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探検部の越冬、忘れられぬ味 西木正明

 5人兄弟の長男としてこの世に生まれたのが、昭和15年の5月25日。
 日中戦争の最中で、父親は軍医として出征していて留守だった。

 母親が看護師だったので、毎日勤務先の病院に連れて行かれ、1歳あたりまでは母乳で育ったが、歯が生えたころには、星形のキャンディーや乾パンなど、戦場にいる父親と、あまり変わりない食物を与えられていた。

 昭和20年夏、戦争が終わった時は、父親の実家である秋田県の農村に疎開していて、畑で取れたトマトやキュウリ、スモモをおやつ代わりにしていた。

 これが後年、大学で探検部なる部活に入ってから、大いに役立った。世界の辺境では、目の前にある物を食べなければ、食にありつけないことが、直感として身についていたからだ。

 探検部3年生から4年生にかけて、かのダーウィンが掲げた、人類の大移動説を身体(からだ)を張って証明するという、いささかはったりめいた目的を掲げ、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸を隔てているベーリング海峡に面した、アメリカ側の小さな集落ウェールズで越冬した。

 先住民族エスキモーと同じ食事を楽しみながら、連日凍結した海峡の彼方(かなた)に見えるシベリアの山々を測定して、この海峡を徒歩で渡れるかどうかを判断すること。それがわたしたちに与えられた任務だった。

 エスキモーの人々は、今もアザラシの生肉を日常の食事にしている。事前にそう知って、いささか緊張かつ楽しみにして現地に出向いたのだったが、これが杞憂(きゆう)であることを知るのに、時間はかからなかった。

 われわれが調査の拠点として選んだのは、ベーリング海峡のど真ん中にある、リトル・ダイオミード島という、文字通りの小島だった。

 島の西側水辺にある唯一の人里は、人口わずか70人余り(当時)で、全員エスキモー。日本人が自分たちと同じモンゴロイド(蒙古〈もうこ〉系)と知って、とても喜んで歓迎してくれた。

 この日からおよそ10日間。毎日凍りついた海面に穴をうがち、短い竿(さお)先に小さな針だけという仕掛けで、いい形のハリバット(大鮃〈おひょう〉)がおもしろいように釣れた。それを零下50度以下という酷寒の大気に晒(さら)し、ナイフでへずり取って、生のまま食べる。

 独特の甘みと舌触りで、とてつもなくおいしかった。およそ半世紀余り前のことなのに、思い出すだけで口の中の水分が増えてくる。この時食べたアザラシの生肉とともに、忘れがたい口福である。=朝日新聞2019年11月30日掲載