とても血の通った組織論の本だと思った。経営学者の著者は「ナラティヴ・アプローチ」という手法を軸に、会社組織における「対話」=「新しい関係性を構築すること」の実践を論じていく。
「ナラティヴ」とは〈物語、つまりその語りを生み出す「解釈の枠組み」〉を指す言葉で、人は誰もが立場や権限によって固有のナラティヴを生きている。では、世界を異なる解釈で見ている私たちが、理想を捨てずに困難な現実的課題に立ち向かうにはどうすればよいのか。
そのためには自らのナラティヴから一度離れ、相手側から世界を眺めた後、双方の溝に〈橋を架ける〉ことが必要だと著者は説く。「新しい関係性」を絶えず作り直しながら、「わかりあえなさ」に向き合う――それはブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中に出てくる〈自分で誰かの靴を履いてみる〉といった言葉とも、ジャンルを超えて響き合うものだと感じた。
それにしても印象的なのは、そうした「対話」の具体的な手法を紡ぐ筆致に、何とも言えない温かみを感じることだった。その理由が少し理解できた気がしたのは、研究者としての著者の背景が綴(つづ)られる「おわりに」を読んだときだ。
大学院生だったとき、小さな会社を経営してきた父親が病に倒れて亡くなった。残された負債の処理などに奔走し、様々な感情を潜(くぐ)り抜けるうち、著者は〈私たち弱い人間が、それゆえに善き人間として生きられる関係性をいかに築いていけるのか、私は父にそのミッションを託された〉との思いに辿(たど)り着いたという。文章に滲(にじ)む温かさの裏には、そんな書き手自身の現実との切実な闘いがあったのだ。
本書には物事に「当事者」として粘り強く対処していく上でのヒントがちりばめられている。ウイルスの流行で人間の関係性のあり方が否応(いやおう)なしに変化するなか、その指摘はより重みを増していると言えるだろう。=朝日新聞2021年2月13日掲載
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ニューズピックス・1980円=8刷5万部。19年10月刊。著者は77年生まれ、埼玉大経済経営系大学院准教授。人事関係者が選ぶHRアワード2020最優秀賞(書籍部門)を受賞。