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「日本発酵紀行」の小倉ヒラクさんが教える発酵の「なんだこれ?」

文:小沼理、写真:有村蓮

発酵って、いろんなレイヤーの面白さがある

——小倉さんは「発酵デザイナー」として活動されていますが、そもそも発酵に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

 10年ほど前、僕はデザイナーとして働いていたのですが、仕事と夜遊びのしすぎで体を壊していました。その頃出会ったのが山梨の老舗醸造蔵の五味醤油の五味洋子さんと、その師匠である発酵学者の小泉武夫先生です。

 小泉先生は、僕の顔を見るなり「お前は免疫不全だな。発酵食を食べろ!」と言いました。それで味噌汁や納豆などを積極的に食べるようにしたら、だんだん体調が良くなっていったんです。そうして発酵に興味を持ち、だんだん発酵に関する仕事に多く関わるようになっていきました。

——最近は味噌や日本酒といった日本のローカルな発酵食が注目を集め、発酵を特集した雑誌も次々に発行されています。発酵デザイナーとして、近年の流行をどう見ていますか?

 発酵に関する活動を始めた頃と今では、大きく時代が変わったと感じますね。10年前は味噌づくりのワークショップを開いても、来るのは給食センターでご飯をつくっているお母さんのような人ばかりでした。当時は発酵食品を扱うメーカーの人と話しても、「このままだと自分たちは滅びる」と、誰もが危機感を抱いていました。

 大きな転機になったのは、2011年の東日本大震災です。食の安全や消費を意識して、「まずは自分の手で作ってみよう」という若いお母さんが増えました。

 次の転機が、2013年頃。その頃から盛り上がっていた「腸活」ブームの影響です。発酵食を食べて、体の内側から綺麗になりましょうというものですね。この頃から、アースカラーの洋服を着ていたお母さんたちに混じってキラキラしたお姉さんたちもワークショップに参加するようになりました。「なんだろうこのカオスな客層は……」と思っていたら、今度はアートやカルチャーに興味がある人からも発酵が注目され始めて。2016年には、カルチャー誌の「SPECTATOR」で発酵がまるごと一冊特集され、僕も関わりました。この頃からワークショップにセンスの良いお兄さんも来るようになり、さらに客層がカオスになっていきました。

 最近は「食」を離れ、様々な分野で発酵の考え方を応用する人も出てきています。情報学者のドミニク・チェンさんは「インターネットとぬか床は似ている」と話していますし、精神科医の星野概念さんも「発酵」のメカニズムを自身の仕事に応用されています。

——一朝一夕ではなく、長い時間をかけてブームが醸成されてきているのですね。多くの人が発酵に注目する理由は何だと思いますか?

 発酵って、色んなレイヤーの面白さがあるんですよ。単純に「スゴいニオイ!」「食べたことがない味がする!」といった食文化としての驚きだけでなく、「現代思想における『発酵』の価値とは」みたいに、メカニズムを応用できる。その裾野の広さが魅力なんじゃないかな。

 「食」というのも、今の時代を考えるうえで大きなテーマですよね。環境問題や経済問題、個人のライフスタイルまで、食を切り口に語ることができますから。

 若い人たちの文化の見つめ方が変わってきたことも関係していると思います。僕が高校生の頃は海外のものをどう取り入れるかがトレンドで、日本史でいえば唐物が持てはやされていた室町前期のような時代でした。でも、今は大きな災害や経済不振があって、自分たちのルーツを見つめ直す時代です。わびさびの概念が登場した室町後期のような、転換点にあると思います。

 その時、日本人が千数百年かけて積み上げてきた発酵食は奥が深い。自分たちの足もとから考えられるのも「アツいな」と感じます。和食のアイデンティティとして、健康や美容に良い実利的なものとして、哲学やカルチャーのメタファーとして。この3つの要素がどんどん膨らんで、大きなムーブメントになっているのだと思います。

日本のアナザーサイドを見続けた発酵の旅

——著書『日本発酵紀行』はD&DEPARTMENTが手がけるd47 MUSEUMの企画展「Fermentation Tourism Nippon – 発酵から再発見する日本の旅 –」の公式書籍であり、小倉さんが2018年夏から8カ月かけて全国の発酵の現場を訪ね歩いた旅行記です。まず、発酵に着目して日本全国を旅してみていかがでしたか?

 僕はバックパッカーをしていたこともあるし、先日も中国の雲南省に行くなど色々な僻地を旅しているのですが、正直、今回の旅が一番ディープでしたね。

 日本のことを隅々まで近代化された先進国だと思っていましたが、近代化される以前の景色が思っていた以上にたくさん残っていました。江戸時代とあまり変わらない暮らしをしている村とか、数百年前から同じ道具を使い続けている蔵とか……。

 たとえば、本の中でも愛知県岡崎市にある二軒の八丁味噌の蔵を取り上げました。1645年創業のカクキューと、1337年創業のまるやです。現在も八丁味噌が作られ続けていて、連綿と続く味が守られていることにも改めて衝撃を受けますが、まるやの社長が見せてくれた古い巻物がまた驚きでした。明治以前、この醸造蔵は地域の武家にお金を貸していて、巻物にはその詳細が書かれていたんです。つまり、それを見ればどの時代にどの武家が羽振りが良いか、または没落しかかっていたかがわかる。土地の記憶がそんなにシビアに記録されていることに衝撃を受けましたね。

 そしてまるやの社長も、「600年の歴史を途切れさせないために毎日仕事をしている」と明言していました。そうして生きている人がいることはもちろん知っていたけど、そんな世界観にずっと触れ続ける旅だったので、自分が現代に生きていることが信じられなくなる体験ばかりでした。

——普通に観光をするだけではなかなかできない体験ですね。

 「発酵」を切り口に見てみると、異様な世界がたくさん見えてくるんですよ。日本のアナザーサイドを集中して見続けた旅でした。

 それと、日本人は巡礼したり歌枕を訪ねたり、ただ観光地をめぐるのではなくて、移動を通じて自分を違うモードにチューニングするような旅をしてきた民族です。今回の旅では、その感覚を発酵を通じて体験しようとしたところがありました。だからあえて、普通に電車や車で橋を渡れば30分で行けるところを、船を使って3時間かけて古来のルートをたどってみたことも。そうして着いたローカルの小さな港で新たな発見があったりもして、面白かったですね。

「HAKKO」が海外の辞書に載る日は近い

——本の前半には味噌や漬物といったなじみ深いものが登場しますが、後半には聞いたこともないような発酵食も飛び出します。読み進めるごとにディープさを増していく構成に引き込まれました。

 考えて構成したわけではないのですが、自然とそうなりました。旅をはじめた夏の終わりは醤油や味噌のもろみの発酵が終わり、夏野菜を刻んで漬物にする時期です。これは微生物の働きによって食に付加価値をつける、いわば「豊かな発酵文化」の季節。商人が多かったり、地の利に優れていたりする東海や関西〜近畿が中心になります。

 一方、東北や最後に行った九州などは、環境が厳しく中央への距離も遠い。そうすると、冬を乗り越えるための食料としての「サバイバルな発酵文化」が育まれます。こうした発酵食には、なんとか生き延びるための人々の創造力が詰まっています。長崎・対馬の「せん団子」なんて、サツマイモに4カ月以上細かい手間をかけてようやく完成する発酵食。できあがるまでに千の手間がかかるから「せん団子」と呼ばれたという逸話もあるような食べ物です。「よくこんなの作ったな!」と思いましたね。

——「キリンサイ」という海藻を寒天状にして味噌漬けにする宮崎の「むかでのり」、「あかど芋」という里芋の茎を乳酸発酵させた「あかど漬け」など、はじめて知るものばかりでした。現在は現地でもなかなか食べられないそうですね。

 こうした発酵食が生まれた時代と違って、現代は生産・加工技術が発達しています。原料がとれなくなったり、手間がかかりすぎたりして、発酵食が地域の人の記憶から薄れつつあるのも事実です。

 でも、僕はこういった一見わけのわからない発酵食に光が当たってこそ本当の発酵ブームだと考えています。インバウンド的に日本酒や醤油が注目されているだけではまだまだで、それをブームとするならみんな発酵のポテンシャルを舐めていますよ。

 僕たちの記憶からこぼれ落ちているけれど、日本の風土に根差していて、面白い技術が使われている「なんだこれ!」な発酵食。今回の展示を経て、少しずつそれらが注目される兆しが見えてきました。

 日本の発酵はこれからさらに面白くなると思います。展示は日本語と英語の2言語で解説をしていたのですが、海外の方からの反響も大きかったです。発酵は英語で「Fermentation」ですが、「UMAMI」みたいに「HAKKO」が海外の辞書に載る日も近いんじゃないか。そんな風に思っています。

人の肩越しに見える景色こそ面白い

——ところで、今回旅行記というかたちにしたのはなぜでしょう? 多様な発酵文化を記録し紹介するという意味では、網羅性の高いカタログを作るという方法もあったように思います。

 もともとは展示にあわせたもっと薄いカタログを作る予定だったんです。ただ、旅の途中途中でチームにメモと写真を送っていたら、その様子を見ていた編集者の藤本智士さんが「旅行記が読みたいなあ」と言ってきて(笑)。展示まであと2カ月でしたが、「できるでしょ!」と腹をくくって書き始めました。

 ただ僕自身、旅をしながらいつも「なんでこんなに多種多様な発酵食が生まれたんだろう」と気になっていました。その理由を考えるためには土地の人たちが何を感じていたのか考えることが大切で、それを掘りおこしていく過程を文章にするには、淡々と発酵食を紹介していくカタログよりも、自分の思考も含めて文章にできる旅行記が合っていると感じました。

 発酵学や微生物学のような理系の自然科学では「なぜそれが生まれたのか」を問うことは普通はしません。基本的には、こういう菌がいます、こういう物質がこう作用しています、という現象を扱う学問なんです。

 そういう意味では、学会に属した発酵学の先生たちが書くような本ではない。定石を踏み外すのは僕にしかできない仕事かなと思い挑戦してみました。

——紹介する発酵食は各都道府県につき一つ、かつ種類も被らないようにするなどの選定基準を設けたことも、面白い発酵食にめぐりあうきっかけになっていると思います。

 発酵の世界は「沼」なので、いくつ取り上げても良いとなるときりがないんですよ。それに、制約があったほうが人ってじたばたするじゃないですか。じたばたするところから局面が打開されていくので、自分がプロジェクトに関わるときはあえてもがき苦しむ方法を設計するようにしています。

 今回、最初の頃は取材に行く前にその土地のことを調べて取材のアポも取っていたのですが、途中からアポなしで行くようになりました。それは、本やネットに載っている情報をアテにすると、誰かの歩いた道しか行くことができないから。情報を入れすぎず、スケジュールも決めないことで、未知のものに出会えました。

——条件を課すことでユニークなものが生まれるという点では、今回の旅それ自体も発酵に似ていると思いました。

 そうかもしれません。あと、人の肩越しに見える景色が面白いと僕は思うので。今回取り上げた発酵食は、必ずしもその都道府県の代表的なものではありません。その土地らしさとか、知名度以外の中立性を持って選んではいるんですけどね。

 でも、中立性を厳密に保った表現や文化は面白くない。僕が旅してたまたま出会ったものが47個集まっていて、そこから日本人の暮らしが浮かび上がってくるという本があっても良いんじゃないかと思います。

旅の「ゾーン感覚」を追体験できる本を目指した

——内容もさることながら、小倉さんの時に軽く、時に力強い文体にも惹きつけられました。今回、旅行記を書くうえで参考にした本などはあるのでしょうか?

 『日本発酵紀行』では、ブルース・チャトウィンというイギリスの作家が書いた『パタゴニア』という本をモデルにしました。チャトウィンが南米のパタゴニアをめぐる旅行記なのですが、客観的にパタゴニアについて書くだけではなくて、彼が出くわした不思議な局面や、幻を見たことなどもエピソードとして盛り込まれているんです。

 長く旅を続けていると、旅の「ゾーン」に入るような、一種の極限状態のような感覚になることがあります。『パタゴニア』は読みながら、そのゾーン感覚を追体験できる名著。僕も今回の旅の中で何度もゾーンに入ったので、この本でもそれを表現したいと思って参考にしました。

 ちなみに、僕の1冊目の著書『発酵文化人類学』は、レヴィ・ストロースの『野生の思考』のアンサー本のつもりで書きました。昔から本が好きなので、何かをモデルに本を書くことも多いです。

——他にはどんな本を読んでいますか。

 今は専門書を読むことが多いですが、20歳くらいまでは文学や社会学の本をたくさん読みました。その中で、今でも影響を受け続けているのはレヴィ・ストロースと漢文学者の白川静さん。それから民俗学者の折口信夫さんや民藝運動で知られる栁宗悦さんです。

 最近は作家の堀田善衛さんを読み返していました。堀田さんはどの文学運動にも所属せず、独自のテーマでずっと書き続けた知の巨人。読み返しながら、堀田さんは自分の一つの目標だと思いました。

 『ゴヤ』という、スペインの作家ゴヤが生まれてから死ぬまでを追った2000ページ近い大作の評伝があるのですが、この本で堀田さんはあくまでも一人の人物に焦点を当て続けながら、18〜19世紀のヨーロッパを描き出していくんです。他の著作も、天草四郎時貞の乱を題材にした『海鳴りの底から』、方丈記を扱った『方丈記私記』など、ピンポイントにフォーカスしながら巨大な普遍を描いていくものが多いです。

 僕が今向き合っているのは、微生物が生み出す発酵という目に見えない世界です。それはすごくピンポイントですが、奥まで掘り下げると、人類普遍の何かが待っている予感があります。もちろん、そのためには色んな経験や知識が必要です。まだまだ頑張らないといけませんが、いつかそこまでたどり着きたいと思っています。