【谷原書店】水上勉「土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-」 旬のものを食べる尊さをかみしめて
年齢を重ねるにつれ、「食べる」ということに対する思いがだんだん変わってきたと感じることが増えました。それは、他人との付き合い方や、楽しいと感じること、大切だと思うことが年を経る過程で変わっていくように、いつの間にか「こんなことに興味を抱くようになったのか!」と、驚く瞬間があるのです。
たとえばこれからの季節、出かけたくなる場所。かつてはサーフィンに明け暮れ、「海」一辺倒でした。ところが、最近は「山」に興味がシフトしつつあるのを感じます。もちろん、いまからエベレストや雪山を目指すようなことはしませんが、深い緑に囲まれた高原や山麓で、爽やかな風に吹かれ過ごす日々も良いかも、などと思うのです。家族の料理をつくるためスーパーマーケットに寄ると、昔はそんなに好みでなかった野菜が、いとおしく思える時が増えてきました。そんな折に出合ったのが、この一冊です。
著者の水上勉さんは、少年時代の禅寺での修行体験を元にした小説『雁の寺』や社会派推理『飢餓海峡』などでベストセラー作家として知られていますが、9歳の時、貧困もあって京都の禅寺に出されています。16歳から18歳までは、精進料理のつくり方を、等持院で尾関本孝老師から徹底的に学びます。その記憶をもとに、軽井沢の自身の別荘にこもり、畑で育てた四季折々の野菜から精進料理の惣菜をつくり、一つひとつの食材、料理への思いをこの本に綴りました。食に対し、つねに真摯に向き合う水上さんの姿勢が垣間見え、読み手も襟を正したくなります。最初に心を動かされたのは、まさに「精進」に対する水上さん自身の捉え方でした。
「精進」といえば、いわゆる仏門の世界の方々が、殺生をせず、動物性の食材を摂らずに、野菜や木の実、植物だけで料理をつくって食べること。そのためか、僕のイメージでは、どちらかというと宗教的な「戒め」の意味合いが強いと思っていました。
ところが、水上さんの見解は、まったく異なります。
先徳がたとえば三銭の費用で菜っ葉汁をつくったら、今日、三銭でミルク入りのあえものをつくろうと心がけるくらいの精進がなくてはならぬ、とは道元禅師のことばだ。ここでぼくは、精進料理の「精進」なることばをはじめて了解するのだ。
いままで、はなはだ漠然とつかっていた「精進」なることばが、先徳の料理からさらによくしろといった意味であることを知れば、ぼくにとって、本孝老師に随(つ)いた事の歳月が、食味の歴史のふかい根雪になっているといわねばならぬ。 (本書「二月の章」より)
つまり「精進」とは、先人がさきに示した料理を継ぎ、今世で丹精を込め、より発展させてゆくことだ、というのです。この考え方に出合ってから、「精進」料理に抱いていた僕の印象がガラッと変わり、もっとその深淵を知りたくなりました。
「一月の章」から「十二月の章」まで、1カ月ごとに章立てがなされています。その時々、旬を迎える山菜や根菜、茸(きのこ)などの紹介や、調理法、食材に対する思いなどが、本孝老師との思い出とともに書き記されます。
禅寺での思い出は、台所に材料が豊富にあるわけではなかった時代のこと。老師はしょっちゅう畑に出向いては、草取りや肥えもちに勤しんだそうです。水菜や茄子など、美味しい野菜が京都にはたくさんあるものの、それが年がら年中、収穫できるわけではありません。冬の時期には、畝(うね)に菰(こも)をかぶせ、ほうれん草、かぶら、小芋、自然薯などを蓄えていた、とのこと。翻って、水上さんがエッセイを記した軽井沢の地は、夏には高原野菜がどっさり穫れるいっぽう、凍てつく冬の厳しさは並たいていではありません。
零下15度、土も眠る軽井沢で、別荘の地下につくられたコンクリートの小さな貯蔵スペースで、ずっと蓄えていた木の実や筍、乾物などと睨めっこし、水上さんは少しずつ食べて過ごします。
芋一つ撫でさすりながらとり出す気持をわかってほしい。外は零下の酷寒だ。風がぴゅうぴゅう吹いて、ストーブの煙も、凍て空にはじけて、一分と出ておれない寒さなのだ。そんな時、手にした芋のありがたさ。早く陽の照る春がこぬものか。畑をうらめしげに眺めやって、ぼくは、芋の皮を、ていねいに包丁でケシケシとこするようにしてむいている。「善根山上一塵も亦積むべき歟(か)」とつぶやきながら。(本書「一月の章」より)
現代こそ気候もだいぶ変わり、この本の書かれた頃とは風景が変わったかもしれません。それでも、こんな凍てつく季節から始まって、待ちこがれた春を迎え、夏、秋の旬へと移ろいゆくなかで次々と登場する味覚に接していくうち、改めて、この列島に生まれたことのありがたみを強く感じます。
僕にとって春は、苦味(にがみ)。年齢を重ねるにつれ、だんだん好きになっていきました。生命が芽吹く頃に生まれてくる山菜などは、まだまだ若々しい命をいただくのが喜ばしいのと、何よりもあの苦味が、冬の間いつしか身体に溜まった毒素を一気に出してくれる気がします。だからこそ、とても待ち遠しいのです。これは、若い頃にはまったくなかった感覚です。
水上さんのお父さまは、福井に住む大工さんだったそうです。木挽(こび)きの手伝いで山に入った時、お父さまは昼飯時になると近くの山に入り込み、30分ほど木の葉やキノコをとって戻って来て、それを焼いて食べていたそうです。他の大工たちは鮭や鰯などを持参しているのに、父親だけ、うどに味噌をつけたり、木の芽をむしって食べている――。その姿を「哀れに思った」と振り返ります。
この気持は今日もある。不思議なことだ。その時代から、ぼくら貧乏人の子らには、土の幸山菜を蔑んで、都会化された人工的な喰いものへの憧憬が芽生えていたとみる。 (本書「四月の章」より)
そんな幼少の記憶がベースにあったからこそ、その後、禅寺で精進料理をつくる日々を通じ、「旬を喰うこととはつまり土を喰うこと」であると悟り、水上さんはその尊さに気づかれたのだと思います。
軽井沢での品々のなかには、僕自身も、試したことのない食べ方がいくつか出てきます。言い方はちょっと悪いかもしれないですが、粗野で、素朴。でも、この食べ方こそ、食材の味を最も際立たせてくれるのかも知れません。素材に関しては、なるべく余計な手をかけないようにしながら、そのいっぽうで、味噌やタレなどに関しては、丁寧につくっていらっしゃる。そんな鮮やかな対照があることも、読みどころの一つです。
筍をこよなく愛する僕にとって、「五月の章」に登場する「筍とわかめの炊きあわせ」の文章などは、とても魅力的です。僕自身、筍の旬が訪れたら、知り合いの方に送っていただいた筍を届いてすぐに自分で湯がき、あく抜きして、いただきます。ただ、こうして読むうちに痛感するのが、「ふだんの生活ではほぼ99%、僕たちはスーパーから食を賄っている」という現実。水上さんの文章を読むうち、自分たちの暮らしが、いかに土と切り離されているか気づかされるのです。新芽が芽吹く景色、収穫の時の土のにおい、そうした記憶のない人々は、本来持っておくべき大切な感覚が欠けてしまっているのでは、との思いが湧くのです。
たとえば「令和の米騒動」もそうでした。「お米がない!」と急に皆が慌てふためき、店から米袋が消え、値段がつり上がりました。日本の主食たるお米が、いかに貴重であるかを思い知った上半期でした。けれども、そもそも、お米をつくる苦労や、ありがたみを忘れていたのでは。だからこそすでに米離れが進んでいたのでは。そうとも思うのです。稲穂の実る景色は想像できても、その稲穂をどうやって刈って、乾燥させ、脱穀し、もみを外し、玄米から精米するのか。そんなことをじっくり考える人は、はたしてどれぐらいいたのか。
水上さんの「六月の章」の中には、「ご馳走」という言葉の由来が記されています。ふだん何気なく使っている言葉について見つめ直すきっかけになります。
そこかしこに、水上さん自身の記憶が盛り込まれ、軽井沢から時空をゆうに越えて綴られていくのが、この本の最大の美点です。「食べる」ことは、匂いや味覚、目に見えない五感をフルに使うこと。だからこそきっと、忘れられない記憶となるのでしょう。年齢を重ねるほど、「食」の思い出をたどる時間が、どれほど尊いことであるかが、この本からも実感できるかと思います。
『土を喰らう十二ヵ月の台所』(中江裕司、土井善晴著、二見書房)では、今回ご紹介した本を原案にした映画に登場する四季折々の料理について紹介しています。料理を担当した土井善晴さんと、映画の監督・脚本を務めた中江裕司さんが、料理を振り返りつつ、献立、器、料理道具など多岐にわたって語り合っています。(構成・加賀直樹)