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最東対地さんの都市伝説ホラー「おるすばん」 ひとりで留守番するのが怖くなる…

文:朝宮運河 写真:斉藤順子

貞子より断然ジェイソン派

――最東さんのデビュー作『夜葬』(2016年)は、日本ホラー小説大賞・読者賞の受賞作でした。まずは日本ホラー小説大賞に投稿した経緯を教えていただけますか?

 社会人をしながら趣味でネット小説を執筆するうちに、作家になりたいという気持ちが芽生えてきて、「3年だけ本気で小説をやらせてくれ」と妻に頭を下げたんですよ。当時目指していたのは電子書籍専門のプロ作家。とある人から「あと2、3年で電子書籍が主流になる」という話を聞いて、自分が日本の電子書籍作家のパイオニアになろうと思ったんです。ところが2年頑張っても思うような結果が出ないし、そもそも電子書籍の波が来る気配もない(笑)。
 これはまずいと焦りまして、残り1年はあらゆる公募に投稿しまくろうと決意したんです。それで最初に応募したのが日本ホラー小説大賞。締め切りまで1か月ほどしかなかったので、詳細なプロットも決めずに、短期間で書き上げました。

――公募1作目が即デビュー作となったんですね。もともとホラー系のジャンルはお好きだったんですか?

 子供の頃から好きでした。活字方面はあまり詳しくないんですが、海外のホラー映画は好きでたくさん観ています。
 ホラー好きの間でよく「怖いのはジェイソンか、貞子か」と論争になることがありますが、僕は断然ジェイソン派。だってホッケーマスクを被った大男が、敵意をむき出しにして襲ってくるんですよ。これはどう考えても怖い(笑)。すぐそこに幽霊が立っていたら不気味ですけど、ジェイソンに比べればはるかにましです。
 日本のホラーは貞子的な怖さが主流で、ジェイソン的な怖さを扱ったものがあまりない。だったらそういう作品を書こうというのが、『夜葬』執筆の動機ですね。Jホラー的な呪いや怨念を装飾としながら、海外のスラッシャー・ホラーの要素を盛りこんだら、自分が一番読みたいホラーになるんちゃうかな、と思ったんです。

――蓋を開けてみると『夜葬』は好調なセールスを記録。6万部を突破して、今なお新しい読者を増やし続けています。

 『夜葬』をたくさんの方に「怖い」と言ってもらえたことで、「自分と似た感覚の人がこんなにおるんや」と気づくことができました。デビューまでは自分にとっての恐怖を誰かと共有することがなかったので、そこは大きな励みになりましたね。

記憶に焼き付くワンシーンを作る

――待望の新作『おるすばん』は、最東さんお得意の都市伝説ホラーです。家で留守番をしていると〈ドロボー〉と呼ばれる怪物がやってくる。ドアを開けると体の一部をもぎ取られてしまう……という不気味な噂が扱われていますが、このアイデアはどこから?

 一人で留守番をしている時に、突然呼び鈴が鳴ると、大人でもドキッとするとじゃないですか。ドアの向こうに誰が立っているのか、開けてみるまでは分からない。あの緊張感をずっと持続させたホラーが書けないか、というのが出発点ですね。身近なところからアイデアを得ることが多いんです。
 一般的な怪談では「ドアを開けたら誰もいなかった」というパターンが多い。それはそれで不思議ですが、せっかくの緊張感が途切れてしまうので、どうせなら予想もつかないものが立っていた方がいい。それで〈ドロボー〉というクリーチャーが生まれたんです。

――〈ドロボー〉は体の一部が欠けているこの世ならぬ存在で、あの手この手で玄関を開けさせようとします。『夜葬』の〈どんぶりさん〉しかり、『えじきしょんを呼んではいけない』の〈硫酸かけかけマン〉しかり、最東ホラーには毎回インパクトのあるクリーチャーが登場しますね。

 それは意図的にやっている部分です。僕にとっていい映画の基準は、「タイトルを聞いてワンシーンがぱっと思い浮かぶかどうか」なんです。どんなB級映画であっても、忘れられないシーンがあれば名作。それは小説でも同じですよね。
 毎回クリーチャーを登場させるのは、読者の記憶に焼き付くワンシーンを作るため。『夜葬』といえば、「〈どんぶりさん〉が顔をえぐって白米をつめこむ話」なんだと覚えてもらいたいんです。クリーチャーの名前をちょっと間抜けな響きにしているのも、ギャップを持たせることで印象を強めるためですね。

登場人物の誰にも「生存フラグ」を立てない

――主人公の高梨祐子は、姪っ子・繭の様子がおかしいと兄夫婦から相談を受けます。5歳になる繭は、片腕のない裸の女性の絵を毎日描き続け、それを〈キムラサン〉と呼んでいました。祐子と繭の関係が、物語のひとつの軸になってゆきますね。

 本当は怖いシーンだけ書いていたいんですけど、そうもいかないので物語の流れを作るようにしています。自分の中で「小説を書いている」という意識はあまりないですね。むしろ「怖いエンターテインメントを作っている」という意識が強い。読者にも「面白かった」よりも「怖かった」と感じてもらいたい。あくまで怖さがメインで、物語やキャラクターは付随的なんです。

――やがて都市伝説〈ドロボー〉には、人形作りが盛んな山村で起こった忌まわしい事件が影響していることが分かってくる。こうした土俗的・民俗学的な味付けも、『夜葬』以来お得意のパターンですね。

 そうですね。今回は虐殺によって滅んだ〈人形村〉という山村が出てきます。以前から関心があった「おじろく、おばさ」と呼ばれる長野の風習にも触れています。ただ民俗学的な味付けは、それほど濃くなくていいかなとも思っているんですよね。それっぽいムードが出せていれば十分。民俗学ホラーを目指しているわけじゃないですし、過去にスポットを当てすぎると、怖さのポイントがぶれてしまいますから。

――たとえ主人公であっても、安全圏にいられないのが最東ホラー。今回も祐子や繭がどうなるのか、ぎりぎりまで油断ができません。

 無事に帰してやるものかと(笑)。そこは自分でも容赦がないなと思います。僕にとってすべてのキャラクターは、モブ(群衆)の一人なんですよ。その中でたまたまカメラを向けられた人が、主人公になっているだけ。ある意味、僕の小説は主人公不在なんです。
 怖がらせる邪魔になるので、目立った個性はいらないし、特徴的なネーミングも必要ない。キャラクターの名前はいつもネット上のサービスで適当に決めています(笑)。だから誰にも「生存フラグ」が立たない。それが結果としてサスペンスや緊張感を生み出しているのかなと思いますね。

――怖さのためにそこまで徹底する作家さんも珍しいですね。そうした作風はデビュー前から?

 実は『夜葬』の応募原稿を書いている時に、ある愛着のあるキャラクターを助けてしまいそうになったんです。ただ原稿を読んでくれた知人が、「いや、最東ならここで酷い目に遭わせるでしょ」と言ってくれて目が覚めました(笑)。やっぱりそうやな、自分はその路線やなと吹っ切れたところはありますね。その女性は恩人ですよ。

――顔面をシャベルでえぐられる、体を硫酸で溶かされるなど、数々のショッキングシーンを描いてきた最東さん。今回は〈ドロボー〉に生きたまま手足を引きちぎられる、という衝撃的なシーンが待っています。

 手足をもがれても死にはしないんですよね。僕がホラーを書く時に気をつけているのは、「できるだけ人を殺さないこと」。『夜葬』にせよ『#拡散忌望』にせよ、被害者は酷い目に遭いながらも生きているんです。
 死というのは確かに絶対的な恐怖ですが、その時点でゲーム終了になってしまうので、先にある恐怖を描くことができない。それがホラーとしてはもったいないと思うんです。ゲームのマリオだって、3回まで失敗できるから面白いんですよ。3機が2機になり、1機になった時の「もう失敗できない」というあのドキドキ感。手足をもぎ取られても生きている、という恐怖はそれに近いのかなと思います。

「リング」を読んだのは作家になった後

――ゲームといえば、呪いや祟りに一定のルール性がある最東ホラーは、ゲーム的だとも言えますね。拝読していて連想したのは、同じくゲーム性の強い鈴木光司さんの『リング』でした。

 確かに影響はあるかもしれません。といっても鈴木さんの原作を読んだのは、作家デビューした後なんですけどね……(笑)。呪いのビデオを見たら1週間後に死ぬ、というシンプルなアイデアをきっちりと現代小説に仕上げていて、しかもめちゃめちゃ怖い。『リング』がこの手のジャンルを確立したわけで、鈴木さんは偉大やなあと思います。呪いをシステムやプログラムに近いものとして扱っている点にも、共感しますね。
 僕のこれまでの作品はルールに則って、それこそゲーム的に書いていたんですが、『おるすばん』だけは少し違います。あえてルールから外れた現象、辻褄の合わない部分も描いている。ここから新しいルールが生まれるぞ、という混沌とした時期を描いてみたかったんですよ。

――エピローグの後味の悪さなんて絶品ですもんね。ところで恐怖を求めてやまない最東さんが、生きていて今一番怖いものとは?

 生身の人間ですね。めっちゃつまらない答えですけど。にこにこ優しそうに笑っている人でも、腹の中ではどんな邪悪なことを考えているか分からない。そんな人が集まって社会を形成しているわけですから、考えたらぞっとします。僕が一番怖いと感じるシチュエーションは、「空から爆弾が降ってきて、いきなり命を奪われる」というものなんですが、それだって人間がやっていること。人間の怖さに比べれば、幽霊なんて可愛いものですよ。

――おや、それはちょっと意外な回答ですね。

 だからこそホラーでは人間以外の恐怖を描きたいんです。犯罪者が怖ろしいとか、ご近所さんがちょっと変とか、そんなのは誰でも知っている話。わざわざ僕が「ホラー小説」として書く必要がありません。ホラーはどこまでいっても作り物です。そこが素晴らしいと思う。どんなに残酷なことが描かれても、あくまでフィクション。だからあんまりホラーに厳しい目を向けないでね……、とも思います(笑)。

――おっしゃるとおりですね。これからも非現実的な恐怖を追求したホラーを、ぜひとも書き続けてください。

 がんばります。『おるすばん』は「これまでの二番煎じじゃないか」と言われそうで不安だったんですが、ツイッターを見ると「怖かった」という声が多くてほっとしています。
 職業作家としては今後、ライトなものから重たいものまで幅広く書いていきたいですが、自分の核にあるのはやっぱり『夜葬』『おるすばん』の路線。つまり理不尽な呪いでどんどん人が酷い目に遭っていくようなホラーです。「読むんじゃなかった!」と読者を後悔させられるような怖ろしい作品を、これからも目指していきたいですね。