第三回まで中高生の頃に大好きだったものについて書いてきたので、最終回では幼少期に大好きだったものについて書こうと思いました。色々と考えたのですが、最初に浮かんだのが「ザリガニ」でした。皆さんよくご存じの生き物、ザリガニです。
私は小学四年生の時に、小説家になりたいと考えるようになりました。しかし、実はその前に別の夢を抱いたことがあり、それが生物学者でした。小さな頃から、生き物が大好きだったからです。人生で最初にはまったシリーズは『シートン動物記』と『ファーブル昆虫記』でした。小学生時代、ミステリーと出会う前は、戸川幸夫作品と椋鳩十作品に何よりも憧れていました。
私は新潟県新潟市で生まれました。新潟というと雪深い田舎を想像される方も多いと思います。ただ、実家が新潟駅のすぐ近くにあったため、身近に野生の生き物はほとんどいませんでした。しかも母親が生き物を大嫌いだったため(息子には鳥の名前がついているのに)、犬や猫を飼うことも許されませんでした。
そんな我が家に転機が訪れたのは、4歳の秋のことでした。
父親の転勤で、同じ新潟県の三条市に引っ越すことになったのです。
家の周りは田んぼだらけ! 野生の生き物が沢山! 近くに川もある! そんな地域でした。
今では信じられないような話ですけど、家の周りの田んぼで、毎年、蛍の群生を見ることが出来ました。そんな三条市で、貴重な体験を幾つもすることになりました。
幼少期、私はカマキリを見つけると、素手で捕獲せずにはいられない病におかされていました。
ある時、カマキリの巨大な卵を発見し、喜び勇んで自宅に持ち帰りました。しかし、前述の通り、母親は生き物が大嫌いなので、見つかるわけにはいきません。机の裏に隠していたのですが、卵なので、当然いつかは孵化します。
ある朝、悲鳴で目覚め、リビングに行くと、母が半狂乱になっていました。そうです。無数の小さなカマキリが孵化していたのです。ぜひ、画像検索をして欲しいんですけど、カマキリの赤ちゃんって本当に可愛いんです。ただ、一つの卵から大量に生まれて来るので、放置していたら、そりゃ、もう悲惨なことになります。
弟や父親が犯人の可能性だってあるのに、母はこういうことをするのが私だと思い込んでいるので(まあ、実際に犯人は私ですが)、罪状認否をすっ飛ばして、激怒しました。私が犯人じゃなかったら、どうしてくれるんだと思わなくもないのですが、とにかく激しく怒られました。私は人生で一度も父親に怒られたことがありません。ただ、母親には数え切れないくらい(カマキリ事件のように、別に怒ることなくない? カマキリの赤ちゃん、最高に可愛いじゃん。という、私的には理不尽な理由で)怒られました。
我が家の大パニック事件は、もう一つあります。
田んぼでおたまじゃくしを大量に捕まえて持ち帰ったところ、やはり家の中には絶対に持ち込ませないと突っぱねられました。しかし、どうしても育ててみたかったので、何度も何度も頼み込み、最終的に、玄関でならという許可をもらいました。
幼稚園時代の話です。私はおたまじゃくしが蛙になるということを知りませんでした。
足が生えてきた! 手も生えてきた!
おたまじゃくしの変化に一喜一憂していたら、母が「この子たちは蛙になるのよ」と教えてくれました。大人はさすが物知りだな! と感動したのですが、やがて悲劇が起こります。
再び母の悲鳴で起こされ、リビングに行くと、ご機嫌な蛙たちが家中をうろうろとしていました。
手足を得た蛙たちが、バケツから脱出し、我が家を闊歩していたのです。
蛙に触れない母は、半狂乱でした。
おたまじゃくしが蛙になると知っていたなら、こうなることも予想出来たんじゃないんだろうかと思いましたが、そんなことを告げても怒りが増幅するだけなので、黙っていました。一匹ずつ捕まえて、そっと、自然に帰しました。
前振りが長くなってしまいましたが、大好きなザリガニの話はここからです。
カマキリに得も言われぬ魅力を感じていたように、幼少期の私には、凶暴な手を持っている生き物に惹かれるという特性があったようです。男の子ですしね。
三条市に引っ越し、家族で散歩をしていると、用水路に見たこともない生き物を発見しました。
赤く、凶暴な二つのハサミを持つ生き物、ザリガニとの運命の出会いです。
そのフォルムを見て、一目で恋に落ちた私は、どうしても捕まえたいと懇願しました。
私の生き物に対する執念深い性格を知っていたからでしょう。ここで止めても、どうせ一人で捕まえようとする。そそっかしい長男は、そのまま用水路に落ちかねない。ならば目の届く範囲で捕まえさせよう。そんな風にでも考えたのか、母の指示で自宅に網を取りに帰ることになりました。
当時の私は、捕獲を一対一の真剣勝負と捉えていたので、網の使用は邪道だと考えていました。常日頃から、カマキリも素手で捕まえることを生業としていました。そうすることが生き物に対する誠実さだと考えていたからです。
しかし、ザリガニは凶暴なハサミを持っています。初対戦でしたし、慎重を期して網を取りに行くことを認めました。取りに戻っている間に、いなくなったらどうしようかと不安でしたが、当時の用水路や田んぼには、幾らでもザリガニがいました。
初対戦で、私は二つの衝撃を受けることになりました。
母がザリガニの進行方向から網を寄せると、何と尻尾の力で、ザリガニが真後ろに高速で逃げて行ったのです!
ザリガニは後ろに逃げる!!!!!!!
この動きが、小学生にもなっていなかった私に与えた衝撃は凄まじいものがありました。
世の中には、こんな生き物がいたのか! という感動。そして、何故、大人なのに、母親は知らなかったんだろうという驚きでした。(生き物が大嫌いだから、捕まえようとしたことがなかったんでしょうけど、それにしても)
その日から、三条市で過ごした小学三年生の終わりまで。
私とザリガニの波乱に満ちた戦いの日々は続きます。
私は、大きなザリガニを見つけたら捕まえなくては気が済まないという新種の病気にかかってしまい(だって、その子を逃がしたら、もう二度と大きいザリガニとは出会えないかもしれないのだから!)、下校中であろうと関係なく、ハンティングにいそしむようになりました。
小学生になってすぐに、ザリガニを捕まえようとして用水路に落ち、買ってもらったばかりのランドセルと教科書をダメにしてしまったことがあります。
あれは夏の始めでした。今でもはっきりと覚えているのですが、背中から落ちたこともあり、水に浸かりながら見上げた太陽が綺麗で、そのまましばらく眺めてしまったんです。あー。また、怒られるなと思いながら……。
でも、不思議と、その時は、怒られませんでした。
新品のランドセルや教科書をダメにしてしまった私のことが可哀想だったからなのかもしれません。
そして、その結果、私は学ぶことになりました。
普段なら怒られるような案件でも、度を過ぎると、怒りより心配が勝つので怒られないのです。
私は子どもの頃から、とにかく怪我が多く、小児科ではなく整形外科の常連でした。怪我をする度に不注意を怒られるわけですが、骨折までいくと怒られないんです。可哀想にという気持ちが勝つからのようです。
話がそれました。
入学早々、教科書をダメにした私ですが、そんなことでザリガニへの情熱が冷めるはずもなく、以降も、大きな個体を発見しては、捕獲を続けました。
そして、小学二年生の夏。
下校中に、かつてないほどのサイズを持ったザリガニと、運命の出会いを果たします。
彼は本当に大きく、立派なザリガニでした。
死闘の果てに素手で捕まえ、持ち帰ろうとしたのですが、学校のすぐ傍で捕まえてしまったため、自宅まではまだかなりの距離がありました。しかも、炎天下の真夏でした。
ザリガニの背中を持ち、途中で何度も用水路に入れたのですが、すぐに渇いてしまいます。逃がすという選択肢はありません。彼はうちで(自宅には入れてもらえないので、玄関の外で)飼うのです。そう決めているのです。
彼の体調を心配していた私は、道中で一つの名案を思いつきます。
靴を脱いで用水路の水で満たし、彼をその中に入れたら良いのです!
買ってもらったばかりの靴でしたが、ザリガニの命の方が圧倒的に大事だったので、私はその名案を実行し、もう片方の靴で太陽の光から守るための蓋をし、裸足で歩いて帰りました。道中、近所のおばさんとすれ違い、奇異の目を向けられましたが、恥ずかしくなんてありませんでした。
だって、私は、こんなに立派なザリガニを捕まえたのですから! それなのに……。
帰宅すると、当然のように物凄く怒られました。
「あんたは、どうして……いつも……どうして……」と、呆れられました。
でも、私は問いたかった。反論すると余計に怒られるから言わなかったけど、言いたかった。
母よ。あなたは、ザリガニの命よりも、靴の方が大切なのか!
靴なんてどうせすぐにサイズが合わなくなって買い換えです。
でも、命は! 失われてしまった命は、もう戻らないんです!!
理不尽なことで沢山怒られました。
でも、だけど、私は、今でもザリガニが好きです。
生き物が大好きです。
大人なので、もう捕まえませんけど。
今でも川でザリガニを見つけると、反射的に手が捕獲の形になってしまいます。