吉祥寺という街が好きだ。母方の祖父母が住んでいたり、私自身が生まれた病院が近くにあったりしたこともあるのだろうが、幼い頃からよく出かけていた街の一つで、井の頭公園周辺ののんびりとした雰囲気も、至るところにある個性的な居酒屋やカフェも、私の「好き」がつまっている。
そんな吉祥寺に今年2月、とあるカフェがオープンした。「WORLD BREAKFAST ALLDAY」。名前の通り、世界の朝食を食べられるカフェだという。「イギリスの朝ごはん」などの定番に加え、2ヶ月ごとに「世界各国の朝ごはん」のメニューが入れ替わるシステム。大好きな吉祥寺という街で、世界を旅したような気分になれるのか!と嬉しくなった。
いろいろと旅をしてきて思うが、旅の中で、朝食というのは相当に重要な要素だと思う。朝ごはんを食べるという日常のささやかな行動が旅の中では「特別な瞬間」に感じられるし、わざわざ予約までして食べた高級ディナーの味よりも、一見素朴で安っぽいモーニングの味の方が鮮明に思い出せる。ベトナムのハノイの路上ですすったフォー(米粉麺)も、キューバのハバナのホテルで食べた大した味気もやる気もないクレープの皮も、イスラエルのテルアビブのホステルで出されたみずみずしいオレンジも、なぜか、いまだに忘れられない。
料理家の細川亜衣さんが書いた『朝食の本』(KTC中央出版)という本がある。細川さんがトロントやカッパドキア、西安などの旅先で出会った朝食のエピソードが、おいしそうな写真と簡単なレシピと一緒に紹介されている。
例えば、シチリアの朝食を描いたページでは、
アンナの用意してくれる朝食は、どこで食べるよりも豊かだった。私の顔を見てから、庭にオレンジをもぎに走り、古めかしい柑橘搾りで搾ってくれるオレンジのスプレムータ。毎朝焼きたての大きなケーキに、ごまがたっぷりついたパン、自家製のマルメッラータ、そして、真っ白なバター。(84ページ)
と書いてあり、読んでいるだけで、お腹が減ってくる。
旅先では、朝食が、日々の食事の中で不思議と強く刻まれる。アジア、中近東、ヨーロッパ、北米……。朝のほんのひと時を過ごす人々の顔。無心に食べる姿。時に、誰かと集い、時を忘れて語り合う朝。旅を重ねるごとに、朝食の時間はかけがえのないものとなってゆく。 家の朝食も、同じように愛してみよう。庭の実りを皿に盛る。栗や柑橘、梅にすもも。花や香草。家を一歩出れば、そこには、移ろいゆく季節があり、その時だけしか感じることのできない、色や香りがある。(3ページ)
で、吉祥寺のカフェである。
3月と4月の限定メニューは「ロシアの朝ごはん」。スメタナ(サワークリームに似た乳製品)とイクラ(そもそもイクラって「魚の卵」というロシア語なんですよ)を添えた、ブリヌイ(クレープとパンケーキの中間のような食感)や、ビビットな色合いが特徴的なビーツとジャガイモのサラダなどがワンプレートで提供された。「イワンチャイ」という、レニングラード産のヤナギランの葉をベースにした伝統的なハーブティーも一緒に。いずれも日本ではなかなか出会わない、不思議な見た目と味。「朝食」を食べているだけなのに、本当に旅をしているかのような気分になった。
朝ごはんから始める「世界一周」も、面白いかもしれない。また吉祥寺に行くときは、ぜひ、世界を食べに行こうと思う。