安部公房の『壁』は10歳か11歳のときに読んだ。早熟を誇るのではない。そんな子どもはたくさんいただろう。この本は子どもが読んでも面白いのだ。兄の書棚から拝借した。読み通せたのは、中短篇(ぺん)集であることと、安部真知の秀逸な挿絵によることが大きい。
第一部「S・カルマ氏の犯罪」では、名前を突然なくした男の胸に空虚感が広がり、曠野(こうや)を吸い込んでしまう。裁判の被告になるうち、体内の曠野ではいつしか壁がぐんぐん成長していく。第二部「バベルの塔の狸(たぬき)」は、自分の影を盗まれて、体が透明になってしまった貧しい詩人が主人公。第三部の短篇も含め、独特な乾いたユーモアにあふれている。こんな本を読んだ子どもは奇想天外な本を好むようになるだろう。後年、『不思議の国のアリス』やカフカを読むと、『壁』で歩いた道を思い出した。
しかし今度50年ぶりに再読して、『アリス』やカフカと異なる面にようやく気づいた。どう言ったらいいのか、都市のアナーキーがどこまでも外に向かって開かれていく、突き抜けた感じだ。どこからそのエネルギーは来るのだろうか。
「S・カルマ氏の犯罪」には、しらみをとる浮浪児がちらっとだが登場する。せりふは一度、下品な「おれも知らねえな」だけだ。「浮浪児」はもはや死語になりつつあるけれど、戦災で大発生し、いわば無名のうちに多く死んでいった彼らは、名前をなくした主人公につながる存在だ。『壁』を生み出した力の一端は、浮浪児のいるこの現実にあったのではないかと思う。=朝日新聞2020年2月19日掲載