きっかけは「銀河鉄道999」の鉄郎
子どもの頃に見た「機動戦士ガンダム」のキャラクター、マ・クベの冷気を含んだ独特な声がきっかけとなって、キャラクターの「声」を意識し始めたという石田さん。その後、「銀河鉄道999」の主人公、鉄郎の声を女性(野沢雅子さん)が演じていると知って衝撃を受け、それ以来、声優の声が持つ不可思議さに魅了され続けている。
「私は1972年生まれで、アニメを見て育ってきた世代。女性声優が少年キャラクターを演じている例は、最初は驚いたものの本当にいっぱいあって、そういう環境に馴染んで育ってきました。でも大人になって、ふと、世界的に見てもこれは珍しいことなんだと気付いて。じっくり腰を落ち着けて調べたいと思ったんです」
日本では当たり前の選択肢の一つになっている「女性声優が少年の声を演じる」ことは、海外では当たり前ではないそうだ。日本では女性声優が演じていた少年役も、そのアニメが外国に輸出されると、ほとんどの場合、男性声優に吹き替えられているという。
「例えば緒方恵美さんが演じる『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ君の声は、北米やヨーロッパ、南米などでは男性声優が担当されています。女性声優が演じているのは、日本と韓国だけ。韓国は、1960年代から日本のアニメ文化を一緒に作り上げてきた歴史があるので、女性が少年の声を担当する配役も普通のチョイスとして受け入れている例外的な国です。ただ、2019年からNetflixで配信されている『新世紀エヴァンゲリオン』の英語吹き替え版では、シンジ君の声を新しくトランスジェンダーの声優さんが担当されている。21世紀らしいキャスティングが実現しているのも、興味深いところです」
知られざる女性声優の先駆け
女性が少年の声を演じ始めた歴史として、1954年に黒柳徹子さんがラジオドラマに出演し、その後、野沢雅子さんがテレビの吹き替えで演じた、ということは知られていた事実だそうだ。石田さんは、それ以前の歴史を調べるうちに、1946年にデビューした女性声優、木下喜久子さんの存在に行き着く。そして奇跡的に、直接会って話を聞くことができた。
そこで、少年の役に女性声優が起用されるようになったのは、収録中に少年声優が変声期を迎えてしまう、という問題のほかに、占領期に法的に整えられた児童労働の環境の変化があったと聞く。
「最初は、90年代、古くても70年代くらいからのアニメと声優の歴史を本にまとめるつもりだったんです。でも、女性声優が少年を演じる歴史が、まだあった、という感じで出てきて。幸運にも、子ども・少年の声を演じた女性声優の先駆けである木下喜久子さんにお会いできて、日本のある種の出発点の話を聞くことができました。そこで、占領下の日本の、子どもの労働の制限というものに行き着いて。『GHQがラジオの録音現場に来て、夜8時以降に子どもが居たら帰していた』というお話が聞けた。それが少年役に女性を起用する歴史につながっていく。変声期前の少年の高い声を演じられる女性声優が起用されるようになったんです。本を完成させるのに6年かかりましたが、ご高齢の木下さんのためにも、とにかく形にする気持ちで書き上げました。でもまさか自分でも、占領期について書くことになるとは、思ってもみませんでした」
「緒方以前、緒方以後」で大きな変化
木下さんの仕事ぶりを丁寧に書き出し、占領期からの日本の声優史、女性声優が少年役を演じ始めた歴史をひもといていく本書の前半パートに対し、後半パートは、90年代から活躍しスターダムを築いた女性声優、緒方恵美さんの仕事に着目して進められていく。
「少年役を演じる女性声優さんの歴史を見ていると、『緒方以前、緒方以後』と言えるほど、緒方恵美さんの登場前後で全然違うんですよ。緒方さんは、テレビアニメ『幽☆遊☆白書』で男性キャラクターの蔵馬を演じましたが、野沢雅子さん演じる「ドラゴンボール」の悟空を除くと、女性声優が高校生以上の男性を演じることは、それまでなかったことでした。悟空は、少年から青年への成長をずっと演じてきたという点でも蔵馬とは違いますが、悟空と蔵馬の人気はそもそも質が違いますよね。蔵馬は、ジャニーズか蔵馬か、という二者択一に入ってくるような、恋愛に目覚めつつある女性視聴者にグッとくるキャラクターだったんです」
女性が演じる青年期の男性キャラクターに、女性視聴者が恋をする。そういった現象が巻き起こったのは、緒方恵美さん演じる蔵馬が最初の事例だったと石田さんはみる。女性声優が男性キャラクターを演じることで、虚構度が高まり、むしろアニメのキャラクターとしての完成度が上がる。女性声優が演じる男性キャラクターの独特な魅力は、そのようなねじれから生じたものでもあるらしい。
「現実の肉体が映像で出てくる実写と違って、アニメーションのキャラクターはやっぱり絵であることが魅力なんです。絵自体は、エッセンスだけを抜き出して図像化して、理想的に整理したものだから、すでに人工的なものなんですよね。そこにキャラクターと性別が異なる声の主が加わったとしても、性別の不一致は非常に低いハードルでしかない。視聴者もそこをぽーんと乗り越えて、『好きです!』となるのが面白い」
アニメ表現がもたらす人間の多様性
緒方恵美さんは、テレビアニメ「美少女戦士セーラームーン」で天王はるか(セーラーウラヌス)の声も担当した。男装の女性でレズビアンという難しい役どころだが、非常に高い人気を得ているキャラクターだ。
「ウラヌスというキャラクターが非常に高い人気を得ているのは、『こうでなくてはいけない』というのを取っ払って、自由な感じがあるからだと思います。私たちに日常課せられる『こうあるべき』を華麗に乗り越えていて、かっこいいですよね。緒方さんが少年役で培われたセクシーな演技を、女性のキャラクターでやっているという面白さもあって、アニメならではのすごい離れ業だと思います」
日本では、90年代半ばからLGBTQのキャラクターがテレビアニメには登場していた。そのほかにも非常にセンシティブな問題が、アニメの中で取り上げられてきた。これはアニメというメディア表現の一つの強みであるという。
「アニメ表現は、人間の多様性の問題と、すごく親和性が高いんです。男性キャラクターを女性声優が演じても、逆に女性キャラクターを男性声優が演じてもよく、ジェンダーやセクシュアリティの規範から自由です。加えて、キャラクターは『絵』なのに、ディープで深刻な悩みを抱えているところもアニメ表現の面白さの一つです。人間の汚いところとかどうしようもないところ、性の問題、政治の問題、差別の問題などを、あの可愛い絵で表現しているところが、思春期以降の人たちにも受け入れられた魅力なのかなと思います。
例えば『エヴァンゲリオン』も、14歳くらいの主人公が、自分を剥き出しにして苦悩する作品ですよね。すごくどろどろしていてハードで、14歳の子どもが実際に演じるには難しい作品だと思います。そこはやっぱり緒方恵美さんや林原めぐみさん、宮村優子さんら声優さんの演技があってこその表現なんだと思います」
ただ一方で、日本では、あまりにも様々なことがアニメの中で受け入れられている結果、そこで思考停止してしまうという問題もあるそうだ。現実問題として自分に置き換えることができていないのだ。
「アニメの中でこんなにも自由にキャラクターが表現されているから、日本での性的マイノリティへの差別はヨーロッパやアメリカほどではないんだって思う人もいるんです。でも、本当にそうでしょうか。日本では、ジェンダーやセクシャリティの多様性が、小さい頃からの娯楽の中にあるためか、視聴者が現実の問題として捉えにくい傾向があるように思えます。
ヨーロッパやアメリカにおいては、LGBTQの人々が、血を流しながら闘って、権利を勝ち得てきた歴史があります。また、ディズニーは、こうした現実の社会問題をマーケティングとして取り入れて、政治的な正しさやリベラルな理念を表現することでブランディングしています。対して日本では、期せずしてキャラクターが人の多様性を体現して、様々な問題を娯楽のなかで解決しています。だから私たち視聴者は、そこに甘えず止まらず、先へ踏み出して、キャラクターが体現する自由をもっと自分のこととして、社会のこととして考え、行動する必要があると考えています」
近年は、アニメのビジネスモデルとして、アニメと、声優が出演する舞台やライブイベントを連動させる「2.5次元」というあり方が主流だ。キャラクターと同時に声優にもスポットが当たるため、キャラクターと声優の性別を一致させる流れがあるのだという。
「現在のアニメ製作は、ライブイベント込みで企画されているので、どこまでが作品なのか、というほど作品の境界が広がっています。会いに行ける分、キャラクターと声優さんの性別は一致している方が分かりやすいんです。ここ10年ほどで男性声優さんの活躍が一気に増え、少年役にも男性声優が起用されることが増えました。でも個人的には、少年役をやる女性声優さんにももっと活躍してほしい。緒方恵美さんが世に出てきたときのように、視聴者がびっくりするような女性声優さんが出てきたらいいな、と期待しています」