1. HOME
  2. コラム
  3. 好書好日エクストラ
  4. 【谷原店長のオススメ】しずちゃんが描く鬼コーチと世界を目指した日々、山崎静代『このおに』

【谷原店長のオススメ】しずちゃんが描く鬼コーチと世界を目指した日々、山崎静代『このおに』

 この秋、僕が出演した舞台の演出を務めてくださった劇作家・田村孝裕さん。彼が、仲良しのお友達だという芸人さんの描いた絵本を紹介してくれました。南海キャンディーズの「しずちゃん」こと山崎静代さんによる『このおに』。なかなか刺激的なタイトルです。

 2007年にボクシングを始めた、しずちゃん。アマチュア女子選手としてメキメキと頭角を現し、五輪の強化選手にまで選ばれたのは記憶に新しいところですよね。当時、二人三脚で彼女と共に歩んだのが、「鬼コーチ」こと梅津正彦さんです。

 最初こそ優しい笑顔で「おれについてこい」と告げた梅津コーチ。ところが、次の瞬間から始まった地獄の特訓。しずちゃんの中で押し寄せる葛藤や、沸き起こる愛憎。そして梅津コーチが病に冒され、出会って6年後の夏に訪れる別れまでが、重みのある言葉と、力強いタッチの描画と共に綴られています。

 しずちゃんは当初、何をやってもコーチに怒られ、否定され続け、練習に向き合うことが怖くなってしまいます。ところが実際に「鬼」から解放されると……。子供を育てるということについて日々、僕も煩悶しています。将来を考え、子供たちに敢えて厳しいことを言う毎日。「ちゃんと電気消しなさい」「箸の持ち方はこう」。そんな基本から始まって、気づくとついつい「あれもダメ、これもダメ」。

 昨今の時流としては、押し付けるのではなく、子供の自発性に任せて伸ばすことが良しとされていますよね。教育は本当に難しい。学校に授業参観に出掛けると、学校も先生も、子供や親にとても気を遣っているのがひしひし伝わります。「大変だなあ」と思います。あらゆることに配慮し、気を遣う。それを見ていると子供にとって良い教育とはなんだろうかと改めて考えてしまいます。先生たちは、ほんとうに子供のことを考え向き合ってくださってる。その向き合い方や環境が僕らの頃とは違うのでしょう。

 僕自身、役者人生において、ガンと鼻っ柱を折られた経験は何度かあります。昔の時代はとにかく叱られました。衣裳や道具を部屋に置きっぱなしにしていると、スタッフからは「これはお前のために用意しているんだ、お前が大事に管理をしないと、シワだらけの衣装や、汚れた靴ではお前の役が軽くなってしまうぞ」と言われました。デビューしたての頃でしたので、「躾け」の面もあったのでしょう。いま、現場で叱れるひとって少ないです。諭してわかることと、叱られてわかることは別物です。言う、言われる人によっても変わるでしょう。でも、愛を持って叱っているひとたちのことまで「パワハラ」と呼んでしまったら、もう誰も、何も言えなくなる。その人が何も成長できないまま、磨かれないまま、時間ばかりを浪費していくと思うと、怖いなと思います。叱ることって、愛が無いと言えない。疲れるし、面倒くさい。言ったほうも傷つくんですよね。それでも言わないと、相手のためにもならないし、ひいては社会のためにもならない。叱ることと怒ることは違う。

 「鬼」から解放されたしずちゃんは思うがままに遊び、自由を謳歌します。まさに欲望の赴くまま。でも彼女は物足りなくなる。やりたいことをやってるのになんで楽しくないんだろう。そして彼女は「なんで おには いないの? なんで だれも おこってくれないの?」といいます。しずちゃんは「鬼」を恐れ、逃げたいと思いながらも、どこかで自分の成長や、目標に向かって打ち込む「喜び」を無意識のうちに感じたから、この言葉が出たのではないでしょうか。その「喜び」は、何の制約もなく好きなことだけやる「喜び」とは、まったくレベルの異なるものであるって、しずちゃんは気づいたんじゃないかな。

 最後のページにぜひご注目を。コーチの笑顔が描かれていますが、じつに良い表情をしています。「お前のことを思ってやっているんだよ、俺についてこい」。そんな昭和の教育が通用しない世の中になってしまった。それは仕方ない。でも、いまの子供たちには、自分を叱るひとが、どんな思いを持って接しているか、見つめ直してほしいと思うのです。

 その子にとって、最も能力を発揮できる場所を見つけてやることが、大人の務めだとは思っています。例えば、ある分野で世界一になれる才能があるのに欲のない人。反対に、才能に恵まれていないのに世界一になりたい人が居るとします。どちらが幸せなのか。視点を変えれば、どっちも幸せ、どっちも不幸。でも、本人が納得のいく人生が送れるのは前者なのかな。

 しずちゃんの場合、世界を目指したいという目標があり、かつ目指せる能力を持っていて、それを全力でバックアップしてくれた鬼がいた。これほど幸せなことはないと思います。ただ、高みを目指すためには乗り越えなければならない壁や苦しみは山のようにある。そしていつまで夢を追い続けるのか。僕は本人がやり切ったと思えるとこまでやることが幸せだと思います。世界一になることが大事なのではなく、自分が納得できることが大事なことだと思うのです。そして納得できれば、また次の夢へと一歩が踏み出せるはずですから。よし、子供のために「おに」になろう!

 「鬼」と言えば思い出すのは『泣いた赤鬼』(浜田廣介)。友を思う鬼同士のせつない児童文学ですが、ちょっと読み返したくなりました。ここに登場する鬼も、僕は大好きです。(構成・加賀直樹)