちゃ面白かった。この書評を書くために読み直してみたが、二度目もやっぱり一気読みした。でも、この本の話はまたあとでしよう。

 数学の美しさをもっと身近に感じるには、冨島佑允(ゆうすけ)『日常にひそむ うつくしい数学』がよい。冨島さんはピタゴラス教徒である。古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは、「万物は数である」と言った。世界は数の秩序で成り立っている、というのである。私自身は、現実の自然は例外や偶然に満ちていると考えているが、冨島さんのガイドに従って自然を数学で読み解いていくのは楽しい。例えば、ある地域には13年周期で地上に出てくるセミと17年周期で地上に出てくるセミがいる。13と17は1と自分自身以外では割り切れない数、つまり素数であるから、「素数ゼミ」と呼ばれている。素数であることが生存競争で有利に働くのである。さあ、どうしてでしょう? こんな話題が次々に紹介されて、読者も「万物は数であるかもしれない」と思い始めるかもしれない。

リミットは80分

 数学の世界を採り入れた小説に、小川洋子の『博士の愛した数式』がある。読んだ人も多いだろう。大ベストセラーとなり映画にもなった。主な登場人物は「博士」と呼ばれる数学者の男(64)、物語の語り手であるシングルマザーの「私」(28)、そして博士によって「ルート」とあだ名をつけられた彼女の息子(10)。博士は交通事故のため、ある時期以降の記憶は80分しかもたない。家政婦として博士の世話をし始めた「私」が、しだいに博士を慕う気持ちをつのらせていくが、やがて博士の記憶はさらに短くなり、それは博士の意識から「私」が締め出されていくことを意味している。なんとも切なく、しかし温かな感触を残してくれる小説だった。そしてこの小説は博士が数学者でなければ成り立たなかった。(哲学者じゃだめなんだよ)。この小説の魅力は、数学という無時間的な世界と失われていく記憶という時間性が交差して深い奥行きが生み出されるところにある。「私」の博士に対する慕情は、「私」が数学の世界に美しさを感じ始めることを通して、開かれ、深まっていくのだ。

運命数巡る冒険

 さて、『数の女王』である。
 『博士の愛した数式』では現実世界を舞台とした小説に数学が実に効果的に使われていたが、『数の女王』では数学が物語を構成する原理となり、世界観を形作っている。数学というそれ自体ファンタスティックな世界に小説という形が与えられたと言ってもいい。

 この世界の住人は「運命数」と呼ばれる数をもち、それが彼らのあり方を決めていく。例えば45には独特の性質がある。2乗すると2025となり、それを二つに分けて20と25にして、その二つの数を足すと、45、おお元の数が復活するではないですか。このような数(カプレカ数と言います)を運命数にもつ者はある仕方で復活することが可能なのだ。こんな運命数を巡って話が展開し、いま紹介した以外にもさまざまな数の面白い性質が利用され、物語が進んでいく。いや、もう、ただただ著者の力技に感嘆するばかりである。しかも、二度目も一気読みしたと書いた通り、これがあなた、手に汗にぎる冒険活劇の面白さなのだ。たまげた。=朝日新聞2019年10月12日掲載