相反するすべての思いをこめて、H・P・ラヴクラフトに捧げる――。これはヴィクター・ラヴァルのホラー小説『ブラック・トムのバラード』(藤井光訳、東宣出版)の巻頭に掲げられた献辞だ。ラヴァルは1972年生まれのアフリカ系アメリカ人作家。怪奇小説の巨匠ラヴクラフトの世界に少年時代から魅せられていた彼は、後年ラヴクラフトが人種差別主義者だったと知って、裏切られたような思いを抱いたという。
『ブラック・トムのバラード』は、そんなラヴァルの愛憎半ばするラヴクラフトへの感情が深く刻まれた傑作である。ラヴクラフトの短編「レッド・フックの恐怖」と共通する世界を扱いつつ、ハーレムで生きる黒人青年を主要人物のひとりに据えることで、ラヴクラフトの視野からこぼれ落ちた恐怖や悪夢を見事すくいあげている。移民への嫌悪感や偏見と切っても切れない関係にある問題作「レッド・フックの恐怖」が、まさかこんな形でアップデートされるとは! その着眼点と巧みなストーリーテリングに、終始圧倒されっぱなしだった。
ニューヨークのハーレム地区で暮らすアフリカ系青年トミー・テスターは、怪しげな仕事を請け負って生活費を稼ぐ「やり手のはったり稼業師」だ。いつもギターケースを抱えているがミュージシャンではない。1920年代のニューヨークにおいて、黒人がブルースマンやジャズマンを演じるのは、差別から身をかわすための一種の処世術なのだ。
ある日、ブルックリンの墓地で歌っていたトミーは、ロバート・サイダムという白人の老人に声をかけられ、パーティでの演奏を依頼される。お世辞にも上手いとは言えないトミーの歌とギターに、大金を払おうというサイダム。その本心はどこにあるのか。警戒心を抱きながらも、トミーはパーティが開かれる屋敷に足を踏み入れる……。
黒人であるトミーに対し「生まれたときから、君の頭には無知のヴェールがかかっている」と言い放つサイダムは、人間心理の暗部を象徴するようなキャラクターだ。未知の力を求めてやまないサイダムの根底には、他者への軽蔑や嘲笑が横たわっている。とはいえ、トミーもまた偏見や差別意識から自由ではない。彼は彼で西インド諸島から来た移民たちを、不気味な連中だと感じているからだ。差別する者とされる者の関係は、常に一定ではない。ラヴクラフトの原典にはなかったこうした視点が、本書を現代的な問題意識に立ったホラーにしている。
加えて指摘しておきたいのは、本作のホラー小説としての完成度の高さ。トミーが怪しげな「黄色の本」をギターケースに入れて持ち運ぶ冒頭シーンから、怪奇小説ファンの心を鷲掴みにするシーンが目白押しだ。サイダムの屋敷がいつしか〈外〉の次元と繋がってゆくおぞましさ、戸口から決して外に出ない老女の不気味さ――。ページをめくりながら何度「これこれ!」と快哉を叫んだことか。
「ゴルゴー、モルモー、千の貌持てる月」など、ラヴクラフトに由来する印象的なフレーズを散りばめながら、原典に寄りかからないオリジナルな世界を作りあげているのも好感が持てる。とりわけ「至上のアルファベット」という魔術(黒人至上主義と関連があるという)が発散する怪しげな魅力には唸った。こんなに怖くて面白いホラーを読んだのは、本当に久しぶりである。
2016年にアメリカで刊行された原著は当然のごとく絶賛を浴び、シャーリィ・ジャクスン賞(中編小説部門)を受賞。すでにテレビシリーズ化の企画も動き出しているという。巻末の訳者あとがきによれば、ラヴァルにはこの他にも、「取り替え子」の伝承をモチーフにした幻想長編や、フランケンシュタインを現代に蘇らせたグラフィック・ノヴェルなどの作品があるとか。どれも興味をそそる内容ではないか。本書『ブラック・トムのバラード』が日本でも大ヒットし、ラヴァルのさらなる翻訳紹介が進むことを期待したい。