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Riverside Reading Clubが、下高井戸の名店・TRASMUNDOで「チカーノ・ソウル」を語る【前編】

文:宮崎敬太、写真:有村蓮

ルーベン・モリーナ「チカーノ・ソウル」

ikm:今回は『チカーノ・ソウル~アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史』という素晴らしい本がリリースされたので、翻訳を担当された宮田信さんをゲストに迎えて、俺らがいつもお世話になってる下高井戸のショップ・TRASMUNDOにお邪魔しました。

Lil Mercy:『チカーノ・ソウル』はルーベン・モリーナという人が書いた洋書なんですが、日本語版を出すにあたってクラウドファンディングを立ち上げたんですよ。TRASMUNDOの店主であるハマ(浜崎伸二)さんは、この本を形にするためにいろんな形で協力していたんです。

浜崎伸二:これは歴史に残る本だと思ったからさ。

宮田信:ハマちゃんはうちのレーベル(BARRIO GOLD RECORDS/MUSIC CAMP, Inc.)から出してるCDをTRASMUNDOに置いてくれてて。その流れで日本語版『チカーノ・ソウル』の出版にもいろいろ協力してくれました。

――『チカーノ・ソウル』はどんな本なんですか?

宮田:2007年にアメリカで出版された『Chicano Soul Recordings & History of an American Culture』を日本語に翻訳したものですね。チカーノ・ソウルは黒人のR&Bやロックに影響を受けたチカーノ(メキシコ系アメリカ人)が、主に1950〜70年代に残した音楽のことです。だけどシングルを1枚しか残してないグループもたくさんいて、その存在がバリオ(アメリカのメキシコ系居住区)の外にほとんど伝わってなかったんです。

著者のルーベンさんは自身がメキシコ系アメリカ人で、R&Bを愛するレコードディガー。さらに彼は青春時代にやんちゃなローライダーカルチャーの側で過ごしてきました。そこはマッチョでメキシコ人的な感覚も残っていて、さらにハードコアな暴力や貧困が残っている。そうすると、男の子は女の子に愛の告白をする流れなんて作れないわけです(笑)。だから彼らは黒人たちが奏でるスイートなバラードを流して雰囲気を作った。

Lil Mercy:むちゃくちゃ良い話。

宮田:そう。すごいロマンチックなエピソードですよね。こういうのってアメリカでも全然知られてないんですよ。ハリウッド映画でラティーノが出てくると、ギャングスタラップやラテン音楽が流れたりするんだけど、実際は全然違った。

宮田信(みやた・しん)。音楽レーベル・BARRIO GOLD RECORDS/MUSIC CAMP, Inc.主宰者。2020年12月に『チカーノ・ソウル~アメリカ文化に秘められたもうひとつの音楽史』の日本語版の翻訳を担当した

Lil Mercy:自分たちの世代だとチカーノラップがすごい流行ってました。でも、チカーノのカルチャーそのものはあんまり日本に伝わってきてないイメージです。

――サイプレス・ヒルの「No Entiendes La Onda (How I Could Just Kill A Man)」のMVを観た時はびっくりしました。

Cypress Hill - No Entiendes La Onda (How I Could Just Kill A Man)

宮田:あれもチカーノたちの姿ではあるんですけど、あくまで一部なんですよ。それは『チカーノ・ソウル』に書かれてることにも言える。日本では「チカーノ=ギャングスター」というイメージだけがステレオタイプ化されてしまった。実際チカーノをメキシコ系ギャングと翻訳しちゃうような人もいる。でもそうじゃない。「チカーノ」という言葉にどれほどの誇りが込められているのかを知ってもらいたい。そもそも僕ら日本人が「あなた、チカーノでしょ?」なんて言っちゃいけないんですよ。

ikm:チカーノ文化は、この本から入るのもいいと思います。音楽にまつわるカルチャーの話って面白いじゃないですか? 実は後ろにすごくいろんなものがある。この本はそこが完璧にわかるんですよね。

Lil Mercy:音楽を好きな人は割とチカーノ・ソウルには触れたことあると思うけど、曲だけ聴いてる分には「なんでこれがチカーノ・ソウルって呼ばれてるんだろう?」って思ってた人も多いと思うんです。この本を読むとそういう部分がわかる。入り口として良いし、かなり深いところまで知ることができる。

宮田:『チカーノ・ソウル』はロサンゼルスとサンアントニオ(テキサス州)の話を大きく取り上げているんですが、同じメキシカンでも全然違うんですよ。ロサンゼルスの人たちは歴史的に非常に高い政治意識を持ってるけど、サンアントニオの人たちはもっと古い伝統的なメキシカンの価値観の中で生きてて。日常的には英語で話してるけど、スペイン語の音楽を聴いてたり。なのに黒人音楽を演奏してたりするんですね。カルチャーのハイブリッドが当たり前なんです。思うに、チカーノの人たちはメキシコでもアメリカでもなくて、同時にどちらでもあるんですね。

『チカーノ・ソウル』で紹介されているのは、その狭間の中から生まれてきたもの。こういったことは僕たちはまだ経験したことがないから、どうやって伝えるのかって非常に難しい。とはいえ、日本でもこういうことは起きてる。ちょっと前だったら中国残留孤児の2〜3世が暴走族になったという話があった。きっとこれから「どっちでもないしどっちでもある」感覚は増えていくと思う。それを伝える上でもこの本には普遍的な価値があると思ってます。

加藤薫「21世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート」/グスマノ・チェサレッティ「VARRIO」

浜崎:宮田さんがチカーノに興味を持つきっかけってなんだったんですか?

浜崎伸二(はまざき・しんじ) 東京・下高井戸のショップ・TRASMUNDOの店主。ヒップホップ、レゲエ、ソウル、パンク、ハウス、テクノ、ジャズなど独自のセレクトで音楽ファンから熱狂的に支持されている

宮田:高校生の時に観た映画やドラマですね。昔「CHiPs(邦題:白バイ野郎ジョン&パンチ)」というロサンゼルスを舞台にした白バイ警官のドラマがあって。主役は白人のジョンとチカーノのパンチ。パンチは昔やんちゃだったという設定で、たまに彼のストーリーが語られる回があったんです。そこで壁画やローライダーが出てきて「どうやら僕がイメージしてるのとは違うロサンゼルスの風景があるらしい」ってことに気が付いたんですよ。それで大学もスペイン語学科を選んで(笑)。

1984年に初めてバリオに行きました。当然、僕らが知ってる伝統的なメキシコ音楽と同時に、バリオにはロックやソウルの演奏があるってことを知って、翌年に1年間ホームステイしました。そこでチカーノたちが家の中ではスペイン語を話して、外では英語を話すバイリンガルでハイブリットなカルチャーを経験したんです。もちろん不法移民の問題も知って。その後、日本に帰ってきて六本木のWAVEというレコード屋さんで働いて、BMG JAPANに入り、みたいな感じですね。

Lil Mercy:宮田さんが大学生だった頃はどうやって情報収集されてたんですか? たぶん翻訳書とか少なかったと思うんですが……。

宮田:確かに日本語の本は全然なかったですね。アメリカにはたくさんあったんですよ。公民権運動の時代にチカーノ・スタディーズという学問が確立されていたので。僕が通ってた日本の大学の図書館にはその公民権運動にリアルタイムで興味をもった先生たちがいたらしく、英語で書かれた原書が沢山あったので、全然読めないけどなんなくは眺めていました(笑)。あと「ナショナルジオグラフィック」が70年代後半に何回かメキシコ系アメリカ人の生活と文化についての特集をやってたので読んでました。

僕が情報源にしてたのは、やっぱりドラマや映画でしたね。ロサンゼルスを舞台にした刑事物には必ずひとつくらいチカーノに関するものがあったんですよ。それがおもしろくて。

浜崎:70年代のドラマには結構そういうのがありましたね。

ikm:犯罪小説を読んでても、LAが舞台だとチカーノやバリオがだいたい出てくる。バリオは日本だと全然知られてないけど、向こうでは当たり前のものいう感じがします。

Lil Mercy:例えばロサンゼルスだとどのあたりに多いんですか?

宮田:主にイーストロサンゼルスですね。でも今はチカーノだけじゃなくて、ラティーノ/ナ(中南米系アメリカ人)がものすごく増えているので、ビバリーヒルズ以外はどこにでも彼らは暮らしています。ラティーノたちの存在感が増してるって、日本には全然伝わってないですよね。ファッションやアートの世界では音楽以上に注目されていて、美術館で特集されたりしてるんですよ。すごく面白いから、もっと日本に紹介したいです。

ikm:『21世紀のアメリカ美術 チカーノ・アート―抹消された“魂”の復活』って本が面白かったですね。後ろのほうにチカーノ用語辞典っていうのが載ってて。

宮田:著者の方はメキシコの大学に行かれてたようですよ。

ikm:メキシコ革命下の1920〜30年代に起こった「壁画運動」とか有名ですよね。

宮田:そうそうそう。壁画運動の影響を受けて、公民権運動が盛んだった60年代後半から70年代中盤にバリオでたくさん壁画が描かれたんです。そこには「自分たちの誇りを取り戻そう」というメッセージが込められてて。メキシコの歴史的な革命戦士と、バリオのギャングスターが一緒に描かれてたり。パブリックアートとして、非常に強い政治的メッセージがそこらじゅうにあった。

――簡単に公民権運動の補足をしておくと、1950〜60年代半ばにアフリカ系アメリカ人たちが「人種分離法」の撤廃を求めた活動のことです。人種分離法とは白人と、黒人ならびに有色人種を分ける人種差別的法律です。有色人種はレストラン、カフェ、バス、住居などで、白人と同じ場所にいることが許されませんでした。1865年に南北戦争で北軍が勝利したことで奴隷制度は撤廃されていましたが、特に南部では差別意識が強く残っており、1896年にはアメリカの最高裁で事実上人種差別を認める判決が出ます。そこから公民権運動が活発化される1950年代まで、アメリカでは有色人種に対する差別が公的なものになっていました。代表的な活動家はマーティン・ルーサー・キング牧師、マルコム・Xなどです。

浜崎:宮田さんのところで『VARRIO』って写真集仕入れていましたよね。

宮田:はい。70年代にイタリアからやってきたカメラマンがロサンゼルスに入り込んで、主にローライダーのカークラブを追っかけて撮った写真をまとめたものですね。非常に貴重な写真ばかりですよ。バリオの綴りは「BARRIO」なんですが、これは「VARRIO」。Vはちょっとアンダーグラウンドなスラングとして使われています。それでこの写真集の雰囲気もちょっとわかるかも。ちょっとしたタギングを撮った写真にもいろんなヒントがあるんです。

「BEYOND THE STREETS NEW YORK」図版

――『VARRIO』や『チカーノ・ソウル』に出てくる壁画は、いわゆる考古学チックなのじゃなくて現代的なグラフィティアートですね。

Lil Mercy:そうです。自分は2019年にニューヨークで開催された「BEYOND THE STREETS NEW YORK」というグラフィティの大回顧展に行ってきたんです。今日はその時買ってきた図版を持ってきました。この本は相当すごくて、いわゆるグラフィティだけじゃなくて、『チカーノ・ソウル』にも出てくる壁画の意味や、公共の場所に残す画がどのように進化していったのか、という歴史がかなり細かく載っています。文章が超多い。

ikm:一生読めるやつだ。

Lil Mercy:英語だし、デカいし、重いし、読むのにかなり時間かかる(笑)。自分も今読み込んでる途中です。「BEYOND THE STREETS NEW YORK」は展示もすごかったですよ。1日じっくり時間をかけても全部見終わらない規模感で。ニューヨークで誰が最初にタグを書いたか、もう街の話ですよね。

――ネットフリックスに「RUBBLE KINGS」というドキュメンタリーがありましたね。

Lil Mercy:まさにあれですね。映画「ウォリアーズ」もそういうカルチャーの人たちだし。2012年に亡くなってしまったStay High 149という伝説的なライターは誰のどういう影響をうけてあのスタイルにたどり着いたか、あとスプレーの歴史、さらに向こうではフライヤーが壁にバーっと貼られてて、そういうのもグラフィティ文化のひとつと捉えて紹介されてました。ビースティ・ボーイズのロゴの成り立ちもありましたね。グラフィティとハードコアパンクとの関係性とか。この図版も実際の展示もしっかりセクションを分けて、細かく掘り下げてるんです。かなり好評だったようで、会期を延長しててたまたま見ることができました。

――昔、水戸でグラフィティの大きな展覧会がありましたよね。

Lil Mercy:KAZEMAGAZINE主催の「X-COLOR/グラフィティ in Japan」ですね。まだ日本ではグラフィティーが文化の一つとして語られていることはかなり少ないと思うんです。アメリカでは今、グラフィティがアートとして評価されていて、MOMAでも展示があったり、作品がすごい額で取引されてたりする。これは『チカーノ・ソウル』にも通じることなんですが、カルチャーの歴史が「なんでこうなったか」を伝えるのが今すごく大事だと思うんです。向こうでも自分と同世代の人たちが動き出して、こういう展示につながったようですね。ちなみに「BEYOND THE STREETS」は内容を変えてロサンゼルスでも開催されたみたいです。

河村要助「サルサ天国」「伝説のイラストレーター河村要助の真実」

ikm:俺は『チカーノ・ソウル』のブラウン・プライドのところを読んで「サルサと一緒だな」と思ったんですよ。サルサって日本だと社交ダンスみたいイメージがあるかもしれないけど、それは全然違って。すごくクールだし政治的でもある音楽だと思っていて。

――サルサはラテンとジャズ、ソウル、ロックが混じった音楽ですよね。1970年代にニューヨークで盛り上がった、という認識です。90年代後半から2000年代前半にかけてクラブミュージックのシーンでリバイバルしました。

ikm:ですね。サルサの前にはニューヨークのプエルトリカンたちがやってたブーガルーという音楽もあって。

――ブーガルーはラテンソウルとも言われますよね。

ikm:ブーガルーとサルサの成り立ちや盛り上がりには、政治の動きが大きく影響してるみたいで。ラテン音楽自体は昔からニューヨークで人気があって。だけど、1959年にキューバ革命が起きて、61年にアメリカとキューバが国交断絶すると、ニューヨークにキューバからミュージシャンが来れなくなっちゃって。その頃、黒人たちの間で盛り上がっていたソウルやブルース、ジャズに影響をうけたニューヨークのプエルトリカンたちも自分たちでも音楽をプレイし始めたっていう。

宮田:ジョー・バターンが有名ですよね。

ikm:ジョー・バターンの曲は“チカーノ・ソウル”のコンピ盤にも入っていたりもしますよね。彼らは自分たちのルーツの音楽に黒人音楽をミックスさせてブーガルーをやり始めるんですよ。

だけどブーガルーは68年に終わったと言われていて。この年はキング牧師が暗殺された年で、それによって公民権運動が更に盛りがったんですよね。ブーガルーをやってたプエルトリカンたちは音楽だけじゃなく、黒人たちの公民権運動にも強く影響を受けていて。それで「黒人たちがあれだけ自分たちのルーツを意識して音楽もやってるんだったら、俺らも」ということで、よりルーツ、アイデンティティを前面に出したサルサが生まれたっていう流れがあるみたいで。

宮田:英語でチカーノ・ソウルを歌ってた若者たちも、公民権運動に影響を受けてスペイン語で歌い始めますしね。実はチカーノたちもサルサにすごく影響を受けてるんですよ。エディ・パルミエリやジョー・バターンのカバーをやってる人たちもいますから。あと公民権運動の流れで、テキサスにある伝統的なランチェーラという音楽と、ソウル、ロックを合体させてハイブリットな音楽をやってた若い演奏家たちもいました。

ikm:それで今日は、河村要助さんというイラストレーターの『サルサ天国』を持ってきました。この方のことは知らなかったんですけど、前に古本屋でL.A.モースの『オールド・ディック』という文庫を買って、「このジャケ、ヤバいな」と思ったのが河村要助さんだったんです。しかも調べたら河村さんが『サルサ天国』という本を書かれてることを知って。10年くらい前にサルサにハマってたのでブチ上がったんだけど、絶版になってて古本屋でも全然見かけなかったんです。でも……。

Lil Mercy:コンコ堂(阿佐谷北にある古本屋)にあったんだよね(笑)。

ikm:なんとなく棚を見てたら「あるじゃん!」って(笑)。それからずっと読んでるんですけど、偶然開いたページから読みはじめたり、好きなところを読み直したりを繰り返して一生読み終わらないような気がしてます(笑)。『チカーノ・ソウル』は音楽の後ろにある話でもあると思うんですけど、河村要助さんの『サルサ天国』は音楽とそれを聴く人との間にある話だと思っていて。サルサはニューヨークの音楽だから、コニーアイランド(ニューヨーク・ブルックリンの南端にある地区)を散歩する話とかもあって。

宮田:あのシーン、最高すよね(笑)。

ikm:あと最高だと思ったのが、ドライ・レイクを車で走ってる話。その車はレンタカーじゃなくて、型式や年代にこだわって購入した車で。それで砂漠を走ってるとラジオからすごく良い曲が流れてくる。実はその曲のレコードは昨日買っていて、今もトランクに入ってる。とかそんなことを考えながらメキシコ国境に向かっている。という話なんですけど、実はそれは河村さんが渋谷でしていた妄想だったっていう(笑)。これって完全に音楽と自分の間にある物語じゃないですか。そういう個人的な話がすごく素敵だと思いました。

Lil Mercy:自分はikmくんが『サルサ天国』を発見する瞬間にいて、『チカーノ・ソウル』の内容的にも今日は絶対に河村さんの本を持ってくるだろうと思ったので(笑)、河村さんのイラストレーターとしての仕事をまとめた画集『伝説のイラストレーター河村要助の真実』を持ってきました。競馬の広告イラストとかもやってらしたんですね。

ikm:俺らの年代だとたぶんリアルタイムじゃないんですよ。一番盛り上がってたのはたぶん70年代後半くらい。俺は河村さんが装丁をやってる本は内容に関係なくとりあえず買ってます(笑)。

>(つづき)Riverside Reading ClubがTRASMUNDOで語る、異郷に生きる人々【後編】はこちら

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