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日常にひび、悪意がどろり 矢樹純「妻は忘れない」など杉江松恋さんが薦める新刊文庫3冊

杉江松恋が薦める文庫この新刊!

  1. 『妻は忘れない』 矢樹純著 新潮文庫 649円
  2. 『死者と言葉を交わすなかれ』 森川智喜著 講談社タイガ 814円
  3. 『ガン・ストリート・ガール』 エイドリアン・マッキンティ著 武藤陽生訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 1430円

 (1)本年、日本推理作家協会賞短編部門を授与された作者の最新短篇(たんぺん)集である。
 表題作は、夫・晶彦との関係に悩む千紘という女性を主人公とした心理劇だ。義父の葬儀に、晶彦の前妻である佑香が現れた。晶彦はまだ彼女を愛しているのではないか。自分を邪魔に感じ、排除しようとしているのではないか。そうした疑惑を裏付ける証拠の品を、千紘は発見してしまう。
 些細(ささい)なきっかけから日常を覆う殻にひびが入り、悪意がどろりと顔を出す。収められているのはそうした五つの物語で、どれも意外な地点に着地する。

 (2)は怪談風の装いをまとった作品である。興信所を経営する彗山小竹(ほうきやましの)と不狼煙(のろさず)さくらは、調査の対象者が急死するという事態に遭遇する。彼女たちが仕掛けていた盗聴器には、対象者が三十年前に死んだ妹らしい人物と会話を交わす模様が録音されていたのである。ありえない事態に驚いた二人は真相を探り始める。
 虚構の世界を描く小説ならではの技巧に驚かされる一篇で、結末を予測するのはミステリーを読みなれた読者にも難しいだろう。

 (3)政治的対立が激化し、テロが頻発していた一九八五年の北アイルランドが物語の舞台だ。二重殺人事件を担当した王立アルスター警察隊のはみだし者・ショーン・ダフィ警部補が、容疑者らが次々に自殺してしまうという異常な事態に遭遇する。ここで描かれているのは当時の北アイルランドでしか起きなかったはずの事件であり、人間の本質的な愚かさを痛感させられることになる。=朝日新聞2020年11月7日掲載