1. HOME
  2. インタビュー
  3. 柴崎友香さん短編集「百年と一日」インタビュー なにげない日常にこそ、人生が

柴崎友香さん短編集「百年と一日」インタビュー なにげない日常にこそ、人生が

柴崎友香さん

想像の「すき間」残した33編

 生きる時代も場所も違うのに、なぜか「こうもあり得た、もう一人の自分」を見せられた気になる。柴崎友香さんの新刊『百年と一日』(筑摩書房)は、そんな読後感が印象的な短編集。書かれなければすぐに消えてしまう、ささやかな日常を言葉によってつなぎ留めた掌編それぞれに、人生の確かな手触りがある。

 収録する33編の多くに、長い題名が付く。
 「たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」

 男はかつて情を交わした女がアパートの窓辺に腰掛け、たわいもない肝試しの話をした光景がなぜか忘れられない。25年後、たまたま通りかかった窓辺に、よく似た女の姿を見る。

 あらすじのような題名にある通り、劇的な出来事は何も起こらない。それでも、感情表現を抑え、わずか数ページで描かれる男の半生には奇妙なほどのリアリティーがある。

 「『なにげない日常』と片付けられてしまうことの積み重ねこそ、その人を形づくっているのでは。『決定的なこと』だけで出来てはいない人生を書きたい、と思っています」

 各編の登場人物の多くは「男」や「娘」などと呼ばれ、舞台となる地名もはっきりしない。

 「固有名詞をなるべく避けて、想像する『すき間』を多く残しました。読んでいる間は、他者になりかわってその感覚を借りられるのが、小説のおもしろさ。身近にいる人の話かもしれない、と想像しながら読んでもらえたら」

 書名には、永遠でも千年でもなく、「百年」をとった。「100年前なら、街に建物が残っていたり、祖父母を通して(その上の世代の)思い出話を聞かされていたり。生活として、実感できる時間だから」

 芥川賞を受けた「春の庭」をはじめ、かつてその場所に生きた人たちの時間が積み重なった街と、今そこに生きる人間の関係を描いてきた。「人は自分の記憶や経験だけでなく、他者の記憶や経験をも生きているものだと思います」

 そんな思いのこもった一編が、巻末の収録作「解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった」。

 解体業者の男たちが、取り壊し前の古い建物の部屋で、原稿の束を見つける。それは半世紀以上前、戦争を生き延びてその部屋にたどり着いた間借り人が、戦時下の日常の記憶を〈忘れないように、書いておこう〉としたものだった。
 〈戦争が始まってもまだそんなにも生活が変わらなかった〉こと、〈生活に支障が出始め、隣人が互いに監視しあうように〉なったこと……。

 物語は、間借り人の記憶と、原稿を託された家主の次女の記憶とを自在に行き来しながら、最後は解体業者の手で原稿が破棄されるところで終わる。

 「原稿は捨てられても、読んだ人の記憶に残れば、なかったことにはなりません。人と人の記憶はある意味つながっていて、それをつなぎ目なしに表現できるのが小説だと思います」(上原佳久)=朝日新聞2020年8月26日掲載