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くさばよしみさんの絵本「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」 本当の幸せとは何だろう

文:石井広子、作家写真:本人提供

理想を堂々と語る姿に衝撃

――2012年、ブラジルのリオデジャネイロで「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催された。そこで大きな話題を呼んだのが、第40代ウルグアイ大統領(在任期間2010~15年)だったホセ・ムヒカによる十数分の演説だった。伝説のスピーチとして世界に紹介されたこの内容を『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)として絵本化したのが、編集者のくさばよしみさん。14年の刊行からたった6年間で、38刷りを記録するロングセラー絵本になっている。

 友人から彼のスピーチがYouTubeにアップされているのを聞き、実際に見てみたんですよ。この国際会議の半年後くらいだったかな。ネクタイを着けずに質素な姿で話す大柄な男性。彼はスペイン語で話していましたが、英語の字幕付きでした。

 「いまの地球の危機の原因は、環境の危機ではなく政治の危機なのです」――。たった十数分のスピーチでしたが、「すごい、こんな人がいるんだ!」と衝撃が走り、絵本を思いついたんです。世界中の各国首脳が集う国際会議で、理想を堂々と躊躇せずに話す、こんな大統領が実在することを子どもたちに知って欲しかったからです。絵本なら読みやすいのではという単純な理由でした。そこですぐに出版社に電話をして、絵本の出版を提案しました。編集者が動画を見てくれて、私の打診から2~3日後には「すぐ作りましょう」ということになり、まさにとんとん拍子だったんです。

『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社より)

――本作のタイトルについては、編集者と慎重に議論を重ねた。既に世界では、“世界でいちばん貧しい”と敬意を込めて評されていたという。今では、そのキャッチを付けたムヒカのドキュメンタリー映画も制作されている。

 はたして「貧しい」という言葉を使っていいのか。でもムヒカさんは、実際には全然貧しくないんです。大統領としてはあえて質素に暮らしていても、心はとても豊かですから。「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に多くを必要とし、もっともっとと欲しがることです」とはムヒカさんが国際会議で力強く語った言葉。要するにお金がないから貧しいということではない。でも結局、ムヒカさんが「僕はそう呼ばれている」と言っていた言葉からタイトルを付けました。

「グローバリズム」をどう訳す?

――農地を耕し、ペットに餌をあげ、お湯を沸かしてお茶を飲む――。大統領とは思えぬ、質素な暮らしぶりから絵本は展開していく。運転手付きの公用車ではなく、古びたブルーの愛車を自分で運転して仕事に向かうムヒカ大統領。そして国際会議の場面に移り、ムヒカさんが演説した言葉が読者に語り掛ける。

 最初のページは、絵をお願いした画家の中川学さんのアイデアなんです。うまいこと作ってくれたなと思っています。色鮮やかな微笑ましい絵によって、ムヒカさんの日常が想像できますから。中川さんは、京都市内のお寺で住職をしている方で、スピーチの内容が「“足るを知る”という仏教の思想に通じますね」と共感して絵本の絵を快諾してくださったんです。

『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社より)

 絵本を作り始めるときは、まずスペイン語のスピーチを翻訳家に直訳してもらいました。子どもの心にも響く演説でしたが、とはいえ国際会議の演説です。子どもにはわかりづらい用語が使われていたので、それをやさしい言葉に噛み砕いて、原稿に整えていきました。特に「グローバリズムが世界を覆っています」という言葉を意訳するのが難しかったですね。

 ムヒカさんは、ここではグローバリズムをよくない文脈で使っていたわけですよ。それに沿って子どもにどう伝えるかをすごく悩んで、結局「いまや、ものを売り買いする場所は世界に広がりました。わたしたちは、できるだけ安くつくって、できるだけ高く売るために、どの国のどこの人々を利用したらいいだろうかと、世界をながめるようになりました」と、この言葉をひねり出しました。どう意訳するか大変だったけれど、醍醐味でもありましたね。ここでは利益を最大限生むためにどこの国の人を使うかっていうことだと思います。そうしたグローバリズムの本質を子どもに伝えなければいけないと思ったんです。

 スピーチの言葉だけでなく、その国際会議が実際にどのような様子だったのかを知りたくて、伝手をたどり会議に参加した新聞記者やNGOの人に取材しました。各国の首脳陣が演説するときは、記者やNGOの人は会場には入室できず、別室のモニターで見なければいけなかったそう。演説の順番は大国の首脳から始まるので、ムヒカ大統領のスピーチは最後の方だった。だから既に大国の首脳は退席してしまっていて、会場は満杯ではなかったといいます。それでも残っていた人は、真剣に聞いていたとか。またウルグアイ大使館にも協力を仰いだのですが、大らかなお国柄なのか「協力はできませんが、どうぞお好きに」と言われて(笑)。

――ムヒカ大統領は、政治、経済、環境だけではなく、人の生き方へと世界の諸問題の本質を突いていく。絵本の中では、工場で働く人々、大量の紙幣にまみれる大人たち、社会の歯車の中で何とか生き延びようとする欲深い人間も描かれているが、胎内ですやすや眠る赤ちゃんも登場する。

 特に私が好きなのは赤ちゃんの絵が描かれているページ。私にも子どもがいるせいもあって、ちょっとうるっときちゃいます。そこには「わたしたちは発展するためにこの世に生まれてきたのではありません。この惑星に、幸せになろうと思って生まれてきたのです」という言葉を綴っている。ムヒカさんは「生きていることは奇跡だ」と繰り返し言っています。詩的な言葉にも聞こえますが、ゲリラ活動により4度も投獄され、壮絶な経験をもつムヒカさんにとっては実感こもった言葉。その根底には投獄中、膨大な科学系の本を読んだうえでの科学の知見があったと思いますね。

『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社より)

生きることを、自分の頭で考えよう

――「大統領の仕事は仕事だと思ってない。使命だと思っている」と語るムヒカさんからは、いろいろ考えさせられたとくさばさん。彼の言葉はシンプルにして、とても深い。絵本づくりを経た今、やっと気づくこともあるという。

 仕事って考えてみれば、みんな人のためにやっているんですよね。そして私たちは集団で生きているわけだから、それぞれが社会で必要とされる役割を担っているんだなと思っています。「幸せ」って、一つ間違えば理想論的な軽い言葉にも思われがちですが、本当の幸せとは何でしょう。仕事してお金を儲けて豊かな暮らしをすることも一つかもしれませんが、長時間労働してるだけではよくない。ムヒカさんはドイツのような「職住接近」の暮らしがいいとも語っています。職場と家が近ければ通勤時間も減り、家族との時間もとりやすいですよね。特に今のコロナ禍ではリモートワークも増えていますし、地方でも仕事ができることを実現していくことも一つの希望かなと私は思います。

――2016年4月、ムヒカ元大統領が来日した際、広島平和記念資料館を訪れたときのこと。くさばさんにとって忘れられない読者との出会いがあった。

 資料館の前に、ある親子がいました。聞けば、ニュースでムヒカさんが広島に来ることを知り、福岡から駆け付けたといいます。絵本を読んだ娘さんがすっかりムヒカさんの虜になったのがその理由。仕事を辞めたばかりだったというその父親は、「これまでは一生懸命稼いで、娘に質の高い教育を受けさせることが自分の役目だと思っていた。でもそれは違う。子どもと時間をたっぷり過ごすことの方が大事なんじゃないか」と絵本の感想を語ってくれました。それを聞いたとき、ムヒカさんのメッセージ、そして私が伝えたかったことが届いていると実感しました。報われた思いでしたね。

こちらも世界の偉人を紹介する絵本「潜入! 天才科学者の実験室」シリーズ。偉大な発明や発見をした科学者の実験の様子を、緻密なイラストで解説している

――この絵本は大使館を通して、ムヒカさんに送ってもらった。ムヒカさんからは「そりゃうれしいさ、少しは、私も何かの役に立っているわけだ。妻のルシアが、絵がぺぺ(ムヒカさんの愛称)にそっくりねっていうんだ」とメッセージをもらったという。

 ムヒカさんにそう言ってもらえて嬉しかったんですけど、ムヒカさんをカリスマにしちゃいけないとずっと思っていました。感動してるだけではいけないということです。ムヒカさんの言葉を天から降ってきた託宣みたいにしてはいけない。来日していたムヒカさんに「生きるってどういうことですか?」と聞いたら、「皆、そうやって僕に悩みごとに対する処方箋を求める。そんなこと自分で考えろ」って言われてしまったんです。優しいおじいちゃんに見えますが、私にはとても怖く感じました(笑)。自分の頭で考えていくことが大事なんです。

 ムヒカさんの言葉を紡ぐことは、すごく幸せでした。この絵本の内容は、小さいお子さんにはまだ難しいこともあるかもしれません。でも親御さんが何か感じてくだされば、お父さんお母さん同士で話すことで、子どもの前でこれを背景にした言葉が自然と出る可能性もありますしね。

 今後、作っていきたい本は2つあるんです。一つは、市民として積極的に社会参加をする、シチズンシップを育むような本です。皆で社会を運営していくことが大事だと思うので。またこれまでは、ノンフィクションの本や科学系の絵本が多かったのですが、物語も手掛けていきたいです。子どもにとって想像力ってとても大切ですからね。