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志村けん「志村流」「変なおじさん 完全版」 時代に抗って貫いた笑いのスタイル

 三月末に志村けんが亡くなって以来、さまざまな追悼番組で彼の番組を見直して「しまった」という後悔の念を持った。彼について真剣に考えたことがなかったからだ。萩本欽一やビートたけしやタモリについてなら、彼らが七〇年代以降の笑いにどのような変革をもたらしたかを同時代から肌で感じていたし、テレビの歴史について考察するなかで何度も言葉にしてきた。

 例えば、欽ちゃんの長い時間をかけた素人いじり、ビートたけしの常識を脱臼させる鋭い感覚と前のめりの速度感、タモリのサングラスを介在させた社会への冷めた視線、それらは知的に論じるだけの価値があるのだと自然に思っていた。

 しかし、志村けんについては考えたことがなかった。私が子供の時に熱狂したドリフターズは荒井注時代だったし、志村が替わりに加入したが上手(うま)くいかなかった姿を見てしまったという世代的限界もあったのかもしれない。

 そして何より「バカ殿」にせよ「変なおじさん」にせよ、彼のヒット・キャラクターがいずれも、子供でも一目でわかるような、はっきりとした輪郭線を持ったアニメ的キャラクターだったために、複雑な味わいを得られないと軽くみてきてしまったように思うのだ。

 しかし今回彼の著書を手にして、彼が自分の「マンネリ」化したギャグを「スタンダード・ナンバー」のようなものだと冷静に分析し(『志村流』)、身体を動かすコントを続けてきたコメディアンとしてのプライドを語っている(『変なおじさん 完全版』)のを読んで自分の認識を改めた。

 トーク番組でプライベートを語ることが視聴者に受ける時代に抗(あらが)って、わかりやすいキャラクターを生かした虚構的な空間を作り続けることが、どれだけ困難な営みで、どれだけ頑固な笑いの思想を必要としたかを思い知らされた。時代の変遷の中で自分のスタイルを貫いた志村けんに、尊敬の念を抱いた。=朝日新聞2020年6月13日掲載