私が生まれた1985年という年は、日本の女性政策史において象徴的な年だったように思う。女性参政権獲得から40周年。男女雇用機会均等法の制定。女子差別撤廃条約を日本が批准したのもこの年だった。その後も、89年には「セクシャル・ハラスメント」が新語・流行語大賞を受賞するまでに社会的認知が広まり、93年度からは中学校で、翌94年度には高校で家庭科科目の男女共修が始まった。
性差別をなくそうと粘り強く活動してきた先人たちのおかげで、学校が世界のすべてだった頃は自分が「女である」ために差別されたという記憶はあまりない。内閣府の世論調査などをみると、家庭・職場・地域社会・慣習・法律・政治など社会の様々な領域において、学校はとくに「男女の地位は平等である」とする回答が毎回過半数を占める傾向がある。
しかし、それでも学校が全くの平等だったかというとそうでもなく、中学校のときに家庭科は既に共修だったものの、女子は保育、男子は金工で分かれていたし、女友だちは「男子が学級委員長の方がクラスが締まるから」と教師に言われて学級委員長にはなれなかった。痴漢に遭って以来、通学路は私にとって安全な道ではなくなってしまった。先の時代の女性たちに比べたら、こうした性差別の経験は微々たるものだろうが、それでも大学に進学し、よく分からずたまたま履修したジェンダー論の授業にはとても心惹(ひ)かれた。
「平等」享受した世代から見た不思議
保守運動に女性も参加しているということを知ったのは、大学生活も終わりに近づいた頃だった。「ある程度」の男女平等な環境で過ごし、それを享受してきた私にとって、男女平等に反対する女性の存在はとても不思議に思えた。大学院に進学後、女性たちの保守運動を研究テーマに選んだ。
どのようなテーマを扱ったとしても、研究に楽な道などない。そんなことは十分に分かったつもりでいてもなお、この研究テーマを続けることは大変なことの方が多かったように思う。研究を始めた当時は、保守運動自体が日本では新しい事象だったこともあり、寄って立つべき先行研究が少なかった。ルポルタージュなどはぽつぽつと出版され始めていたが、事実関係をただ追いかけるだけでは学術研究にはならない。保守運動を学術的に「研究する」とはどういうことなのか、ということをずっと考えていたように思う。もちろん、こうして本を上梓(じょうし)した今日でも、私がそれを十分にできているとは思っていない。
影響を受けた本を1冊あげるならば、Kathleen M. Bleeの『Inside Organized Racism: Women in the Hate Movement』だろうか。合衆国の白人至上主義運動の女性活動家たちを調査して書かれた本である。合衆国の白人至上主義運動は、日本の人種差別的な運動に比べて圧倒的にアンダーグラウンドで周縁的な存在だ。脅迫や暴行、拉致の危険性とつねに隣り合わせの状況でインタビュー調査を実施し、そうして得られた女性たちの語りにみられる不合理性を鋭く浮き彫りにしていく。その手腕の鮮やかさに、夢中になって読んだ。この本に出会ってから、自分の研究の進むべき方向性が見え始めたように思う。
ジェンダー再生産する私たちの社会
試行錯誤の研究生活のなかで心の支えとしていたのは、「誰も研究していないからこそ、研究する意義があるのだ」という指導教員の言葉だった。言いたいことがうまく言語化できずに悩んでいたとき、「鈴木さんが言いたいのはこういうことなんじゃないの?」と意を汲(く)んでコメントをくれる院生仲間に囲まれて、じっくりと研究に取り組めるという贅沢(ぜいたく)な研究環境があったからこそできた研究だったと思う。研究室の底冷えの酷(ひど)さなど気にならないくらい、院生仲間とは多くの言葉を交わした。
本書には「右傾化する日本社会のジェンダー」という副題をつけた。保守運動だからこそ観察されたジェンダーの作用がある一方で、私自身も含めてそうした運動に携わっていない人もまた、ジェンダーを維持し、再生産する社会構造や社会規範のもとで生きていることを忘れてはいけないという思いを込めた。昨年から続いている新型コロナウイルスのパンデミックは、世界中でジェンダーに関する状況を悪化させており、日本もまたその例外ではない。今回の受賞を励みとしながら、ジェンダー平等に資する研究ができるよう、引き続き精進していきたい。=朝日新聞2021年1月27日掲載