私には不眠と軽度の抑鬱傾向があるのだが、なにか他人に否応なく迷惑をかけてしまうような致命的なかたちであらわれるわけでもなく、本人としてはまあまあ悩んでいるけれどそれを言うともっと苦しい人に対して何故か恥ずかしいような気持ちになりあまり言わない。しかし「言うほどでもない」という症状で悩んでいる人は多く、そうした言うほどでもなさを大したことはないものと捉えず肯定していきたい気持ちもある。極端に心配されても恐縮してしまい気まずいのだが、相談する相手を間違えて「そんなの大したことないよ」とか言われると傷つく。自分自身もどこかでそう思っている部分もあり否定できず、しかしちゃんと傷つくので怖いのだ。不調も辛いのだが不調の告白も大変なので人間関係が面倒臭い。いきなり私事から入って恐縮だが、そうした事情もありとくに抑鬱状況にいるひとの身辺雑記を読むのがすごく好きだ。代わりに言ってくれている気がしてすごく勇敢な気持ちになる。
どの本を読んでも面白い稀有な作家である山本文緒の『再婚生活 私のうつ闘病日記』はそのなかでも自分にとって特別な本だ。単行本を夢中で読んでいたときは、この本は「うつ闘病日記」ではなかった。文庫化に際した前書きで、単行本を出したときにはまだ病気に対し吹っ切れていない部分があったと著者は書いている。
基本的に文章というのは書かれたときには既になにかしらの折り合いがついており、決定事項のように読んでしまいがちだが(少なくとも読者としての私にはそうした傾向がある)、書いている立場からすると書いた直後から、あれはあんまり言葉にして定着させるほど自分にとって確固たる認識じゃなかったな……と思えてくることがある。ようするに言語化したあとでもそんなに開き直れていないことだらけなのだけど、自分でも書いた文章を読み返すと不思議とどこかしら開き直っているように読めてしまう。少なくとも自分が書いた文章にはそうした乖離が大なり小なりいつもある。
しかしこの本にはそうした吹っ切れてなさがある程度そのままに書かれており、無理に整理して吹っ切ったように書かない、その勇気とやさしさがこの本を自分の特別な本にしてくれたのだと思う。書かれてることをまっすぐに受けとめることができ、とくにドラマティックなことが起きるわけでもないのに兆すしずかな感動に読む手が止まらない。日記の主である著者自身だけでなく、出てくる人物すべてが真摯なようすをみせてくれて、それを素直にうけとめることができる。
できるだけありのままを書いているけれど本質的には創作であるのが日記であるから、こうした著者の気質が日記としてのおもしろさに加算されているのだと思う。この本をおもしろく読めていつもうれしい。折に触れて読み返し、勇気づけられている。