- 質草女房(渋谷雅一、角川春樹事務所)
- 震雷の人(千葉ともこ、文芸春秋)
- へんぶつ侍、江戸を走る(亀泉きょう、小学館)
渋谷雅一『質草女房』は、鈴木英治、鳴神響一、今村翔吾ら人気の歴史時代小説作家を世に送り出した角川春樹小説賞の第十二回の受賞作である。
貧乏浪人の柏木宗太郎は、常連だった質屋の主人から、女房を質に入れたまま音信が途絶えた篠田兵庫を捜して欲しいと頼まれる。同じ浪人ながら大義のため彰義隊に入った兵庫に興味を持った宗太郎は、その行方を追う。
敵地を偵察する新政府軍の速水興平と、兵庫がいるらしい会津への潜入を試みた宗太郎は、高い理想を掲げる新政府軍のマイナスの側面を目撃する。
日本の発展のためなら弱者の犠牲は仕方ないと考える速水と、そうした現実論に違和感を覚える宗太郎の対比は、現代の状況と重なるので一五〇年前の物語とは思えないのではないか。
千葉ともこ『震雷の人』は、山本兼一、葉室麟、青山文平ら直木賞作家を数多く輩出している松本清張賞の第二七回の受賞作。武術の達人の美少女を主人公にした波瀾(はらん)万丈の物語は、武田泰淳が一九六五年に「朝日新聞」に連載した『十三妹(しいさんめい)』を彷彿(ほうふつ)させる。
顔季明と張永は、文官と武官としてよき国を作ると誓い合った親友だったが、安禄山が起こした乱に直面する。そして安禄山軍に婚約者の季明を奪われた張永の妹・采春も、得意の武術を使って渦中に飛び込むことになる。
文化の力は武力に勝るとの信念を持つ季明と、その理想に共鳴した采春らが大乱に挑む展開は、国が持つべきなのは軍事力か、文化力かを問い掛けており、季明が高名な書家・顔真卿の甥(おい)との設定がテーマを際立たせていた。
采春のほかにも、卓越した商才を持つ福娘など、自分の力で人生を切り開いている魅力的なヒロインがおり、女性読者は共感も大きいように思えた。
伊東潤、澤田瞳子のように新人賞とは別のルートで登場し、活躍している作家も増えてきている。下水道の調査が趣味で、現代でいえばアイドルの追っかけもしている武士を描いた特異な設定だけで続きを読みたくさせる『へんぶつ侍、江戸を走る』でデビューした亀泉きょうも、その一人である。
将軍・徳川家重の駕籠(かご)を担ぐ明楽(あけら)久兵衛は、追っかけていた芸者の愛乃(えの)が毒殺されたことで、陰謀に巻き込まれ追われる身になる。久兵衛が蓄積してきた知識を活(い)かして危機に立ち向かうところは、趣味に打ち込んでいる読者は特に痛快に感じられるだろう。
だが、愛乃の死が実際の大事件と繫(つな)がっていると判明する中盤以降になると、国家の公平性とは何かに切り込むテーマが浮かび上がってくる。そのため登場人物の魅力、娯楽小説の面白さ、重厚な主題のバランスが絶妙だ。=朝日新聞2020年10月28日掲載