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「新しい監視社会」本でひもとく 万人が万人をのぞく息苦しさ 近藤康太郎・朝日新聞編集委員

武漢を訪れた後に隔離されたジャーナリストの家の前で監視カメラを調整する作業員。5月3日、北京市内で=AFP時事

 新型コロナウイルスの感染者と接触していた人に、スマートフォンで通知するアプリが導入される。使用は利用者次第で個人情報は取得されないというが、新しいタイプの監視社会が、すぐそこに来ている。

 コロナ禍の前に出版された『幸福な監視国家・中国』(梶谷懐・高口康太、NHK出版新書・935円)は、全世界で急速に進む「監視社会化」で先頭を走る中国を論じた。国民はスマートフォンの中に埋め込んだアプリを通じて買い物をし、検索し、企業に個人データの利用を許す。その見返りに企業や政府からサービスを受ける。

 新しい監視社会のポイントは「情報を提供すること、そのこと自体がユーザーに便益をもたら」すという点だ。だがこれは、中国の特殊事情ではない。

 「あなたは見られている。監視されている。追跡されている。(略)実際、あなたは監視国家に住んでいるのだ」

 『監視大国アメリカ』は米国で進行する監視社会化を描く。シカゴでは警察がコンピューターでヒートリストを作成している。銃撃事件の被害者・加害者となる可能性のある人物リストで、掲載される要因は前科や逮捕歴だと推定される。だが「アルゴリズムは警察の機密事項」で「正確さをチェックする独立監査システムが存在しない」。

“便利”な社会へ

 警察捜査において、黒人らが差別的な扱いを受けているとの批判は強い。コンピューターはそうした差別的データを解析、犯罪多発地域を予測する。有色人種を職務質問、捜査し、有色人種に犯罪多発という新データが積み上がるという、「自己充足的予言」が生じてしまう。

 問題は解析の中身がわからない、ブラックボックス化したシステムに行動が評価されることだ。それが、権力にはとりあえずおとなしく従った方がいいという「自発的服従」を生む。

 G・ドゥルーズとF・ガタリは『アンチ・オイディプス』(宇野邦一訳、河出文庫・上下各1320円)で「何ゆえに人間は隷属するために戦うのか。まるでそれが救いであるかのように」と問うた。現代政治学最大のなぞだが、従属しているほうが“安全で便利”な社会へ、テクノロジーが変質させているのだ。

 デイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生』は、リアリティTVに始まる「露出症指向」がSNSと出会い、自分もプチセレブになって他者にのぞかれるという、監視の持つ楽しさ・娯楽に気付く人たちが現れたと指摘する。テクノロジーにより「まなざしは疎まれるものから歓迎されるものに変った」のだ。

 かつてオーウェルが小説『一九八四年』で描いたディストピアのように「ピラミッドの頂点に『目』が君臨し、光線を放って地球を見張っている」のではない。「ソーシャルメディアでは、多数者が多数者を見ている」。万人の、万人による、万人のための監視。

選択肢は自分で

 オーウェルにも影響を与えたザミャーチンのSF小説『われら』では「人間の自由=0なら、人間は犯罪を起こさない」と作中人物は言い、「自由なき幸福か、幸福なき自由か。第三の選択肢はなし」と迫る。その息苦しさは現代そのものだが、本作には救いもある。

 ユーモアだ。

 セックスさえ許可制という社会に暮らす主人公は、いつしか病を得る。「困ったことになりましたね! きっと魂が形成されたのでしょう」。「不治の病」と診断される。
 自由か幸福か。単純な二者択一を断固拒否する。選択肢(オルタナティブ)は、自分で作る。自分の頭で考える。つまり、魂をもつ。作品の現代的読解から、トンネルの先の、小さな光が見えてくる。

 病を得よ。不治の病を、と。=朝日新聞2020年5月30日掲載