私たちが毎日食べている野菜や穀物は元をたどると作物の種子(タネ)が源になっている。昨今日本では、タネに関係する法律が相次いで国会で取り上げられ、食の問題に興味を持つ市民や農家が将来のタネの供給の持続性を心配する事態が起こっている。食の源と言われながらも、一般の消費者がタネに直接触れることはなく、タネとヒトがどう関係するかを実感する人は多くはない。しかし、実はタネとヒトとは、素敵なそしてドラマチックな関係を持っている。そんな物語を紹介したい。
米のミステリー
最初は、春先の季節とも関係する花粉症の話から。10年以上前になるが、国の研究機関と企業が協力し、遺伝子組み換え技術を使った花粉症緩和米が開発された。国民病ともいわれる花粉症がお米を食べるだけで緩和されるのだから、大歓迎されると期待されたが、実際に研究所外で栽培をしようとすると市民から大きな反対が起こった。自然環境や人間の健康に対する安全性の確証がない科学技術を社会に応用することは避けるべきであるという判断である。
内田康夫の『悪魔の種子』は、この花粉症緩和米の実用化をめぐるミステリーで、ドラマ化もされ、坊ちゃん探偵浅見光彦がお米の品種改良の歴史を学びながら事件を解決していく。その中で、コシヒカリの開発秘話が紹介されている。国民の役に立とうとする作物の品種開発技術者のたゆまぬ努力と、その前に立ちはだかる自然の力の脅威、ともすれば偶然とも見える神の見えざる手が働いて世に出されるタネの話は、謎解きに引き込まれながら、遺伝子組み換え技術についての基礎知識にも触れられる一冊である。
伝統野菜を守れ
最近注目されている伝統野菜の種子に関しては、阿部希望の『伝統野菜をつくった人々』がある。京野菜や加賀野菜などのご当地野菜はグルメ番組などで取りあげられ、地域おこしの資源にも活用されている。この本では、江戸時代に野菜の産地であった練馬や板橋の篤農家が中山道を旅する人に種子を売るようになったタネ屋の歴史の始まりを紹介している。
穀物とは異なり、品種育成が民間主導で行われたこと、明治中期以降、野菜種子の供給は、品種開発、採種管理、問屋、小売りなどに分業化され、特に品質管理に重点が置かれていたことを明らかにしている。野菜の産地化などは決して最近のことではなく、地域の文化とともに地域の企業の努力の結果なされてきたのだ。
もう一冊ユニークなのが、『タネの未来』である。著者の小林宙は、全国を旅する中で面白いタネと出会い、その多様性を残したいと、各地域に残る伝統野菜の種子を流通させるタネ屋を起業した。特定のジャガイモ品種の病気で飢餓を引き起こしたアイルランドの歴史や伝統野菜のブランド化リスク(市場で飽きられた場合など)を念頭に、各地の多様な品種をそのまま流通させている。その地域出身でない自分が採種すると、それはもう純粋な地域伝統野菜とは言えないという徹底ぶりである。
知的財産権の適用拡大によってタネが一部の企業に独占されるのではという懸念が広がっている。現在の種子に関するグローバルな状況の根っこを知るには、種子ビジネスのグローバルな協力関係と過酷な競争を描いて、種子を制する者は世界を制する可能性に警鐘を鳴らしたNHK取材班の『日本の条件7 食糧2 一粒の種子が世界を変える』(日本放送出版協会・絶版)を薦めたい。
毎日の食卓をより楽しむためにも、これらの書物を通して、私たちの生活の基盤であるタネをより身近に感じたいと思う。=朝日新聞2020年3月21日掲載