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「悪の魅力」を考える つぶされず 欲望叶える強さ(河合祥一郎・東京大学教授)

映画「ジョーカー」から

 映画「ジョーカー」が好評である。「バットマン」でジャック・ニコルソンが演じたスーパー悪党のイメージが記憶に残るが、今度の映画は、それとは違うジョーカー誕生秘話を描く。ハンナ・アーレントに倣えば、悪のヒーローは特別な人間ではなく、大衆の中にいると言えるだろう。大勢の人がピエロの仮面をつけて暴動を起こす恐ろしさは、現実社会に起こっている暴動を想起させて衝撃的だ。

 今、野村萬斎さんと次のシェークスピア狂言化を模索しており、その足掛かりとして『アテネのタイモン』を新訳して、萬斎さんの演出でリーディング公演を行って頂いたが、この戯曲は主人公が社会に裏切られた遺恨を強く抱えるという点で「ジョーカー」に通じる。シェークスピアと「ジョーカー」がつながろうとは意外だったが、ヒーローを目指す者がダークサイドに堕(お)ちる例は昔から枚挙に遑(いとま)がない。

観客も共謀者

 悪のヒーローが魅力的に見えるのは、どんな欲望であろうと、社会的制約を打破してそれを叶(かな)える夢を見せてくれるからだろう。萬斎さんとのシェークスピア狂言化の試みの第1弾は、『リチャード三世』を翻案した「国盗人」だった。狂言には本物の悪党が出てこないので最強の悪党を演じてみたい――少し悪いことをしても「許されませ許されませ」と言って逃げてしまうから――という萬斎さんの意向を受けて、『リチャード三世』を和風に書き直した。

 本稿で取り上げる最初の本は、わが姉貴分の松岡和子さんの訳『リチャード三世』だ。王位につくために邪魔者は兄でも妻でも次々に殺すという連続殺人鬼。観客に話しかけながら、観客を共謀者に仕立てあげてしまうところが、この芝居の醍醐(だいご)味である。松岡訳は、冒頭に舞台に馬が降ってきた故蜷川幸雄演出、市村正親さん主演で初演された画期的なもの。松岡さんはシェークスピア全訳の快挙を目前としており、来年には日本で3番目のシェークスピア全訳を達成する予定だ。実にめでたい。

虚無感に抵抗

 悪党をもう一人、演劇界から挙げるとすると、鶴屋南北作『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門がいる。女房のお岩とのあいだに子供もいるのに、金に釣られて新たな妻を娶(めと)ってお岩を捨てる。お岩は毒薬を飲まされて顔が爛(ただ)れて、悶絶(もんぜつ)死する。かつて白石加代子さんが岩波ホールでお岩を演じて、顔が崩れていく恐怖を壮絶に表現したのが忘れがたい。そのときの伊右衛門役は現・坂田藤十郎さん。当然かっこよく演じられたが、お岩の苦悶(くもん)をいやというほど味わった観客には、伊右衛門の身勝手さが許せない。リチャード三世のように欲望のままに勝手な生き方をしているのに、その悪行の悲惨さに注目すると、観客の心は悪党から離れていくのだ。

 そう考えると、おぞましい所業を描写しつつ、なおかつ読者の共感を勝ち得る悪の人物を描くのは至難の業と言えるだろう。それをやってのけたのが桐野夏生の『OUT』だ。米ミステリー界のアカデミー賞とされるエドガー賞の最優秀作品賞に日本から初めてノミネート。英語のサイト「フィクションにおける女性殺人者10」にも、エウリピデスの「メディア」などと共に挙げられていた。だが、悪を貫く主人公・香取雅子には華やかなところは微塵(みじん)もなく、強烈な欲望があるわけでもない。

 生活に疲弊して、洗濯物を入れずに洗濯機を回してしまう描写が秀逸だ。意味もなく排水、給水して脱水する洗濯機は、空回りする人生の徒労を示す。冷徹に死体を切り刻む雅子の強靱(きょうじん)な精神は、そうした人生の虚無感への抵抗だと感じられた。どんなに悲惨でも、つぶされまいとする強(したた)かさ。それこそが、悪の魅力の神髄なのかもしれない。=朝日新聞2019年11月23日掲載