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「理由のない場所」書評 死んだ息子と話したい母の条件

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2020年07月18日
理由のない場所 著者:イーユン・リー 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309207964
発売⽇: 2020/05/19
サイズ: 20cm/212p

【PEN/ジーン・スタイン賞】今日も明日も、一週間後も一年後も、永遠に悲しい。あなたと話すために、この場所をつくることにした−。16歳の息子が自殺した。母親は、もう存在し…

理由のない場所 [著]イーユン・リー

 日本でもすでに読者を得ている作家の新作が出た。
 第一章は「お母さんに見つかるな」と題され、ニコライという16歳の少年とその母親が対話を始める。そして二人きりの対話は延々と続いていく。
 「お母さんに見つかるな」という息子へのメッセージを部屋に置いたのは母親自身であり、そこにこそ本作の切実な設定があるが、いくらなんでもここだけはネタバレなしで書評することが不可能だ。
 ニコライはすでに亡くなっていて、作家である母親は絶望の中で彼と話しあっている。理性ある〝お母さん〟ならこの妄想を自らに許さないだろうし、息子自身も現れてくれないかもしれない。死者と対話し続けること自体が果たして正しいかどうか、特に当事者に判断は難しいだろう。
 だからいわば秘密の場所で母子はたわいもないことを話す。ただ、そこで際立つのはニコライのきつい言葉の数々で、生前の彼が聡明で皮肉屋だったろうことがわかる。と同時に、ここにこそ息子を亡くした母の切ない矛盾が存在する。
 死者がもし優しければ、作家である母はそれをすぐさま虚偽と認識し、書くことをやめてしまうはずだ。自己満足のために息子を利用していることが自分に明らかになるから。
 したがって、なるべく長く子供と話していたい彼女は、ひたすら死者の厳しい非難を前にし、生きている今を検討し直す他ない。それは死者と生者の関係における絶対的な条件かもしれず、先日書評したJ・M・クッツェー著『イエスの学校時代』で、主人公である子供ダビードが義父に皮肉な態度をとっていたことにも呼応するように思う。彼は死者でなく神だったが。
 さて、自分をなかなか許さない息子と対話し続ける母に何が訪れるのか。彼らは単純な和解の物語を選ばない。だがしかし、その人生のありように読者は胸をしめつけられるだろう。
 これは本当の話なのだ。
    ◇
 Yiyun Li 1972年、北京生まれ。作家。米プリンストン大で創作を教える。『独りでいるより優しくて』など。