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装丁家・矢萩多聞さん 「いい本には湯気が出ている」取材にも足を運び、まるごと1冊をつくる熱量

文:笹川ねこ 写真:木村有希

 「別に、装丁家になろうと思っていたわけではない」。10代をインドで暮らした矢萩多聞さんが、初めて装丁を手がけた本は自著『インド・まるごと多聞典』。21歳のときだった。

 ノンフィクションや小説、学術書、教育絵本など、約20年間で600点を超える本の装丁を手がけてきた。ときに取材にも立ち会い、現地を訪ね、人の話を聞く。作家の相談に乗り、製紙工場を訪ね、インドの出版社にも足を運ぶ。本づくりにまるごと関わり、作家や編集者と二人三脚で、手触りを感じる一冊を生みだす、装丁家の仕事について聞いた。

21歳、初の自著が装丁デビュー

 矢萩さんが、初めての自著『インド・まるごと多聞典』を出すことになったのは、実家のお店に通っていた春風社の社長・三浦衛さんとの出会いがきっかけだった。

 「横浜の保土ヶ谷の実家で、母がインド輸入雑貨のお店をやっていて。毎日通ってくる変わったおじさんが出版社の社長だったんです。何回かインドに行ったことがあって、インドの話をしに来ていたんですよ。話しているうちに『僕の本を作りたい』となって」

 「タイトルに『まるごと』ってついているから、デザインもまるごとやってみたら?」

 社長の三浦さんの思いつきで、装丁も手がけることに。矢萩さんは、「誰でもできる」という三浦さんの言葉を頼りに、出版社や印刷会社の人に聞きながら、一からブックデザインをやってみたという。

帯の推薦文は、詩人の谷川俊太郎さん。矢萩さんと三浦さんが100人に『推薦文書いてください』と手紙を送り、谷川さんが唯一返事をくれた。(矢萩さん提供)

 矢萩さんが1メートルを超える一枚絵を描き、見返しから表紙、反対側まで“絵で包まれる本”が誕生した。絵を生かしてバーコードは帯に記載し、帯が浮いて見えるように太帯に。最初の本にして、こだわりが随所に散りばめられた一冊だ。

 その縁で、矢萩さんは春風社の本の装丁を手がけるように。当時はインドで半年ほど暮らしながら、帰国したときに装丁の仕事をする日々だったという。

学校に行かず、インドへ

 小さい頃の矢萩さんは「スケッチブックがあれば何時間でも遊んでいられる子ども」だった。元デザイナーの母と画家の父の影響もあり、幼少期から月1回の手づくり新聞も発行していたという。

 「小学校に上がるか上がらないかくらいの頃から、ずっと『多聞新聞』というダジャレみたいな新聞を作って。題字を自分で書いたり、ロゴ作ったり、漫画も描けば、近所の人にインタビューしてまとめたり。お話やニュースを書いたりしていましたね」

 当時、世の中に登場した1枚10円のコピー機で印刷した手づくり新聞。お客さん、親戚、友達……。手渡した人たちは「また次もお願いね」と喜んでくれた。

 一方、矢萩さんは一律にみんなで学ぶ「学校」は合わなかった。

 「“自分のやりたいこと”ができなかったからでしょうね。小学4年生のときに1年間行かなくて。5、6年生は先生がすごくよかったので頑張って行って。中学に入って、『ああ、やっぱり上手くいかないな』って。中学は生徒数も多くて、流れ作業というか、こういうややこしい生徒は放っておかれるんですよ」

 中学1年のとき、矢萩さんは学校に行くのをやめた。両親とも話し合い、家族で何度も旅をしたインドで暮らすことに。インドでは遊びと学びの日々が待っていた。

 「最初の頃にハマったのは、手紙を書くことと、町の地図を作ること。あとはその土地の言葉の辞書を作ること。そこに学びが全部入っているじゃないですか。別に『勉強するぞ』と思ってやっているわけじゃなくて」

 学校に行かなかったが、矢萩さんは「焦りはあんまりなかった」と振り返る。

 「同年代の友達がいないから、学校生活みたいなものへの憧れはありました。ただ中学や高校で、机にしがみついて退屈な授業を我慢するのであれば、地図作ったり絵を描いたりしている方が、何十倍も有意義だなと思っていたから」

10代の頃の矢萩さん。インド時代に作ったフリーフォントは、大手時計メーカーのロゴに起用された。インドでもカレーのパッケージやCDのデザインに使われ、京都のバーの看板でも見かけたそうだ。(矢萩さん提供)

インドの出版社タラブックスとの出会い

 そんな矢萩さんに、心に残る装丁を尋ねると、手づくりの本で世界の絵本ファンを魅了する南インドの出版社を取材した『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)を挙げた。「通常版」と限定の「特装版」を発売したという。

 「特装版は400部限定で、インドからタラブックスの刷り損じの紙を取り寄せて、日本で製本し直したんです。手刷りでハンドメイド。刷り損じなので全部柄が違う。ミスプリントに何度も試し刷りしているから、違う絵が重なっていて。だから表紙は、世界に1冊のデザインなんです」

 タラブックスのファンとして本を集めていた矢萩さん。京都の書店、恵文社で1冊を見つけて、当時働いていた堀部篤史さん(現・誠光社店主)に声をかけた。

 「タラブックスの絵本が1冊入っていて、でもすごく高くて。『これすごくいい絵本ですよね。もうちょっと安くならないの?』って言ったら、堀部さんが、『アメリカから仕入れてるから、二重でマージンが取られていて、この値段でも全然儲かってないんですよ』って。だったら僕が今度インド行ったときに運んでくるから、恵文社でフェアをやりましょう、と」

 矢萩さんは、インドのチェンナイにあるタラブックスへ。オフィスを見学し、実際に話を聞いて、日本に持ち帰り、恵文社のフェアでスライドトークを開催した。

 「本当に各地からいろんな人が来てくれて、東京や札幌でも頼まれて話しているうちに、本を作ることになったんです」

 自分が好きで、現地に行って、面白さを伝えていたら、仕事につながっていく。矢萩さんの生き方や働き方が伝わるエピソードだろう。

絶版の文庫が単行本でよみがえる

 ノンフィクション作家の川内有さんの『バウルを探して 完全版』(三輪舎)では、矢萩さんは著者と出版社をつないだという。

 「バウルは、もともと単行本が幻冬舎から出て、文庫化のときに僕がデザインしたんですね。その後、川内さんと別の仕事で会ったときに、『バウルが絶版になる。すごく大事な本だから出版社を変えて文庫にしたいんだよね』と聞いて」

 ここで矢萩さんは、なんと「文庫ではなく、もう一度単行本として出すこと」を提案する。

 「僕が『三輪舎だったらやってくれるんじゃないか』と言ったら、『連絡してみる』と。僕も三輪舎代表の中岡祐介さんと関西で会うことになっていたので、『川内さんから連絡が行くと思う』と伝えたら、「なんで知らないところで話進めてんですか」って(笑)」

矢萩さんが装丁を手がけた本たち。右が『バウルを探して 完全版』(三輪舎)

 あらためてバウルを読んだ三輪舎の中岡さんは、再び単行本にすることを決めた。

 新たに誕生した完全版では、川内さんと2人でバングラデシュを旅した写真家・中川彰さんの写真が、冒頭から約100ページに渡って収録されている。最初の本には載っていなかった中川さんの「写真編」と、川内さんの「文章編」を通じて、“魂の歌い手”と呼ばれるベンガル地方の行者・バウルを探す、それぞれの旅が浮かび上がってくる構成だ。

 造本も凝った。背を表紙でくるまないコデックス装は180度パタンとページがひらく。背にはタペストリーのような紋様と、中央にベンガル語で「バウル」の文字が浮かぶ。

 「普通は表紙で隠れてしまうこの部分には、背丁といって書名と何折目の紙の束なのかを示す数字が入っているんです。それを全部取ってもらって。ひと折りごとに1ページ目と16ページ目のノド(内側)に、1ミリも満たない絵柄をすこしずつずらして入れたんですよ。もとはちゃんとした模様だけど、本によっては製本時に1、2ミリはずれてくるから、その揺らぎも含めて味になるんじゃないかと」

 ちなみに、いくつかのページを開くと青や赤や緑の綴じ糸が目に入るが、矢萩さんによると「ランダムに糸の色が変わる銘柄を使っているので、一冊ごとに全く違う組み合わせ」になっているという。

 「『バウルを探して』は大量生産の本ではあるけれど、ひとつとして同じように仕上がっている本はないんですよ。自分のなかのバウルを探すのが本の主題。金太郎飴みたいなものではなくて、一人ひとりの本があるんです」

 数々のノンフィクションの賞を受賞している川内さんだが、「初めて、自分の本が本屋で愛されている風景を見た」とよろこんでくれたそうだ。

作家のすべての著書に伴走するということ

 歴史家で政治学者の中島岳志さんの著作は、矢萩さんが装丁を担当している。矢萩さんの個展に、学生だった中島さんが、発売前の『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』(白水社)のゲラを持って訪ねてきたときからの付き合いだ。

 1915年に日本に亡命したインド独立の闘士を描いたボースの評伝は、2005年に大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞を受賞。後に発売された『パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)も話題を呼んだ。

 ふたりは、著者と装丁家の関係を超えて、取材も一緒に行く関係だという。

 「中島さんはとにかく現場に足を運ぶことを大事にされている人なので。山のような資料を読んでいるんだけど、ボースが逃げたルートを自分も走ってみるとか、そういう地道なことをやっているんですよ」

 「箱根の山奥にパール下中記念館というものがあって、パールの遺品が置いてあるんですけど、パール判事が東京裁判で座った椅子のレプリカがボロボロな状態で置かれていて。すごく象徴的な椅子で、最初に装丁に使おうと思ったんですよね。翌週、スキャナーをリュックに背負って、雨で半分溶けていた収蔵品の写真をスキャンしました。デザイナーの仕事じゃなくて研究助手みたい(笑)」

中島岳志さんと作家・森まゆみさんの共著『帝都の事件を歩く――藤村操から2・26まで』(亜紀書房)は、編集者とともに、ほぼ全ての取材工程に同行したそうだ。

 ブックデザインにとどまらず、ときに企画や編集、取材にも深く関わる。その姿勢について、矢萩さんは憧れの装丁家である装丁家・平野甲賀さんの名を挙げた。

 「甲賀さんは、晶文社の何千冊という本を作ってきて。素晴らしい作品がいっぱいあるんだけど、途中から演劇の世界に入られた。ポスターをつくるデザイナーとしてだけじゃなくて、劇団員として一緒に芝居を作っていった。僕もこの仕事を続けていくためにもデザイン一辺倒じゃなくて、別の軸足を持たなくてはと思うんです」

全ページのレイアウトを手がけた「こどものための実用シリーズ」(朝日新聞出版)3部作の『おいしく たべる』。描き文字にコンプレックスがあったが、授業につまずいた子どもがほっとできるように、校了直前にすべての見出しを描き文字に変えた。(矢萩さん提供)

その本から「湯気」は出ているか

 話を聞くほどに、まるごと一冊と向き合うその熱量に驚かされる。

 「毎回、小手先で出来る仕事がないんですよね。僕にとっては年間何十冊の中の1冊でも、その人にとっては最初で最後の1冊かもしれない。全部物語があるから」

 「中島さんの本は100年後の人が研究対象にする本だと思います。次の年に忘れられてしまう本ではなくて、できる限り長く残っていく本を作りたい。いつも怖いなと思います。その怖さを忘れちゃうと、後々自分でも後悔すると思うから」

インタビューの最中、矢萩さんはいま取材している京都・天橋立にある特別支援学校の話を楽しそうに教えてくれた。写真家の吉田亮人さんと毎月手弁当で通っているという。

 渾身の装丁には、「湯気が出ている」と矢萩さんは語る。各地の製紙工場や倉庫を取材して出会った、忘れられないシーンがあるのだという。

 「王子製紙の(北海道)苫小牧工場に行ったときに、巨大なロール紙がワーッと巻き上げられていく工程を見たんです。その紙のはしっこを人間が見事な手捌きで、シャーっと切って三角折りみたいに折りまとめていくんです。そのときに、ほんとに湯気が出てるんですよ。『あっこれだ』って。この紙の持つ湯気を本にしたときに殺しちゃいけないなと」

 「僕の理想は、炊き立てのご飯のような湯気が出ている本を作りたいんです」。そう言って矢萩さんは笑った。

2020年からWEBラジオ「本とこラジオ」(毎週水曜放送)のパーソナリティを担当している。