厚生労働省の麻薬取締部(通称マトリ)では、国内に約300人しかいない麻薬取締官が常に秘密裏に違法薬物の動向を追っている。本書はその組織を率いた元部長による、マトリの解説書であり、約40年間の捜査経験を踏まえた薬物犯罪史だ。
重機に隠して100キロ超の覚醒剤を密輸した国際組織、街で密売を繰り返す外国人グループ、法規制を逃れる危険ドラッグ店――。小さな情報から相手に迫る攻防の日々を描いた。客のふりをして店に潜入し、中身をすり替えて密輸品を追跡する捜査の一端も明かし、容疑者を確保する瞬間は息をのむ緊張感がある。
幼少期に見た映画やドラマの影響で犯罪捜査の道を志した。中でも、医薬品として活用され、幻覚や多幸感で人を夢中にさせる薬物問題の根深さに関心を持ち、明治薬科大学を卒業して1980年にマトリへ。デビューの地・大阪の怒号が飛び交う密売現場で、こわもての男と冷静に向き合って場を収めた先輩に身震いし、以後、最前線を歩んできた。
執筆のきっかけは月刊誌「新潮45」からのオファー。当時の担当者の、断っても諦めない「情熱にほだされた」という。2018年3月に退官後、同誌7~10月号で連載。薬物犯罪が減らない現状ももどかしく、大幅に加筆して本書にまとめた。
「乱用・犯罪の実態を知り、警戒心を持ってほしい」と語る。インターネットが普及し、薬物は今や誰でも簡単に売買できる。SNSで薬物を示す隠語が飛び交い、興味本位で手を出した若者がはまっていく。そんな現実に危機感は強い。
薬物犯罪撲滅には「教育が一番」と考え、講演や講義にいそしむ。小学生に話すことも。素朴な疑問に分かりやすく答えるのが難しい。「自分には薬物対策しかない。残りの人生も全てを注ぎたい」。退いてもなお眼光は鋭い。(文・写真 稲垣千駿)=朝日新聞2020年2月8日掲載