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「俺のアラスカ」書評 命がけの対決を経た獣への畏敬

評者: 柄谷行人 / 朝⽇新聞掲載:2020年02月22日
俺のアラスカ 伝説の“日本人トラッパー”が語る狩猟生活 著者:伊藤 精一 出版社:作品社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784861827389
発売⽇: 2019/11/30
サイズ: 19cm/264p

俺のアラスカ 伝説の〝日本人トラッパー〟が語る狩猟生活 [著]伊藤精一

 「オレ」は1940年に東京都府中市に生まれ、会社員として働いたあと、73年にアラスカに移住し、その後、全長200キロにおよぶ原野の、先住民から譲り受けた罠猟場で、日本人として最初の、そしてたぶん最後の罠猟師(トラッパー)として名を馳せた。最後、というのは、彼が移住してまもなく、アラスカは石油バブルの結果、大きく変貌し、もはや大自然と野生動物が残るフロンティアではなくなっていったからだ。
 本書は、伊藤精一という人物の体験記である。といっても、本人が書いたのではなく、他人が書いたものでもない。かつて彼の妻であった編者が、テープにとった、客人相手になされた本人の談話を起こして並べただけである。当人もこの本の出版に同意したが、別に出したかったわけではないだろう。また、編者のほうもいたって無欲で、次のようにいう。〈〝むかしむかし、こんなところに日本人の猟師がおりまして……〟といった「むかし話」として、読者の皆さんに楽しんで読んでいただければ幸いと思っております〉。その意味で、本書は、柳田国男の『遠野物語』に似ている。柳田もそれを「書いた」というよりも、遠野に残った昔話を編集したのであるから。本書はいわば「オレの物語」である。
 「オレ」の猟の対象は、狼、ヘラ鹿(ムース)、熊、羊、山羊などである。羊といえども、アラスカでは、巨大且(か)つ敏捷である。「すごいよ、あの連中」と「オレ」はいう。猟では、銃の使用が法的に制限されているし、しばしば獣との命がけの対決になる。〈罠猟は遊びじゃあできないと、オレはいつも思ってるんだけどね。あれは、動物と人間の必死の闘いだからね、うん〉。〈怖いね、自然っていうのは……〉。気負いのない語りは、自然のことからアラスカの町に暮らす人々の生活にまで及び、愉快で興味深い。説教めいたところはないが、獣への愛、畏敬の念、そして人間への優しさが感じられる。
    ◇
 いとう・せいいち 1940年生まれ。73年にアラスカに渡り、内奥部のクリアーで罠猟師に。現在は引退。