同毒療法ではないが、辛(つら)い状況になると、収容所を描いた本をつい手に取ってしまう。お陰で、人とつきあっていても、こいつは収容所の中で信頼できる奴(やつ)かと値踏みし、自分は壁新聞を作ろうなどと考える。
この小説は、スターリン時代の収容所での一日だ。主人公は高潔な人物でもなく、どこか調子のよい平凡な農夫シューホフ。寒さと過酷な労働の地獄の状況下に何事もなかった一日が淡々と描かれる。処世術にたけた彼の生活は板につき、手際がよい。パンを隠し、一皿余分にちょろまかす方法など、細部の描写が収容所のリアルとなっている。
会田雄次『アーロン収容所』もそうだが(生き抜くための盗みも同じ)、とにかく食べ物の話がよく出る。食への執着は当然だ。絶望する言葉や感情をもつのは贅沢(ぜいたく)でさえある。
抑留についての本を編集し、抑留者の方のお話を直接お伺いしたことがある。抱え込んだ体験は重い。
今の社会は大きな収容所のようになりつつあると思った。ソルジェニーツィン『収容所群島』にも描かれるが、収容所ではならず者が幅をきかせ、知識人は階層の底辺におかれる。すべてに理由は明かされない。囚人が囚人を搾取して既得権益を手放さない。政治家は、囚人頭のようなものかもしれない。皆生き抜くだけで精いっぱいになってしまう。収容所で映画監督エイゼンシュテインを論じないまでも、この小説の主人公のように、誰かに食べ物を差し出すことができるだろうか。善良な人間の生き抜く逞(たくま)しさを信じたい。=朝日新聞2020年12月9日掲載