1. HOME
  2. 書評
  3. 「ただの眠りを」書評 マーロウ再び 老境にしんみり

「ただの眠りを」書評 マーロウ再び 老境にしんみり

評者: 諸田玲子 / 朝⽇新聞掲載:2020年02月29日
ただの眠りを (HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS) 著者:ローレンス・オズボーン 出版社:早川書房 ジャンル:新書・選書・ブックレット

ISBN: 9784150019518
発売⽇: 2020/01/09
サイズ: 19cm/283p

ただの眠りを [著]ローレンス・オズボーン

 〈タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない〉
 私立探偵フィリップ・マーロウの名セリフに男たちは熱くなり、女たちは胸をときめかせた――かつてはそんな時代もあったのだ。生みの親のレイモンド・チャンドラーはもう死去していたけれど、私の青春時代もハードボイルド全盛期が続いていたので〈男は強くなきゃ〉と憧れたものだ。この年になって、かのマーロウに再会できるとは……生きていてよかったとわくわくしながら手にとった。
 時は1984年、老探偵マーロウは「頭は固く心はヤワな男として」メキシコの海岸の岩場に立つスペイン風の家で家政婦と野良犬と暮らしている。「がんばって人生を粋に過ごしていた」メキシコも今や時代の波に押し流されそうになってはいるものの、まだ残照のような華やぎもあって、海辺のホテルやクルーザー、おきまりのギムレット、噓つきで蠱惑的な美女も登場する。謎解き自体は単純で、今の読者には少々物足りなく思えるかもしれないが、「どんな男もどこか今とは異なる場所での第二の人生を夢見る。あるいは、今の人生と並行する人生を」とか、「人間、世界とは折り合いをつけなきゃならない。でもって、死に場所は自分で見つけることだ」なんていう調子も健在。タイムスリップしたようで、ほろ酔い気分にひたれる。
 とはいえああ……72歳のマーロウはもうあのマーロウではない。座頭市まがいの仕込み杖を手にしていてもあえなく悪者どもにやっつけられる。恋心を抱いた女からは「絶滅したクラシックな人間」だと思われ、「階段には気をつけてね」と気づかわれる始末。全編にただよう老いた探偵の悲哀こそが、実は本書の肝なのだろう。そう、題名も本家本元の『大いなる眠り』をもじったものか。ただの老人になってしまったマーロウは悲しくもおかしく、しんみりとした心地で、私は最終ページを閉じた。
    ◇
 Lawrence Osborne 1958年、英国生まれ。バンコク在住。本書で米探偵作家クラブ賞最優秀長編賞候補に。