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園芸から考える自然 作為をめぐり入り組んだ世界観 川原伸晃

城南宮神苑(しんえん)のしだれ梅=2025年3月、京都市伏見区

 思い返してみると、2020年代以降は「自然」の猛威に人が翻弄(ほんろう)され続けている。地球規模の感染症に始まり、気候災害の激甚化もとどまるところを知らず、日本では熊を筆頭に動物との関係にも再検討が突きつけられた。

 園芸とは、自然と人のあるべき関係を調整する営みである。そこでなされる園芸的思考は、自然からの撤退でもなく、はたまた自然の征服でもない。園芸文化から、自然と人のこじれた関係をひもとく知恵を探ってみよう。

早熟な「先進国」

 中尾佐助の『花と木の文化史』(岩波新書・1122円)は、園芸文化の歴史と意味を、世界と日本を比較的に論じた名著だ。中尾佐助といえば、栽培植物の起源を追い求めて世界を渡り歩いた、日本を代表する植物学者の一人である。そうした経験から、日本の園芸文化の独自性に強い確信を抱いていた。日本の園芸文化は、歴史的にみてヨーロッパより100~200年ほど先に成熟を遂げていた。日本では17世紀末の元禄時代頃から、すでに園芸が庶民の間に普及し始めている。世界的には近代になるまで、園芸文化は王侯貴族や権力者など上流階級の独占物であった。一般庶民の園芸文化は、他のアジアやヨーロッパ諸国でも長らく非常に乏しかったのだ。日本では100年以上のアドバンテージを背景に、日本庭園や盆栽、いけばななど、独自の園芸文化が高度に発達した。自然との関係をめぐる文化のあり方において、日本はきわめて早熟な「先進国」だったのである。

農耕で発見する

 そもそも日本人にとって「自然」はどのように考えられてきたのか。日本思想史上、最初に自然界を意味する言葉として「自然」を唱えたのは安藤昌益である。江戸時代中期の医師・思想家だ。権力とは距離を置き、秋田や青森で農民と共に町医者として暮らすなかで、独自の思想を練り上げた。著書『自然真営道』(野口武彦抄訳、講談社学術文庫・1760円)によれば、昌益の思想は万物の中心に土を見いだす。封建制を批判し、身分に関係なく万人が平等の立場で農耕に従事すべきだと説く。

 着目すべきは、昌益の「自然」には農耕という人の営みが、本来的に自然に含まれている点である。昌益の「自然」は、「作為」の概念を前提としている。自然界のなかで農耕を通して自然の摂理を理解する。「作為」である農耕によって、自然を「発見」しているのだ。ヨーロッパ的な「自然」と「作為」の二分法にすっかり慣れ親しんでしまった現代人の蒙(もう)を啓(ひら)いてくれるだろう。

 しかし、日本人の自然観は一筋縄ではいかない。人類学者の大貫恵美子は、『つくられた日本の自然 「日本の自然」はどのように語られてきたか』(みすず書房・3520円)で、日本の「自然」は時代の権力者によって作為されてきたと指摘する。

 その重要な契機が、平安時代に成立した日本最古の勅撰(ちょくせん)和歌集『古今和歌集』である。日本最古の歌集『万葉集』には、農民から天皇まであらゆる階層の詠み手が含まれていた。対して上流階級の詠み手で占められた『古今和歌集』では、貴族が暮らす宮廷の庭園に代表される安心で制御された「作為された自然」が、その自然観の礎となっている。現実の自然界で台風や洪水や旱魃(かんばつ)などの自然災害に立ち向かい続け、ままならない生活を送る農民たちの自然観はそこに含まれていない。こうして宮廷で理想化された自然が、その後の日本社会で「本当の自然」として構築されていったのだ。

 「作為された自然」によって基礎づけられた日本の園芸文化は、良くも悪くも入り組んでいる。この入り組んだ園芸文化の歴史から、私たちは現代の自然との向き合い方について何を学べるだろうか。=朝日新聞2026年2月21日掲載