中国の鬼はもともと死者の霊
――加門さんは幼少期からずっと鬼がお好きだそうですね。きっかけは何だったのでしょうか。
それがよく分からないんです。気づいたら「心に鬼が棲んでいた」という感じで、具体的なエピソードがないのが自分でも不思議なんですよ。子どもの頃一番好きだった童話は浜田広介の「泣いた赤鬼」ですし、酒呑童子や茨木童子にはアイドル的な憧れを抱いていました。どうも世間には鬼という言葉にまったく無関心な人と、過剰な反応を示す人の二種類がいるようですが、わたしは明らかに後者です。
――そもそも1992年刊行のデビュー作『人丸調伏令』も、鬼を題材にした伝奇小説でしたね。
我ながらぶれがないですよね。鬼への愛が強すぎて、ストーカーっぽいかなと感じることもあります。以前、ある霊能者の方と話していて「加門さんは鬼が憑いているから強いよ」と言われたことがありました。お酒の席の話でしたが、突然だったのでびっくりしてしまって(笑)。見る人が見れば鬼に憑かれている、というのが一目瞭然なのかもしれません。
――新刊『加門七海の鬼神伝説』(朝日新聞出版)は、そんな加門さんの“鬼愛”がほとばしる歴史エッセイです。執筆の経緯について教えてください。
これまでも機会があれば、鬼について書きたい、書きたいと口にしてきました。しかし出版界には「鬼は売れない」というジンクスがあって、実現しなかったんです。今回『HONKOWA』というホラーコミック誌から連載の話をいただいて、性懲りもなく鬼を書きたいと提案したらゴーサインが出た。『HONKOWA』は歴史ミステリー系のマンガも載っているので、媒体のカラーに合っていたのかもしれません。幸い連載中の読者アンケートも悪くなかったようで、ひとまずほっとしています。
――私たちが鬼と言って連想するのは、頭に角が生えて縞のパンツを穿いた昔話のキャラクターです。しかし『鬼神伝説』で扱われている鬼の姿は、もっと多様かつ捉えどころのないものですね。
絵本に出てくる鬼の姿は、陰陽道でいう鬼門が丑寅(北東)の方角にあることに由来します。丑寅だから、牛の角と虎の牙を持って、虎皮の褌を着けているんですよ。これはあくまで日本独自の解釈で、中国でいう鬼とはもともと死者の霊のことです。
――死者の霊ですか。それも現代人の抱く鬼のイメージとは違います。
さらに日本では古くから「鬼」という字を、「かみ」「もの」「しこ」などとも読んでいました。かみは神、ものはモノノケ、しこは醜いという意味ですが、本来は強くて恐ろしいものを指すといいます。この三つの言葉を眺めると、かつて日本人が抱いていた鬼の姿がおぼろげに浮かんでくると思います。その他にも、鬼という言葉には、精霊や祖先、先住民族などの意味もある。時代が下るにつれてネガティブなイメージが強まりますが、善悪二元論で割り切れるような存在ではないんですね。
伝説に登場する鬼たちは美形揃い
――全8章にわたり、鬼のさまざまな姿が紹介されています。まず取りあげられるのは「鬼界のヒーロー」酒呑童子。人間の生き血を吸う悪鬼として扱われがちですが、そもそもの伝説では笛を愛する美少年だとか。
そうなんです!酒呑童子は美形だし、立ち居振る舞いも知性的。異形のモンスターなんてとんでもない誤解ですよ。酒呑童子に限らず、伝説に登場する鬼たちが美形揃いであることは、声を大にして主張しておきたいですね。
――しかも、酒呑童子の暮らす里は、美しい理想郷のような土地として描かれている。
不思議でしょ? こんな理想郷を治めていた酒呑童子は、果たして邪悪なだけの存在だったのか。そんなことはないと思います。謡曲の『大江山』では討ち取られそうになった酒呑童子が、「鬼神に横道なきものを」という有名な台詞を発します。つまり鬼には嘘や邪悪がないのだと。朝廷に対立する者がなぜこんな台詞を口にするのか。書き手は何を伝えたかったのか。ここにも酒呑童子の正体に迫るヒントがあるようも思いますね。
――一方、鬼退治で有名な平安時代の武人・源頼光と四天王に対しては、「現実の武勇伝は皆無」「凡人揃い」とかなり手厳しいですね。
酒呑童子をだまし討ちにしたんですから、そりゃ腹も立ちますよ! 源頼光は藤原道長と同時代人ですが、当時の貴族社会の記録にはまったく名前が出てこない。そのくらいの武人だったということです。それが後世、鬼退治のヒーローとして扱われる。源氏の価値を高めるための、巧みなイメージ戦略があったと見るべきでしょうね。『日本書紀』などの史書には、作り手の意図がかなり色濃く反映されていますが、鬼の伝説にも似たような面があるんです。
――「鬼の女王」鈴鹿御前を取りあげたパートは痛快の一言。あんなに面白い鬼の伝説があったとは知りませんでした。
鈴鹿御前はまず気高い女王様然としたキャラクターが素晴らしいですよね。あそこまで自由奔放に生きられたら、さぞ楽しいだろうなと。しかも最後まで討ち取られることがないので、鬼好きでも安心して読める。本で紹介したのは奥浄瑠璃の「田村三代記」ですが、よくもまあこんな物語を思いついたな、と感心するくらい面白い。当時これを生で聞いていた東北の人たちは、本当にわくわくしたでしょうね。
――オカルトに詳しい加門さんならではの、大胆な推理や仮説も読みどころ。桃太郎の昔話を陰陽道から読み解くくだりが、個人的にはハイライトでした。
それはよかった。日本の昔話には結構、中国渡来の陰陽五行説が入りこんでいるんです。本にも書いたとおり、桃太郎と家来の動物たちは五行でいう「金」、鬼は「木」にあたります。つまり桃太郎の昔話は、金が木に克つという五行説の理を表している。鬼伝説の地には鉱山が多いことから、鬼退治を鉱物資源の争奪とみなす説もありますが、わたしとしては五行の相克関係が気になります。
――軽妙で勢いのある文体も本書の魅力ですね。「消えてなくなれ『桃太郎』!」「あまりの色気に卒倒しそうになる」といった表現には、思わず噴き出してしまいました。
自分でもやりすぎかなと思いつつ(笑)、まあ学術書ではないからいいかなと。日本史に馴染みのない読者もいるでしょうし、適度にくだけていた方が面白く読んでもらえるでしょうから。発表媒体がコミック誌だったことも、読みやすさを意識するうえで影響がありました。
フィクションの素材として鬼は重すぎる
――鬼の話は下手に扱うと、運が下がったり、事故に遭ったり、超常現象に見舞われたりする、との序文にはゾッとしました。
創作をする際には、気をつけなければいけない三つの素材があると言われます。ひとつは鬼、もうひとつは聖徳太子、そして南北朝。これらは扱いを間違えると、洒落にならないことになる。ある作家さんの体験談ですが、鬼を扱った作品を書こうと準備を進めていたら、小さなトラブルや怪我に見舞われるようになり、とうとうデスクの脇に据えた大きな本棚がばーんと倒れてきて、結局書くのを諦めたそうです。
――ちょっと鳥肌が立ってきましたが、一体どういうことなのでしょう。
フィクションの素材として、鬼は重すぎるんじゃないでしょうかね。ややオカルト的な言い方をするなら、「向こう」には訴えたいことが山ほどあるわけで、到底一人の人間には受け止めきれないですよね。だから障りが出やすい。この連載をしていて不安だったのは、途中で打ち切りになったらどうしようことでした。そうなったら当然、障りがあるだろうなと。最後まで無事書き終えることができたのは幸いでした。
――加門さんといえば、数々の心霊体験でも知られますが、鬼の存在を感じ取ることはありますか。
全国の神社を巡っていると、ここは鬼を祀っているんじゃないかなと感じる場所はありますね。大抵、そういう神社は由緒が不明なんですけど、普通の神社とは明らかに気配が違います。清々しいわけでもないし、逆に禍々しいわけでもない。どこか言葉が通じないというか、宇宙人を相手にしているみたいな感覚です。何かしらの理由があって、鬼が祀られるようになったんでしょうね。
――美しさ、気高さ、猛々しさ、激しさなどさまざまな性質をもった鬼は、加門さんが書かれているとおり「千変万化で捉えがたい」存在です。本書を読んだことで、ますます興味が湧いてきました。
古代から現代にいたるまで、鬼はさまざまに姿を変えながら、日本人を畏怖させ、魅了してきました。その一端を紹介することができたのは、幸せな機会でした。わたしは鬼を可哀想な存在として書きたくはないんですよね。むしろ憧れの対象だと思っていますから。書き手の思いが暴走しすぎて、呆れられるかもしれませんが、鬼を知るひとつのきっかけにしてもらえると嬉しいです。この本が、鬼の復権にわずかでも繋がることを祈っています。