“一点透視法”のイラストで相撲部屋を一望
『稽古場物語』は、舞台美術家/エッセイストの妹尾河童さんの『河童が覗いた~』シリーズに倣った“一点透視法”で描かれた図解イラストと、そこに暮らす大相撲の親方や力士たちの言葉を元に、相撲部屋はどんな所か?が語られていく。作者は佐々木一郎さん。「日刊スポーツ」社の新聞記者だ。
「相撲部屋と聞いて、竹刀を持った怖い人がぶん殴ったり怒鳴ったりする様を想像する人もいるかもしれませんが、今どきそんなことはありません。相撲部屋はおすもうさんたちが日々稽古をする場でありつつ、生活をする場でもあります。また、相撲部屋は建築としても非常に特別で面白い。私は学生時代から妹尾さんの本をよく読んでいて、大学の卒業旅行でヨーロッパを旅したときには泊まった安宿の部屋を一点透視法で描いて、旅の記録として残していました。大学を卒業してスポーツ新聞社に入社し、サッカーやオリンピックなどの担当をした後に相撲担当になって相撲部屋に通う中で、建造物としても面白く、何より歴代の名力士たちが汗水流して稽古した場の記録を残しておくべきではないか?と思いました」
佐々木さんは相撲記者として現場で3年、その後はデスク(新聞社の次長に当たる役職)として7年、相撲部屋に通い続けてきた。デスクになって1年過ぎた頃にこの企画を思いついて自ら相撲雑誌に売り込み、相撲雑誌で4年間連載し、それをまとめて出版した。
相撲部屋建築からわかる師匠の考え
「一番最初に取材して描いたのは伊勢ヶ濱(いせがはま)部屋です。最初は筆力がなくて、土俵と上がり座敷を描くのが精いっぱいだったんで、書籍化することになって描き直しました。取材にはだいたい1時間かかります。歩幅で広さを計ってメモを書き、写真を撮る。帰ってからそれを断続的に20時間ぐらいかけ、1枚を仕上げます」
伊勢ヶ濱部屋のページを見る。大関になりながら足のケガで下位まで番付を転落、それでも不屈の闘志で復活して十両優勝を果たした照ノ富士(てるのふじ)や、バ~ンッと天井近くにまで高く塩を撒く小柄な力士、照強(てるつよし)などがいる部屋だ。玄関を入ると正面に上がり座敷があって、土俵が広がる。玄関から左手にはトイレやお風呂がある。
「相撲部屋は導線がよく考えられていますよね。稽古場では土まみれになってしまうので、そこから生活圏に戻るためには一回身体を綺麗にしなきゃいけない。だから風呂場は絶対に稽古場のすぐ側にあります。稽古の後にはごはんを作って食べなきゃいけないから、ちゃんこ場(台所)も近くに欲しいと。しかし両国に近いほど土地が限られますから、どうするかを師匠(親方)が建築士と相談して考えます。郊外に行けばゆったり場所は取れますが、国技館に通うのに時間がかかる。相撲部屋の建築を見ると、師匠が何を優先しているか見えてきます」
他の相撲部屋でも、風呂はすぐ側にある。中でもあの大横綱、千代の富士が建てた九重部屋を見ると「風呂場は広くて美しい。御影石製で角界(相撲界)№1の豪華さ」と佐々木さんが書き込んだ説明があって、さすが千代の富士、御影石の豪華な風呂が似合うなぁなんて思う。
「風呂場と言えば、鳴戸部屋には浴槽が2つあります。ここは2019年6月に完成したばかりの相撲部屋で、親方はブルガリア出身の元・琴欧洲。浴槽が2つというのは温浴と令浴とで交代浴をすると疲労が早く回復できるからなんだそうですが、わざわざ2つの浴槽を作るのはスペースが必要ですし、なにせおすもうさんは身体も大きいわけですから水道代がかかります。こんな風呂があるのはここだけで、全体に新しい発想を取り入れています」
伝統の継承か最新のスポーツ科学か
鳴戸部屋の図解イラストを見ると、録画した稽古を見られる大型のテレビモニターが壁に設置されていたり、大リーガー大谷翔平選手も取り入れていた「目標設定シート」をおすもうさんたちが書いて壁に貼っていたりと、なるほど新しい感じがする。ちなみに新設される前の仮宿舎だった鳴戸部屋図も掲載されていて、冷蔵庫にはいつも「ブルガリアヨーグルトが入っている」とある。新しい所でも冷蔵庫に入ってるんだろうな、ブルガリアヨーグルト!
「相撲部屋は最初に言ったように、おすもうさんが生活する場でもあります。掃除や洗濯をして、ちゃんこ(おすもうさんが食べるごはんを総称して“ちゃんこ”という)を作ります。幕内、十両の番付上位に上がるまでの幕下以下は全員、大部屋で一緒に寝起きもします。それがおすもうさんにとって、修行なんですね。普通のスポーツだったら、寮の個室に住まわせて食堂があって掃除洗濯もなくて、ひたすらトレーニングだけする。でも、それじゃ大相撲じゃないんです。相撲部屋では生活も修行であり、相撲道の追求で、伝統文化の継承なんです」
なるほど! 番付が下位のお相撲さんたちでは私生活さえも修行として捉えるのが、大相撲という文化なのか。だからこその集団生活。しかし、それは今の時代だとなかなか理解するのは難しいかもしれない。
「はい。伝統文化を継承する上で、バランスをどう取って行くか?はこれからテーマになると思います。より効率化が進むかもしれません。でも、元・若の里の作った西岩部屋は2年前に浅草にできたばかりの、やはり新しい相撲部屋ですが、『昭和の香りのするおすもうさんを育てたい』と師匠は言います。ただ相撲に勝てばいいというのではなく、たとえば若いおすもうさんたちに浅草の名所は何処で、こんな所ですというようなことをお客様から聞かれたら答えられるようにと教えたり、浅草の美味しい和菓子を食べさせて、このお菓子にはこういう伝統があってといったようなことを伝えています」
それはまた粋な! 相撲部屋と一口に言っても色々なタイプがあり、親方の考え方によってカラーが相当に違う。西岩部屋の図解イラストを見ると、「食の大切さについて書かれた本が置いてある」とも書いてある。
「指導のスタイルでも本当に様々で、一昔前なら『強く当たれ』とか『身体で覚えろ』と抽象的だったんですが、今は具体的に言う親方が増えてきました。春日野部屋は部屋付きの親方が5~6人いて、具体的なアドバイスをバンバンかけるんですよ。また、田子ノ浦部屋の部屋付き親方である元・横綱稀勢の里の荒磯親方は、早稲田の大学院でスポーツ科学の勉強をしていて、これまで相撲ではダメと言われていたような常識も、なんでもかんでもダメというのは正しいとは思わないと、それぞれのおすもうさんに合わせた教え方をしています」
部屋付き親方とは、師匠である親方とは別に、部屋に所属する人たち。いわば、監督がいてコーチがいる、といった感じか。師匠である親方より比較的若い世代が多く、そうした人たちが増えて相撲部屋はどんどん変わってきているのかもしれない。この本では、そうした部屋ごとの指導法も数多く語られ、相撲部屋が伝統とスポーツの間で試行錯誤しながらおすもうさんを育てる姿が見えてくる。
「鳴戸部屋はどちらかというとアスリート的な発想で、西岩部屋は伝統を守る発想。春日野部屋も荒磯親方のいる田子ノ浦部屋もまた違う。部屋それぞれに特色があって、それでいいんです。そうした多様性こそ、大相撲の魅力なんですから。そして、おすもうさんがどういう部屋に行ったから強くなる、というのもありません、人それぞれ相性もあります」
と、ここで佐々木さんがさすが相撲記者ならではの逸話を教えてくれた。
「例えば、横綱の白鵬がいる宮城野部屋は平成27年に墨田区内で移転してるんですが、する前もした後もとにかく稽古場が狭いんですね。風呂場もすごく狭くて、一人でぎっちぎち。だから稽古場の環境から見たら恵まれた方じゃないし、部屋の人数もそう多くないから常に自分と同レベルのおすもうさんと稽古もできない。なのに、こんなに強い。それで横綱に聞いたんですよ、『ずっと狭いですけど、それでも強くなったのは何故ですか?』って。そうしたら『土俵の大きさは一緒だから』って。これはおっしゃる通りで、環境のせいにはできないですね。同じく横綱である鶴竜のいた井筒部屋(現在は師匠が亡くなって陸奥部屋に移籍)も、鶴竜が入門してから人数がどんどん減ってずっと3人しかいなかった。もちろん他の部屋へ出げいこにも行きますが、本場所が始まると横綱がたった一人で四股など基本稽古しかできなかったんです。それでも一切文句など言わないで『自分でやらないといけないと思っています』と話していました」
部屋の多様性、見る側がいかに寛容に楽しめるか
練習環境に左右されず、たった一人で基礎練習をするだけでも強くなる。こうしたこともまた相撲の面白さ、不思議さだけど、そうした相撲の面白さや不思議さのスキを突いて、相撲バッシングが多いのも昨今の風潮。何か問題が起こる度にSNSが大炎上する。
「多様性を認めて、見る側がいかに寛容に楽しめるかが大相撲を楽しむコツです。正直、大相撲はツッコミどころだらけです。でも、その曖昧さ、しゃくし定規じゃないところが面白さだと思います。おすもうさんそれぞれの相撲スタイルがあり、相撲部屋も同じように師匠の考え方によって違う。最近はコンプライアンスが重視され、何でも遊びの部分が少なくなっていますよね。相撲界はまだそれが少し残っている文化だと思います。それを見る人たちが大事にしないと追い詰めて、なくなっちゃいます」
では、その多様な相撲文化を理解するのに役立つ本は他にありますか?
「技術的な面から相撲をどう見ればいいか分かりやすく書いた『大相撲の見かた』、相撲用語についてユーモアたっぷりに説明して、イラストも多いから初心者でもとっつきやすい『大相撲語辞典』、より文化的な面を追求し、行司装束のコレクションや髷を結う床山さんの仕事着コレクションなんかが掲載された『知れば知るほど 行司・呼出し・床山』の3冊をお勧めします」
この3冊、中でも「知れば知るほど 行事・呼出し・床山」は、大相撲がスポーツでありながら江戸時代から続く伝統文化であることがよく分かって面白い。力士のしこ名を呼び上げる、呼び出しさんの履く袴の腰板部分は、おすもうさんが昇進したときに呼出しさんへ自分の名前入りをプレゼントしたもの、なんていう小さなこだわりにワッと興奮したりする。
さいごに、相撲部屋の親方で一番の読書家と言えば?を聞いたところ、境川親方だそう。NHKの大相撲中継の解説席で、大きな身体を小さく縮こませて汗をかきかき解説する姿が「かわいい~」と、スー女(相撲女子)たちに愛される。境川部屋の稽古場の片隅には本棚もあるのを、図解イラストに見つけた。相撲部屋の土俵の脇に、本棚があるとは思わなかった。
相撲部屋は怖い所などではなく、興味深い所だ。『稽古場物語』の巻末には、その相撲部屋へ見学に行く方法なども部屋別に細かく書いてある。参考にして、一度ぜひ訪れてみてください。ただし、稽古が急にお休みで見られなかったとしても「そこはまた寛容な気持ちでおねがいします」と、佐々木さんの弁。