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サンキュータツオさん随筆集「これやこの」インタビュー 生きることと死ぬことは連続している

文:瀧澤文那 写真:村上健

誰かを亡くすときの心の準備になれば

――なぜ「死」をテーマにしたんでしょうか。

 死ぬっていうことに対して、同世代とちょっと話が合わないんですよ。友達と話していて、まだ人が死んだのを見たことがないとか、身内の死を経験したことがない人が結構いることに気づいたんです。
 それで、僕は割と小さい頃からまわりで人が死んできたんだなって、改めて思ったんですよね。僕が七つから八つにかけてのとき、父が48で亡くなりました。いまだに、僕は48までに何かをやらなきゃいけないんじゃないかと思ってるんですよね。死ぬっていうことが割と身近に感じられている。

――「死」を冷静に眺めているというか、本書で取り上げた人たちとも独特な距離感がありますよね。

 僕はどんな人とも仲良くなるときには、この人と死ぬまで付き合うかとか、いつ亡くなるんだろうって考えちゃうんです。友達でも、この人死んだとき線香あげに行くかどうか、自分に問う。

――死を織り込んで付き合っていくわけですね。

 死ぬっていうことは、大ごとではあるんですけど、当たり前のことです。必ず訪れることですし、人は死ぬときは死にます。この本が、これから誰かを亡くすときの心の準備になればいいんじゃないかなと思うんです。
 準備ができていないと、死という現実を直視せずにやり過ごしたり、あるいは必要以上に落ち込んで立ち上がれなかったりします。それはそれで仕方ないのですが、苦しくてもほかに手はなにもないし、苦しんでいい、悲しんでいいんです。そういう感情を消したり軽くすることはできないし、その必要もない。そういう感情と、うまくやっていくしかないのです。
 この本を読みながら「自分にもこういう距離感の人いたなぁ」なんていうことを思い出して、心の準備をしたり、直視できなかった大切な人の死を受け入れる作業をしてもらえたらいいなと思います。

――どうやって「死」と向き合うか、ということを考える契機になりそうですね。

 この時期になって、ドラマやお芝居でも太平洋戦争を舞台にしたお話が多いっていうのは、やっぱり圧倒的な「生」がそこに存在していて、同時に圧倒的な「死」も描かれているからだと思うんですよね。生きること死ぬことは、連続していることだと思う。
 見ず知らずの人でも、特攻に行くだけでもう悲しいじゃないですか。その人に家族がいるとか、こういう交流があったとか、具体的に描かれるだけで悲しい。
 ただ、生死の大切さみたいなものを表現するために、いまだに太平洋戦争の記憶にすがらないといけない死生観って、ちょっと脆弱だなと思うんですよね。
 昔は、3世代同居が多かった。おじいさんおばあさんの最後の仕事って、死ぬ姿を見せてくれることだと思うんですよ。こうやって人って死んでいくんだっていうのを間近で見ることによって、生きるとか死ぬということをリアルに受け止められていた。今は、そういう経験がないから、やっぱり死に鈍感になってきている。

――死が遠くなっていますね。

 それは生にも鈍感になっているということだし、さらに言えば痛みにも鈍感になっているということだと思う。だから、例えば、木村花さんをSNSで中傷して自殺まで追い込むとか、そういうことができるんでしょうね。
 僕は、父親に教えてもらったと思うんですよね。もう日に日に干からびていくような感じを、目の前で見せ付けられた。「こんなに苦しいのか」と思いましたし、「この人死ぬな」っていうのはやっぱりわかったんです。
 そういう経験をしてない人からしたら、死ぬってどういうことかわかんないかもなぁ、と。

人の死は、必ず何か残してくれる

――タツオさんにとって「死ぬ」ってどういうことなんでしょうか。

 圧倒的現実だから、逃げられない。肌で感じられるものだから。肌で感じられていない人が「なんで死んだらいけないのか」とか「なんで殺してはいけないのか」と理屈で捉えようとするんですけど、そもそも頭でっかちに捉えられる類のものはない感触のものだと思うんです。
 死に対して受け身をとり慣れてない人は、どうしても、ただひたすら悲しむとか、真面目に受け取ることしかできないと思うんです。だけど、全然そういうことじゃないんですよね。
 まず、本当に全てを出し切った人って満足してると思う。
 それから、今回の本の中には自殺した人も何人か出てきますけど、残された人がどうやって生きてくか、自分は誰に何を伝えていくのか。そういうことを考えてみて欲しいと思っています。自殺はいけない、という正論を言うつもりはない。
 人の死は、必ず何か残してくれるものがある。振り返らせてくれるものがある。絶対にちゃかしちゃいけないし、軽々しく「死ね」とか言ってはいけないし、神聖な儀式のようなものだと思うんですよね。

――「悲しい」だけじゃない、と。

 同じ時代の空気を吸って生きていて、触れ合ったということは、本当にたまたまじゃないですか。同じ時間を過ごせていたっていうことに対する喜びの方がやっぱ勝るなと思います。
 例えば、孫とおじいちゃんって、最初から一緒にいられる時間が限られている、結構切ない関係ですよね。僕の場合、祖父母は、だいたい中学から大学にかけて4人とも亡くしました。でも、祖父母側からしたら、10歳から15歳ぐらいまで一緒にいられればいいかなというくらいで接してくれていたんじゃないかなあと思う。それは若い頃はわからなかったし、わからなくて良かったんですが、年を取れば彼らの気持ちもわかってくるのも道理です。
 自分が生きている中で、どこかで触れ合ってるっていうことが、どれだけ奇跡的なことか、体感してもらいたい。これは、相手の有名無名問わず本当にたぶん奇跡なんです。
 例えば、僕が生まれたのは1976年ですが、その時点では、僕の家の近所だと、作家の井伏鱒二とか、将棋の大山康晴十五世名人とかが生きていましたから。想像するだけで感じるものがありますよね。

――夏目漱石の『三四郎』でも、そんな話がありましたね。

 三代目柳家小さんですね。

――登場人物に「実は彼と時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ」と言わせています。

 僕らからしたら三代目小さんは、どんな人だったんだろうと思いますよね。もっというと、三遊亭圓朝の高座はどんな風だったんだろうとか、むちゃくちゃ夢想します。圓朝は音源も残ってないんで、しのぶこともできない。高音だったのか、低音だったのか。でも、その当時の人たちは当たり前のように圓朝っていう存在に触れることができて、聞くことができた。
 圓朝レベルだったら、それでも語り継ぐ人もたくさんいますが、初代圓左ってどんな感じだったんだろうとか五明楼玉輔ってどんな人だったのかなと考えると、そういうの誰か書き残してくれてないのかなと思うんです。

死を覚悟してから進化した2人の落語家

――2人の落語家との別れを取り上げた「これやこの」は、まさにそんな仕事ですね。

 柳家喜多八師匠と立川左談次師匠は、すごいお仕事をなさった人達でした。落語とか演芸の世界で知らない人はいないんですけど、一般の人は知らないかもしれない。音源がたくさん残っているわけでもないですし、僕の世代で誰かが語らないことには存在すら忘れられてしまうかもしれない。
 今回はたまたま喜多八師匠、左談次師匠でしたけど、その前にも名人直前で亡くなった方がいます。大阪だと桂吉朝師匠、東京でも二代目桂文朝師匠、古今亭右朝師匠といった方、浪曲では国本武春先生も55歳で亡くなりました。大名人として知られる前に亡くなっているんですけど、もはやその師匠を知っている人たちも高齢化している。とにかく90年代から落語を聴いてる40代ってあんまりないんですよね。そうすると、お客さんもどんどん亡くなっていく。
 なんとか、年寄りの繰り言にならないような形で、自分が見ている間にも、ここまで積み上げてきた人がいたんだよっていうのを誰かに伝える必要はあるかな、と思います。

――「自分が語らずに誰が語る、と思える人物に、人生でどれだけ出会えるだろう」という一節も印象的でした。

 晩年は僕が主催している落語会「渋谷らくご」にも携わっていただいて、そのキャリアを締めくくっていった様子は、他の仕事をしている人が見ても、感じるものがあるんじゃないかなと思ったんです。

――病気がわかってからの2人の描写には鬼気迫るものがあります。

 執念ですよ。喜多八、左談次は、死を覚悟してから進化した。そこまでに積み上げてきたものがあったから、進化が出来たんです。

――死や病すら芸の肥やしにしているように感じました。

 本当にそうです。左談次師匠なんて、ドキュメントにしちゃった方がお客さんが来るって言っていました。「もう、またみんな人が死ぬの好きなんだから」って、いじってましたからね。カッコよかったなァ。一方で喜多八師匠は、まったく病気のことには触れない。だれの目にも明らかなのに、一切口にしないんです。そのカッコよさもありましたね。

――それでもお客さんを楽しませることが出来るのがすごいです。

 圧倒的自信があったんでしょうね。この二人は特別だったかもしれない。悲壮感の出てしまう人もいますから。

――正直「どうしてここまで」とも思いましたけども。

 舞台に上がるために生きてるんですよ。前田隣っていう漫談のすごい師匠がいたんですが、末期がんの入院先から高座に上がりに来ていました。あした順子・ひろし先生っていう漫才の先生がいて、ひろし師匠なんかは、自力でも歩けないくらいでも、舞台出ると立ってしゃべれるんですよ。だから、舞台がないと生きていけないんだと思う。
 左談次師匠も、本当に「唯一の抗がん剤はもう皆さんの笑顔です」って言ってましたから。「もう一カ月この日のためだけに生きてて後もずっと家で寝てる」って。

――芸人として、共感しますか。

 そりゃ、わかる。それは幸せなことです。やっぱり亡くなる寸前まで自分を待ってくれてる人がいて、自分の話を聞いてくれる人がいるっていうのは、やっぱりそれだけで背筋が伸びる。生きながらえる。

人間とは最後に死ぬオチが決まってる大喜利

――タツオさんの学生時代の友人だった「ゆん」(「鶴とオルガン」)やバイト先の古書店主(「黒い店」)などのエピソードも味わい深いです。

 分量的にもいびつで、喜多八、左談次の一章が長くて、あとは短編です。だけど、命としては、喜多八、左談次も、ゆんも同じ。並列させることに意味があるかなと思った。
自分の死を意識したときに、劇的に変わる人もいれば、あんまり変わらない人もいる。端からそのつもりでやってたよって言う人もいます。
 人間って、最後に死ぬっていうオチが決まってる大喜利みたいなところがある。本当に気を使わせたくない人は何も言わずに、淡々と終活をしてしまう。
 「黒い店」という話に登場する上野文庫の中川ご主人の場合は、「もう死ぬから」「先長くないから処分手伝って」みたいなね。どんな心境で言ったのかなと思いますけど、すごくサバサバしてました。そういう意味では、侍だったなと思うんですよね。
 当然、自分が死ぬときのことも考える。僕の場合はいつも明日死ぬんじゃないかと思って、身近に死を感じてきました。魅入られているのかもしれない。で、なにかに迷ったら「明日死ぬとして、面白いほう」を選択し続けてきました。

――死に際も様々なら、タツオさんの関わり方や受け止め方も様々でした。

 喜多八、左談次に関しては、やれることは全部やったって思えるんです。だけど他の人はそうじゃなかった。最後にこういうこと言っとけばよかったとか、もうちょっと連絡取っておけばよかったとか、何かしてあげられたんじゃないかとか、いろいろあるんですよ。いろいろあって、後悔って絶対避けられない。
 たぶん、本当に悩んでる人がたくさんいると思う。でも、後悔や寂しさと共に生きていくしかない。それだけです。一期一会です。だから、この本はハウツー本や自己啓発本じゃないんですよ。
 後悔しないために人と付き合いましょうとか、命より大切なものがあるんだとか、自殺はよくないとか、そういうことを言いたいわけじゃない。その寂しさに耐えながら生きていくことが、知性だと思う。自分の人生と、折り合いをつけていく。どうしたらいいんだって、もがくじゃないですか。もがいていいけど、自分で解決しなきゃいけない。自分と折り合いをつけていく術っていうのは身につけなきゃいけない。

――本の中には、人づてに友人の死を聞かされる、というケースもありますね。

 「死」って観念的な側面もありますよね。死んだっていう情報を聞いたとき、自分にとっては初めて死ぬ。実体が消える。
 誰々は3日前に亡くなって葬儀は近親者で済ませました、みたいなニュースがある。そのニュースを聞くまでは自分にとっては生きているのと同じじゃないですか。
 そう考えたら、立川談志は、実体は消滅したけど、思想は全然まだ生きているんですよ。
 蟬丸の歌だって生きている。

――本のタイトルに引用した「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」ですね。何百年も前の歌が、いまの自分の気持ちにピタリとはまる瞬間があります。

 そうなんです。だから、蟬丸も生きている。
 肉体の消滅と、思想や哲学、生きる姿勢っていうのはまた別だと思うんです。「語ることで生き続ける」という単純なことではなくて、思想や哲学や生き方が、「いま生きている」っていうことだと思う。マルクスだってカントだってまだ生きている。

――話題に上るということではなく、思想やスタンスとして現役ということですね。

 そこまで偉い仕事をしてなくても、おばあちゃんがいつもこう言ってたとか、やっぱり大事だと思うんですよね。ウソをついたら閻魔様に舌を抜かれるとか、非科学的だけど否定できない神話として自分の身体に刻み込まれている。市井の人々のその身内の言葉でも印象に残ってることってたくさんあると思う。いろんな人を思い出して欲しいですね。